『ほぐす』

 

作:吉野 弘

 

 

 小包の紐の結び目をほぐしながら

 思ってみる

 ―結ぶときより、ほぐすとき

 すこしの辛抱がいるようだと

 

 人と人との愛欲の

 日々に連ねる熱い結び目も

 冷めてからあと、ほぐさねばならないとき

 多くのつらい時を費やすように

 

 紐であれ、愛欲であれ、結ぶときは

 「結ぶ」とも気づかぬのではないか

 ほぐすときになって、はじめて

 結んだことに気づくのではないか

 

 だから、別れる二人は、それぞれに

 記憶の中の、入り組んだ縺れに手を当て

 結び目のどれもが思いのほか固いのを

 涙もなしに、なつかしむのではないか

 

 互いのきづなを

 あとで断つことになろうなどとは

 万に一つも考えていなかった日の幸福の結び目

 ―その確かな証拠を見つけでもしたように

 

 小包の紐の結び目って

 どうしてこうも固いのだろう、などと

 呟きながらほぐした日もあったのを

 寒々と、思い出したりして

 

 

吉野 弘(1926年 - 2014年)日本の詩人
1971年『感傷旅行』で読売文学賞詩歌俳句賞を受賞。代表作には結婚披露宴のスピーチで引用され広く知られる「祝婚歌」をはじめ、国語の教科書にも掲載された「夕焼け」、「I was born」などがある

 

 

 

 

香薬のあじわい

 

 

 吉野弘さんのこの作品に共鳴して、

 のちに

 茨木のり子さんは『知命』という詩

 を作りました。

 

 どちらの詩も
  “結んだものを、ほぐすとき” 
 についての内容ですが、
 

 茨木のり子さんの作品よりも、

 生々しい部分に触れている感じがするのは

 「愛欲」

 という言葉が、あるからかもしれません。

 

 性的な愛 という意味もありますが、

 ここは「相手への執着」と捉えた方が、

 しっくりくる と私は感じています

 

 

 好意を感じた。

 

 そのあと一瞬で加速したのか、

 いつのまに、じんわり浸透したのか

 

 ふと気がつくと、

 相手に 心が寄り添っている時間が、

 一日の多くをしめている。

 

 たわいもないやり取り、

 微笑みがえし。

 

 日常のちょっとしたことが、

 新たな”むずび目”を作り出す。

 

 どんな関係であれ、

 一方通行の片結び であったとしても、

 

 相手を想った時間が、

 結び目を固くするのだと思います。

 

 

 

『心の香薬』もくじ