『自分はいまこそ言おう』

 

作:山村暮鳥

 

 

 なんであんなにいそぐのだろう

 どこまでゆこうとするのだろう

 どこでこの道がつきるのだろう

 

 この生の一本みちがどこかでつきたら

 人間はそこでどうなるだろう

 

 おおこの道は

 どこまでも人間とともにつきないのではないか

 

 谷間をながれる泉のように

 自分はいまこそ言おう

 

 人生はのろさにあれ

 のろのろと蝸牛(ででむし)のようであれ

 

 そしてやすまず

 一生に二どと通らぬみちなのだから

 つつしんで自分は行こうと思うと


 

山村暮鳥(1884年 - 1924年)明治・大正期の詩人、児童文学者。
筆名『山村暮鳥』は、
「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味をこめて、昭和女子大の創始者、人見東明から名づけられる。詩集『風は草木にささやいた』『雲』、童話集『ちるちる・みちる』など

 

 

 

 

香薬のあじわい

 

 

 時代が変わろうとも、

 出来事が変わろうとも、

 

 目には見えない

 「人生の時計」とやらには、

 ”ある一定の速度”があるように思います。

 

 考え悩む時間、

 反省する時間、

 耐える時間...etc.

 

 どれも苦しくて、

 長く感じる、イヤな時間なのですが、

 

 これをおろそかにすると、

 その先は、”絶対うまくいかない”

 

 少なくとも私の場合は、99%と言っていいほど

 うまくいったためしがない。

 

 というか、

 下手すると、同じ苦汁を何度も飲まされる。

 (かんべんしてくれー!)

 

 

 「前向きな考え」

 「いさぎよい決断」は、

 

 ある一定時間、

 心と向き合った後の結果なんだ

 と気付くまでに、何年かかったことか(笑)

 

 だから、あせらないでいたい。

 つつしんで歩いていきたい。

 

 ちょっとばかり、人より先に進むことを、

 得意がったところで、

 それがどうだというのだろう。

 

 慢心に踊らされる方が怖い。

 

 ちょっとばかり、ことが進まないのを、

 焦ったところで、

 それがどうだというのだろう。

 

 心が曇って、醍醐味に気づかぬ方が怖い。

 

 人生のほとんどが、長期戦。

 

 結果が出ない自分を責めずに、

 どんなに遠回りだったとしても、

 あきらめずに、一歩一歩、歩いて行こう。

 

 この人生の道は、

 二度と通らぬ道なのだから。

 

 ”二度は通りたくない道”

 

 なのだから(笑)

 

 

 

『心の香薬』もくじ