幼少期のまでの記事はこちら。
小学生までの記事はこちら。
中学生時代の記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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学校の成績でいうと、
私は割とクラスでも勉強が出来る方ではありましたが、
小学校の頃から一緒に遊んでいた、
すーちゃんよりは少し劣っていました。
友達のすーちゃんは、
お父さんが会社を経営していて、
家の中に有線放送を引いているほどのお金持ちで、
(田舎でそんな家に住んでいたのは、すーちゃん位でした)
家庭での躾もしっかりされて、
小学生の頃は、
毎日自宅学習用の、
ポピーという教材で勉強していました。
それでも小学生の時には、
県版テストという、
県で一斉に行われるテストで、
学校でただ1人、
国語で100点を取るなど、
時々、皆んなが驚く結果を出していた私と、
平均的に全ての教科で、
成績の良いすーちゃんの間には、
総合的な成績にそれほど大きな差はなく、
生徒を成績で判断する担任のO先生が、
本当はすーちゃんの方が良かったのに、
間違って、
私をクラスの副委員長に任命する位の、
差しかありませんでした。
けれど中学校も2年生になり、
高校受験が視野に入ってくるようになると、
有名な塾に通い出したすーちゃんと、
相変わらず家で何もしていない私との、
成績の差は徐々に開いていきました。
小学生の時に母親から、
と吐き捨てるように言われた私は、
勉強が出来ない努力をしていましたが、
それでも中学校で、
自分の成績が良いことを、
同級生から羨ましがられてからは、
母親から、
「お前は女の子で、いずれ(結婚して)、
この家を出ていく人間だから学は要らない」
と言われ、
勉強にも身を入れて頑張るようになっていました。
でも、
すーちゃんだけでなく、
クラスの他の子達も、
塾に通い出して成績が上がってくると、
学校の授業しか受けていなかった私は、
だんだんと成績上位者から、
ちょっと成績がいい人、
位に順位が落ちてくるようになりました。
それまでの生育歴により、
自己肯定感が低かった私が、
同級生に成績を褒められることで、
自分の自己肯定感を上げることが出来たため、
私も他の子供達と同じように、
塾に通いたかったのですが、
「女の子は勉強より家のことが出来た方がいい」
と言い、
「お前は高校までだからね」
と母親に宣言されていた私は、
もちろん、
そんな事を母親に言い出すことは出来ず、
夏休みや冬休みの前になると、
新聞の折り込み広告の中に入っている、
塾のチラシを羨ましく、
眺めているばかりでした。
すーちゃんは、
塾に行っている子の中でも別格の、
親が送り迎えしないと通えない、
遠くの成績が優秀な子の集まる塾に行っていて、
中学校の2年生の中頃には、
学年の中で他の子が追随することが出来ないほど、
頭1つ抜きん出た、
学年のトップを誇っていました。
私はそれだけでも、
親が自分の未来に対し、
献身的に協力してくれるすーちゃんのことを、
とても羨ましく思っていたのですが、
(成績が良いと進学先が広がり、未来の選択肢も広がると考えていました)
さらに、とても衝撃的な話が、
私の耳に飛び込んできました。
それは、すーちゃんが、
「県で1番優秀な公立高校を受験するため、
その高校の学区に引っ越す」
という内容でした。
その話は本当で、
すーちゃんは中学2年生の終わり頃、
県で一番優秀な高校の学区内に建てた家に、
家族で引っ越していきました。
私はこの出来事で、
2つの大きな衝撃を受けました。
・すーちゃんが家族からそこまで大切にされているということ。
・すーちゃんが私よりも、高校のための転校を選んだこと。
最初の1つ目の、
「家族からそこまで大切にされている」
という思いは、
自分が家族に大切にされることは、
小学生の頃に諦めていたため、
そこまで家族に大切にされているすーちゃんを、
羨ましくは感じても、
恨む気持ちにはなりませんでしたが、
2つ目の思いに関しては、
裏切られたような、捨てられたような、
どす黒い気持ちを持つことを、
止めることが出来ませんでした。
小学生の頃から、
家に一緒に帰るようになって、
すーちゃんのお母さんから、
と言われて一時期疎遠になったものの、
学校という社会で生きていけなくて、
すーちゃんに普通を教わる私と、
優等生だけど、
やっぱり友達作りが上手くなくて、
私を従えることで、
自分のプライドを守っていたすーちゃん。
私とすーちゃんの間には、
友情と簡単に呼ぶには難しい、
共依存のような関係が、
出来上がっていたのでした。
そんな中から、
1人、私を置いて、
抜け出ていったすーちゃん。
それは私にとって、
自分1人が暗闇に捨てられたような、
孤独な気持ちを味あわせました。
「私は独りだ」
他にも友達は居たけれど、
共依存関係にあった人間を失った私は、
そのような気持ちに囚われました。
いえ、本当は、
そんな理路整然とした理屈がある訳では無く。
小学校入学時、
発達障害の特性全開だった、
本来の私らしい私と、
ずっと毎日一緒に遊んでいたすーちゃんが、
私に何を言うこともなく転校を決めて、
私の目の前から居なくなったことが、
寂しかったのでした、、、
マルトリートメント私61.病気を望んだ結果に続きます。