■大黒堂
大和七福神八宝霊場の一所
 
 
では、奥の院へ向かいます。
 
 
■弘法大師御影堂
宗祖 弘法大師1150年御遠忌を記念して、昭和59年に総檜で建立されました。
御遠忌(ごおんき)とは、仏教諸宗において歴代上人の百年以上の年忌で、50年毎に一度行われる大きな法要の事です。
 
 
横から
 
 
弘法大師像
 
 
 
 
 
■五重塔
昭和29年再建。戦後日本に初めて建てられた五重塔で、「昭和の名塔」と呼ばれております。
 
 
■三重塔址
明治9年、落雷により焼失
 
 
本堂を望む
 
 
 
 
 
 
■奥の院 興教大師祖師堂
長谷寺の塔頭寺院
このお堂を正堂、隣の陀羅尼堂を礼堂で、併せて菩提院と称します。
 
 
奥の院最深部
こちらに豊臣秀長公の供養塔と、真言宗豊山派派祖 専誉僧正廟塔がございます。
 
 
写真に収めていないお堂などもありますが、奥の院は以上です。

一旦本堂へ戻り、今度は本堂の東側へ向かいます。





 
 
 
お地蔵さんですね
 
 
■三社権現(滝蔵三社)
初瀬の里の地主神で、本堂の北東、石垣の一段高い場所に鎮座(さっきの地蔵さんのちょい上)
⚫中央:滝蔵権現(たきのくらごんげん)
⚫向かって右:石蔵権現(いわくらごんげん)
⚫向かって左:新宮権現(しんぐうごんげん)
 
733年(天平5)、この場所に滝蔵権現が現れ、徳道上人に「本堂を守る」と告げた場所。
滝蔵権現は、虚空蔵菩薩が老夫の姿で現れ、石蔵権現は、地蔵菩薩が比丘(一般に僧侶の事を言う)の姿で現れ、新宮権現は、薬師如来が柔和な女性の姿で現れると伝わります。
 
 
三社権現より更に一段高い場所に鎮座の稲荷社🦊
 
 
ちょいちょい本堂を望む
 
石垣の高台を降り、もうひとつの塔頭寺院「能満院」へ
 
 
観音様ですかね
 
 
「大僧正 海量」の文字が見えますね
 
 
 
 
 
で、能満院に到着ですが………写真なし!
撮ったハズなんやけどなぁ〜〜〜
まあ、仕方ないです。無いものは無い。
 
 
 
いただいた御朱印で勘弁
 
 
では、東参道より仁王門まで下ります。
 
 
大阪〜〜〜
ちと読めません
 
 
不動明王🔥
 
 
 
 
何か書いてるな〜って目をこらしたらぁ〜〜「ケーブル」って書いてました〜〜〜
 
ちっくしょー!
 
二本(ふたもと)の杉(奥の濃い茶色の方です)
謡曲「玉鬘」にて、玉鬘の霊が初瀬詣の旅僧をこの杉の下へ案内します。
 
 
中央:藤原定家(ふじわらのさだいえ/ていか)塚
右:藤原俊成(ふじわらのとしなり/しゅんぜい)碑
 
 
馬頭観世音
 
 
 
そして、仁王門到着
 
 
万葉集歌碑(詠人知らず)
 
 
総本山長谷寺和讃(長谷寺の御詠歌)
 
 
ちょいちょい出没される不動明王🔥
どちらにいらっしゃったかは忘れました。
 
 
宿坊 大熖魔坊

最後に、いただいた長谷寺の御朱印

西国三十三所観音霊場の納経帳に(昨年)


通常の御朱印帳に御本尊の御朱印(昨年)


御本尊と、弘法大師御生誕祝1250年の記念御朱印(今年)
次回は別のもいただこう


2023 季節限定『大和三大観音 あぢさゐ回廊』の切り絵御朱印(授与終了)
同じく奈良札所寺院である「壷阪寺(高取町)」「岡寺(明日香村)」でもいただけましたが、私はパスしました。




以上、奈良県長谷寺参拝でした。

次回は、同じく西国三十三所の番外札所「法起院」と、日本最古天神「與喜天満神社」です。



あ、そうそう、長谷寺の奥の院とされる(菩提院も奥の院だから、2箇所って事なのかな?)「瀧蔵神社」が、長谷寺の北約3kmの場所に鎮座しており、私はまだ一度も参拝していないのですが、何やら、そちらにお参りしないと長谷寺でのご利益が半減するとかしないとか。


でも、大丈夫





神仏はそんなセコくありません(多分)



いや、てか、4回も来てるんやから参拝せえよ!