『生命(いのち)は』

 

作:吉野 弘


 

 生命(いのち)

 自分自身だけでは完結できないように

 つくられているらしい

 

 花も

 めしべとおしべが揃(そろ)っているだけでは

 不充分で 虫や風が訪(おとず)れて

 めしべとおしべを仲立ちする

 

 生命(いのち)

 その中に欠如(けつじょ)を抱き

 それを他者から満たしてもらうのだ

 

 世界は多分 他者の総和(そうわ)

 

 しかし 互いに

 欠如(けつじょ)を満たすなどとは

 知りもせず 知らされもせず

 ばらまかれている者同士

 無関心でいられる間柄(あいだがら)

 ときに うとましく思うことさえも

 許されている間柄

 そのように 

 世界がゆるやかに構成されているのは

 なぜ?

 

 花が咲いている

 すぐ近くまで

 虻(あぶ)の姿をした他者が

 光をまとって飛んできている

 

 私も あるとき

 誰かのための虻(あぶ)だったろう

 

 あなたも あるとき

 私のための風だったかもしれない

 

 

 吉野弘(1926年 - 2014年 )日本の詩人1971年『感傷旅行』で読売文学賞詩歌俳句賞を受賞。代表作には結婚披露宴のスピーチで引用され広く知られる「祝婚歌」をはじめ、国語の教科書にも掲載された「夕焼け」、「I was born」などがある。

 

 

 

香薬のあじわい

 

 

 「発信する側」と「受信する側」

 

 といった、2つの立場だけで、

 この世の中は成り立っていると

 思いがちなのですが、

 

 ”けして、そうではないのだ”

 と、気付かされる詩です。

 

 人間関係は難しい。

 

「あなたの役に立ちたい」

「大切だから、なにかしてあげたい」

 

 そう思って、

 せいいっぱい投げかけた言葉や行動が、

 

 なんの手ごたえも、反応もない状態だと、

 心は苦しくなります。

 

 そんな時は、落ち込まずに、

 ”思考を転じて”とらえてみたい。

 

 どうやら

 私たちが存在するこの世界は、

 

 思った以上に、”繊細な共鳴”で

 人間関係が紡いであるらしい。

 

 ・ただ通り過ぎるだけの役目 

 

 ・同じ場所で、空間を温めるだけの役目

 

 言葉も交わさず、存在も気づかれない、

 そんな役にだって、必ず意味はあって、

 なんらかの響きが伝播している。

 

 今回は、

 “最後の一押し”をする役目ではない。

 

 ただ、それだけ。

 

 それだけのこと。

 

 

 「自分の人生を生きる」ということが、

 

 無自覚ながらも、

 「だれかの人生劇場のエキストラ

 を果たしている」ということなら、

 

 あるときは、さわやかな風のように、

 

 あるときは、光をまとった虻のように

 

 佇(たたず)んでみよう。

 

 

 

『心の香薬』もくじ