梅雨明け宣言後にそこそこ雨降るという、今年も梅雨明けあるあるだった梅雨明け最初の3連休中日、せっかくの晴れ間だったので、ちょっと暗峠をカブで越えてきました。
梅雨明けって何回言うねん
て言っても、今回は越えるのが目的ではなく、暗越奈良街道沿いに点在する石仏などをじっくり見る為。
峠越えは何度もしてますが、毎度スルーしてたので。て言うより、車では止まれないので。
と言うわけで、カブで越えるのは初めてです。
先ずは、暗越奈良街道と東高野街道が交差する五叉路「箱殿東」交差点からスタート。
その交差点の片隅に在る
じゃなくって
弘法大師堂です。
お堂の壁側なので西の写真はこれが限界。
西 江 すぐ 大坂 金ひら(金比羅?)道
と刻まれているのがギリ読めました。
杉山三記雄著「暗越奈良街道を歩いた旅人たち」によると、この道標はもともと交差点の東南角に建てられていたらしく、謎石の方は、田んぼの畦道に架けられていたものが、踏んだ人が次々と災難に遭うという事で、こちらに移されたのだとか。
閉じられていたお堂の扉は開けてお参りできたみたいですね。
中央に弘法大師さん、周りに十数体のお地蔵さんがいらっしゃるそうです。
モザイクはマイカブ
知ってる
葉っぱちょっと邪魔〜
さて、この先近鉄奈良線をくぐり、線路沿いを少し進んだ後、酷道の名に恥じぬ最大斜度26度(勾配48.7%!?)の狭路激坂がはじまります。
大して登ってないんですけどね。くそ暑かったもんでね。
ちょっと徒歩で横にそれて
あべのハルカスも見えてます
一旦橋の方に戻り、ちょっと徒歩で上がって
長持ちしてるんでしょうね
どういうアレなのかはちょっとわかりません
そして、この近辺に古墳があるらしく、探し回ったのですが、それらしいものが見つからず、苦し紛れにそれっぽいものをと撮った写真が
豊浦谷一号墳
街道沿いにもう一基、周辺には数基あり、「豊浦谷古墳群」と呼ばれています。
土師器、須恵器、瓦器、中国産陶器などが発掘されました。
北方には「みかん山古墳群」があり、この辺りを古代から水走氏(みずはい、みずはや)などの有力豪族が支配していた事と何らかの関係があるのではないかと言われています。
長持ち石も何か関係あるのかしら?
上のベンチに座るおねえさんに不審がられました。
違うねん!古墳を撮ってるねん!
元々この場所には江戸時代の芭蕉句碑が建てられていましたが、土砂崩れで行方不明に。そこで、明治時代に再建されたものがこれなのですが、大正時代の大雨で偶然当時の句碑が発見され、前述の枚岡公園地蔵近くの勧成院境内に移されました。