仕事で大阪市平野区に来たので、用事済ませてから杭全神社近辺を散策してきました。

 

 

 

 

 

 

 

早速ですが、先ずは

 

■「畠山政長之墓」石碑
 
メインの場所から少々外れておりましたので、今回は墓所へは行きませんでした。
 
畠山政長(はたけやままさなが)とは〜…
室町幕府管領で、畠山持国の子義就(よしひろ/よしなり)との家督相続の争いで、かの有名な「応仁の乱」の一因をなした人物。
1493年、義就の子基家(もといえ・後に「義豊(よしとよ)」に改名)に敗れて自刃しました。
 
 
続いて
 
 
■含翠堂跡
 
平野七名家の土橋友直(つちはしともなお)らによって1717年に創設された大阪初の民間学問所。飢饉の際、救済活動などもしたそうです。
1872年、学制発布により155年の歴史に幕を閉じました。
 
 
 
■奈良街道 道標 その①
 
西「右 ふじいてら 大峯山上」
北「すぐ 道明寺 左 志ぎ山」
 
 
南「すぐ 玉つくり 左 天王寺」
 
 
東「弘化二乙巳四月 世話人」
下段、右から左に「金 大 豆」
 
 
 
■奈良街道 道標 その②
 
西「當社 熊野権現 祇園宮」
 
 
右 大坂
寛政十二庚申歳春三月建之
      世
    話
  人
芋 島 新 吉 徳
万 源 作 西 強
 
 
南「右 ふちゐ寺 大峯山上 かうや山」
 
 
東「すぐ 天王寺 大さか」
 
 
道標近辺は、古い町並みが残ります
 
 
 
梵家「なんて」
梵家で「そよぎや」と読むそうです
 
 
だんじりのミニチュアが飾ってあったので、てっきりそれ系の工房か何かかと思っておりましたが、オーガニックヘナや和アロマプチセミナー、和ハーブティプチ体験などができるスタジオとの事でした。
 
 
かたなの博物館
今回は入館しませんでした
 
 
 
廃病院
 
 
 
健康保険の「険」が
を足して2で割った様な異体字
 
 
古い町並み云々言う割に写真そんな撮ってなかったです🤮いつもの事よ
 
 
 
そして
 
 
 
 
 
国道沿いに建つ杭全神社の鳥居⛩️
 
 
 
以前の参拝記です↓

 

 

 

 

8年前かぁ〜〜
 
 
結構長めの参道(御幸筋)を歩きます
 
 
 
注連柱
ここからが境内
 
 
樹齢1000年を超えると伝わる御神木の巨楠(大阪府指定天然記念物)
 
 
🐇
 
 
大門を越えて
 
 
拝殿にてお参り
 
拝殿の後ろに本殿、他多くの摂末社がございますが、時間的な事で今回の参拝は以上です。
 
ヒッチコックか言うくらいカラスいました



 
大門を出まして、参道途中の
 
 
 
 
■宇賀神社
 
 
向かいの謎石碑
漢字いっぱい刻まれておりますが、気合がないと読めません。
 
 
 
■お茶池橋跡
杭全公園の奥に橋だけが残っております。
昭和44年頃まではお茶池がありましたが、埋め立てられ今に至ります。
 
 
 
お茶池橋跡すぐ北側の
 
■平野郷町大阪市編入記念碑
 
の正面(多分)
 
 
 
裏(多分)
 
 
以前は、写真のモニュメントが杭全神社境内に建っておりました。
て事は、件の碑は2代目という事ですね。
何故こちらに建て直したのかはわかりません。
 
 
更に北側に伸びる
 
 
 
■平野環壕跡
戦国時代の動乱の時代に、自衛、灌漑、排水用、あるいは洪水時の調整池などの目的で掘られたと考えられています。
前述の宇賀神社周りの弁天池、お茶池も環壕の一部でしたが、現在は写真の杭全公園北側と赤留比売命神社背後の土塁が残るのみです。
 
 
 
更に更に北側、平野川沿いに建つ
 
法要記念碑
 
 
六十六部廻国供養塔
「奉納大乗妙典」でしょうね
 
 
日本囬國六十六部
行者 當郷 武平建□(立?)
 
 
天下和順
日月清明


平野川は氾濫で多くの人が犠牲になった川でもあり、様々な法要記念碑、供養塔が建てられています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
………
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
暑い
 
 
 
 
 
 
強制終了