『 汲む~Y.Yに 』

 

作:茨木のり子

 

 

 大人になるというのは

 すれっからしになることだと

 思い込んでいた少女の頃

 立ち居振舞の美しい

 発音の正確な

 素敵な女のひとと会いました

 

 そのひとは

 私の背のびを見すかしたように

 なにげない話に言いました

 

 初々しさが大切なの

 人に対しても世の中に対しても

 人を人とも思わなくなったとき

 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを

 隠そうとしても 隠せなくなった人を

 何人も見ました

 

 私はどきんとし

 そして深く悟りました

 

 大人になっても

 どぎまぎしたって いいんだな

 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

 失語症 なめらかでないしぐさ

 子供の悪態にさえ傷ついてしまう

 頼りない生牡蠣のような感受性

 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

 

 老いても咲きたての薔薇 柔らかく

 外にむかってひらかれるのこそ 難しい

 あらゆる仕事

 すべてのいい仕事の核には

 震える弱いアンテナが隠されている きっと

 

 わたくしも

 かつてのあの人と同じくらいの年になりました

 たちかえり

 今もときどきその意味を

 ひっそりと汲むことがあるのです

 

 

 茨木 のり子(1926年 - 2006年)同人誌『櫂』を創刊し、戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家。

戦中・戦後の社会を感情的側面から清新的に描いた叙情詩を多数創作した。

主な詩集に『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』『見えない配達夫』などがある。

 

 

 

香薬のあじわい

 

 

 20代の頃、

 場慣れしている人や、そつなくこなす人が、

 大人に見えて羨ましかった。

 

 どうして、あなどられるのだろう。

 どうして、心が顔に出てしまうんだろう

 

 ...と、悩んだ頃に出会った詩です。

 

 心惹かれるもの、

 夢中になれるものは、

 

 まず、

 自分の“震える弱いアンテナ”に

 受信される。

 

 むき出しにしていれば、

 傷つくし、折れてしまう。

 

 取り繕うこともできずに、

 どぎまぎする姿を、

 滑稽だと笑う人がいる。

 

 自信がなさそうだと

 バカにされたこともある。

 

 でも、

 今となってわかるのは、そのアンテナが

 “いい仕事”を生む源だ ということ。

 

 どんな時代でも、

 何歳になっても、

 

 “年老いても咲きたての薔薇”

 のように自分で磨き、

 

 感性を高めながらも、

 絶対に守らなくてはいけない。

 

 勇気と自信を与えてくれた詩です、

 

 ハード(外見)が、新機種だと

 誇らしげに語っていても、

 

 ソフト(中身)の容量が少なかったり、

 低機能、低耐久性ってことはないだろうか。

 

 アンチエージングを勘違いして、

 「心の成長を放棄する」ことが、

 若さを保つことだと思ってはいないだろうか。

 

 そんな確認を、

 私も“たちかえり、今もときどきその意味を

 ひっそりと汲む”ようにしています。

 

 

 

『心の香薬』もくじ