前回の浄瑠璃寺に続き、岩船寺へ到着です。
 
浄瑠璃寺もそうですが、変に観光地化されていないので参拝者もまばら。先日石仏散策に訪れた時も、道路の落ち葉を掃除する業者の方々や、ジョギングされている数名と、数組の参拝者としかすれ違いませんでした。
 
猫ちゃんともすれ違いませんでしたしね〜
 
 
 
 
 
今回は、前回みたいな小ボケもなく、写真多めで淡々と進めます。
 
 
小ボケは本来要らない
 
 
 
 
 
 
先ずは、何故そこに感有りの
 
石風呂
なになに〜看板によると、鎌倉時代に寺塔三十九坊の僧が身を清められたのだとか。
 
 
道路竣功碑
形があたご灯籠に似てる
 
 
地蔵さん
センター右下にも小さい地蔵さん
 
 
入山料500円を納め、境内へ
 
 
 
先ずは本堂へ参拝
 
岩船寺の創立は、天平元年(729)行基が阿弥陀堂を建立した事に始まります。
その後、弘法大師と甥の智泉大徳が報恩寺を建立、更に、嵯峨天皇の皇后により堂塔伽藍が整備され、寺号が「岩船寺」となりました。
 
 
 
続いて
 
 
石室不動明王(重文・鎌倉時代)
 
 
アップ
仕方のない事ですが、そこそこ摩滅しています
自然の力には敵いませんね
 
 
 
厄除け地蔵菩薩(鎌倉時代)
 
 
五輪塔(重文・鎌倉時代)
東大寺別当平智僧都の墓と伝わります。昭和初期に岩船の北谷墓地より移されました。
 
 
十三重石塔(重文・鎌倉時代)
正和三年(1314)妙空僧正の建立と伝わります。昭和18年、軸石のくぼみから水晶の五輪舎利塔が発見されました。
 
 
身代り地蔵
いっぱいいらっしゃるので、どちら様がそうなのかはわかりません。それとも全員?
 
 
宝篋印塔の彫刻
 
禮拜供養
八十億劫
生死重罪
 
だと思います。調べた限りでは。
 
 
五輪塔
 
 
ご縁観音
 
 
徐々に埋まりつつあります、私
 
 
ニヤリ
 
 
徐々に苔にアレされつつあります、私
 
 
私の前のピンクのそれ、雰囲気壊すわ〜
 
 
開山堂横に建つ歴代住職のお墓
 
 
三重塔(重文・室町時代)
仁明天皇が智泉の遺徳を偲んで建立されたと伝わります。
因みに、智泉は14歳で大師の弟子となり、篤い信任を得たそうな。
 
 
 
塔の三段四隅の垂木を支える「隅鬼(天邪鬼)・重文」
 
 
歓喜天堂まで少し登ります
 
 
道中三重塔を臨む
 
 
歓喜天堂鳥居
 
 
歓喜天堂
東大寺別当平智僧都が心願成就祈願のために歓喜天を祀ります
 
 
更にそこそこ登りまして
 
 
貝吹岩
その昔、広大な境内に三十九の坊舎があった頃、一山の僧を集めるために乗って法螺貝を吹いた一枚岩
 
 
鐘楼側より三重塔を臨む
 
鐘楼の写真はありません
 
 
 
 
いただいた御朱印
御本尊の阿弥陀如来のものです
 
 
 
では、山門手前の石風呂まで戻り
白山神社へ向かいます
 
 
 
向かって左が白山神社で、右が摂社の春日神社です。
ふたつ前の画像の標柱には「白山神社 春日神社 重要文化財」と刻まれておりますが、白山神社が重要文化財で、春日神社が京都府登録文化財ですね。
 
 
そして、社殿まわりにおられる神さま仏さま
盗難や損壊への対策でしょうか、地域に点在していたのをこの場所へ集めたのですかね〜
 
結構多いので、判読できたもののみ載せておきます。
 
 
 

べんざいてん
 
 
■右 南無 天理 記号みたいな2文字はちょっとわかりません。
■左 月天子 星天子(明星天子) 日天子
三光天子(大乗仏教に取り入れられた三柱の星神)…と。ふむふむ
 
 
■右 八玉子
■左 □喜天(歓喜天?)
 
 
ほてい
 
 
ぎおん 牛頭天王
 
 
大こく天
 
 
ゑびす
 
 
こんごう山(多分)
 
 
謎祠あり
 
 
 
 
以上、岩船寺参拝でした。
 
最初にも書いた通り、ほぼ貸し切り状態でしたので、ゆっくりじっくり参拝できました。
まあ、ちょっと寂しい気もしましたが、それはそれで良しです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
猫ちゃーん!
from 浄瑠璃寺