当尾の石仏を歩く 〜 R6.2.12 石仏散策
京都であるものの限りなく奈良に近いこの地域は、古来より南都(奈良)僧侶が修行にうちこみました。やがて僧侶のすごした庵が寺院へと姿を変え、塔頭が多く建ち並ぶ尾根に由来し、「塔尾」→「当尾」になったといわれています。そんな当尾ブラのラストを、石仏磨崖仏散策で閉めたいと思います。先ずは■たかの坊地蔵ひと際大きなこちらの地蔵さんがそうなんですかね。宝篋印塔…すかね?■西小墓地石仏群埋没や盗難などを防ぐ為、かつて周辺に散在していた無縁墓や石仏がこちらに集められたそうです。■西小五輪塔(鎌倉時代・重文)同墓地入口の二基向かって右向かって左■長尾阿弥陀磨崖仏美しい蓮弁の台座に座り定印を結んだ阿弥陀如来坐像で、立派な屋根石を持ちます。銘文徳治二年(1307)丁末四月廿九日造立之 願主僧行乗長尾阿弥陀磨崖仏向かいの細道へ■春日神社本殿裏手の謎祠地元の方も何であるかわからないとの事浄瑠璃寺にかつて存在した白山神社由来の石を祀っているのかも?と推測する人もおられます。この神社は西小地区の氏神ですが、かつて当地区の氏神はこちらと、浄瑠璃寺参拝の時に書いた鎮守社とに分かれていたらしく、明治の神仏分離で浄瑠璃寺から分離され、こちらにまとめられたそうです。その為、こちらの社殿前の燈籠には「白山大権現」と刻まれております。岩船寺にも白山春日ございましたね〜元の場所に戻り、今度は道路向かいの細道へ入り、浄瑠璃寺奥之院へ。無造作に点在する巨石たち五輪塔が刻まれているのかしら?日が当たらない為にぬかるんだ場所の多い山道をそこそこ歩き程なくして到着■浄瑠璃寺奥之院 不動明王像右上の、足首の残っている場所が以前おられた場所ですが、今の台座になっている大岩が地盤の緩みにより落下し、像を直撃したのだとか。よくまあ、バラバラにならなかった事です…白い部分は補修の痕かな?脇侍向かって右 矜羯羅童子(こんがらどうじ)同じく向かって左 制吒迦童子(せいたかどうじ)以上の三尊は昭和になってから造られた新しいもので、更に上には↓鎌倉時代造の線刻不動明王磨崖仏画像に見えるのは上半身で、左ちょい上の岩には下半身が刻まれております。割れて分断されてしまったんですね。銘文願主僧祐乗 永仁四年(1296)丙申二月四日以上で奥之院を後にしますが、往きでは気付かなかった「徘徊犬を見かけたらご連絡ください」の看板が…ちょいちょいちょーーーい!!そーゆーのは入口に設置しといてねーーー!他になんかの足跡やなんかを捕獲する檻もありました。こわいー!こわいので、次!■水呑み地蔵(旧道赤門坂)傍に今も湧水があり、以前はお休み処の茶屋もあったそうです。後に紹介する藪の中磨崖仏と同じ頃(弘長二年)の古いものなんだとか。銘文願主僧東小田原□□院大工□□■一鍬地蔵磨崖仏…どれ?って正直思いましたが上部の直線的な部分に刻まれているそう風化が進みすぎていて判別できず、立て札がないと確実にスルーするでしょうね。スルーする因みに一鍬地蔵の名は、線刻部分が鍬でえぐり取った様に見えるからだそうです。■唐臼の壺穴が粉を引く唐臼(からうす)に似ていて、それが訛ってカラスになったのだとか。■阿弥陀・地蔵磨崖仏(カラスの壺)左の隠れている面に地蔵菩薩がおられます阿弥陀如来線彫燈籠の火袋に彫り込みを入れ、灯明が供えられる珍しいもの。銘文康永二年(1343)癸末三月十五日願主恒性地蔵菩薩銘文康永二年(1343)癸末三月廿四日願主勝珍■春日神社(東小田原随願寺跡)随願寺は平安時代中期の創建で現在は廃絶西小田原寺の異称があった浄瑠璃寺に対して東小田原寺とも呼ばれていたのだとか何故か立入禁止そしてまた春日神社■あたご灯籠(江戸時代)愛宕の神様は火伏せの神で、当尾では正月にここからおけら火を取り雑煮を炊く風習があったそうです。■藪の中三尊磨崖仏正面の岩に地蔵菩薩とやや小さい十一面観音菩薩、向かって左の岩に阿弥陀如来を配する非常に珍しい配置の磨崖仏なんだとか。当尾の石仏中最古の1262年彫刻との事。銘文東小田原西谷浄土院 弘長二年 大工橘安縄 小工平貞末右 十一面観音菩薩左 地蔵菩薩阿弥陀如来順路的に前後しますが、岩船寺奥之院の不動さんへ道中、転がってきたら絶対アウトな巨岩■不動明王磨崖仏(一願不動・府指定有形文化財)ひとつだけ、一心にお願いすればその願いを叶えてくれる不動さん。銘文弘安十年(1287)丁亥三月廿八日 於岩船寺僧□□之会造立■弥勒仏線彫磨崖仏(ミロクの辻󠄀・府指定有形文化財)笠置寺本尊の弥勒磨崖仏をかなり忠実に模写したものらしいです。風化で見えにくくなってますね銘文願以此功徳 普及於一切 我等与衆生皆共成仏道文永十一年(1274)甲戌二月五日為慈父上生永清造之□□□□大工末行そして最後に■阿弥陀三尊磨崖仏(わらい仏・府指定有形文化財)当尾の代表的な石仏のひとつ蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏で、やさしい笑みをたたえています。上部の屋根石が廂となり、風蝕も少なく保存状況も良好です。銘文永仁七年(1299)二月十五日願主岩船寺住僧大行末行■ねむり仏(わらい仏すぐ横)以上で当尾石仏散策終了となります今回の散策で感じた事は、複数人でまわる方がいいという事ですね。特に険しいわけではないと思うのですが、多少のアップダウンやぬかるみがありますので、もしもの時の備えとして。あと、季節によっては危険な動物に遭遇する可能性も有りますしね。夏場やその前後は虫が最悪だと思うので、個人的には晴天の続く冬場がベストかと。そもそも、ひとりは不安でさみしい!まだまだたくさんの石仏がおられますが、またの機会に。