書き始めると、何故か程なくして眠くなってしまい、遅々として進まなかった難産記事、それが…
 
 
 
西国三十三所観音霊場第五番札所
 
 
葛井寺(ふじいでら)
 
 
神亀2(725)年、聖武天皇の勅願により大伽藍を建立、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺とも)と名付けられ、行基が十一面千手千眼観世音菩薩像の開眼法要を務めたのが始まり。
境内の調査により、元々は河内に勢力を持っていた百済王族の子孫、葛井氏の氏寺であったとも言われています。
 
 
 
まあ、それはいいとして(よくはないやろ)、石写真過多につき、ご注意ください
 
 
何に?
 
 
 
車を東のパーキングに停めたので、先ずは東門から境内に入り、
1年がかりの大改修を終えた南大門(重文)へ
大阪の山門で、二階造りの楼門は非常に珍しいのだとか。
 
 
象のような聖獣
 
 
順序逆になりましたが、南大門前の道標
左も右もすげえくずし字ですが
「左 道明寺 たつた ほうりうじ なら」
 
 
「右 つぼさか よしの はせ い勢」
 
 
 
 
向かい側に更に古そうな自然石の道標がありましたが、写真撮り忘れたので、グーグルストリートビューにて拝借
「左 つぼさか」
 
 
西国霊場
五番札所
ふぢゐ寺
 
くずし字解読するのしんどい!
楷書で書いてくれ!
 
じゃあ読むなよ(笑)
 
 
裏は楷書なのにね〜
 
 
大阪 余力講
「余」だとは思うのですが、「念力講」の方が強そう
 
強そう言われても…
 
 
なんちゃらかんちゃら
 
 
井真成(いのまなり)
8世紀に阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)と共に19歳で海を渡った遣唐使で、当寺の創建に関わった葛井氏の一族。帰国目前に36歳で急死しました。
 
 
千社札いっぱい
今はもう貼ったらあかんで!
 
 
阿弥陀堂は改修中
 
 
本堂
 
安永5年(1776)に再建された、国の重要文化財
御本尊は「十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音坐像)」で、現存する日本最古とされ、国宝に指定されています。
 
古い本からお借りしました
 
 
 
 
 
 
何気にクセ字な観音講
 
 
 
 
本堂前の紫雲石燈籠
 
…の、レプリカ!(明治時代)
 
オリジナル(鎌倉時代)は傷みが激しいため、裏庭に保管されているそうです。
大阪府美術品の指定を受けております。
 
 
 
 
…の、裏
堺の介がメ☓、施の旁が色になってますね〜
異体字ですね〜
カワイイですね〜(ムツさん風)
 
 
 
旗掛けの松(三鈷の松)
 
南北朝動乱期、楠木正成(くすのきまさしげ)が本堂へ戦勝祈願をした際、この松に菊水の旗を掛けたとされています。
氏の三人の息子に、この三葉の松葉の様に三人が力を合わせひとつになって武士道に励むよう誓わせたとも言われています。
 
 
 
 
弁天池にお祀りされている弁天さま
 
左に見える建物は、境内にある「ヴィクリディタ・サマデ・キリク」という、詠唱呪文の様な厨二をくすぐる店名のカフェ
ヒンディー語で「観音様と共に一服してください」という意味です。
葛井餠をいただけます。
 
 
 
 
 
釣鐘堂
 
 
高野山奥之院
 
 
弘法大師
 
 
西国三十三所お砂踏み
 
第一番 青岸渡寺
 
 
第二番 金剛宝寺
 
 
四脚門(西門)
慶長6年(1601)豊臣秀頼により建立された旧南大門で、国の重要文化財
 
 
楠木正成が、前述した菊水の旗や守り刀を、子の正行は大般若経六百巻をそれぞれ寄進。「太平記」のいう「藤井寺の合戦」の際はここに陣を敷いた事も。
 
 
4月下旬〜5月上旬には、キレイな藤の花が見られるのでしょうね
 
 
弘法大師手堀井戸と言われる手水舎
 
 
 
 
 
 
最近、無駄に手水舎の動画を撮るのがブームなので、お付き合いください。
 
 
 

御朱印いただきました
御本尊のものもありましたが、毎月18日に御開帳されていますので、藤の花がキレイな時期にでもまた訪れていただこうかしら。
 
 
 
以上、西国三十三所第五番札所、葛井寺参拝記でした。
どこに眠くなる要素があるのかわかりませんが…
 
 
 
 
 
その写真で締めるの!?