マルトリートメントと私57.私が親に秘密で購入していたもの | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

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25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、

マルトリートメントと私1.私の1番古い記憶

をご覧ください。

 
幼少期のまでの記事はこちら。
小学生までの記事はこちら。
中学生時代の記事はこちら。

※自分の記憶に基づいて書いているため、

事実と違っている可能性があります。
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私は日用品も自分のお小遣いから購入していた、
と書いたのですが、
私が自分のお小遣いから購入していた物の中で、

「絶対に親に見つかってはいけない」

と思って、
こっそりと購入していた物がありました。

それは、、、

「生理用品」

でした。

実は私は小学校5年生くらいの時には、
生理が始まっていたのですが、
決してそのことを、
母親に伝えようとはせず、
いつも時期がくると親にバレないように、
血のついた下着をお風呂に入っている時に、
こっそりと手洗いしたりしていました。

それにはやはり、
小学校3年生の時に、
父親から受けた、
性的マルトリートメントによる心の傷が、
関わっていました。

私は自分が成長したら、
今以上に酷いことを父からされると思って、
自分が成長することを嫌悪していました。

そして父親から体を触られるといった、

「お前もそれくらいのことで泣くな!!」

と母親から怒鳴られてしまった私は、
誰も自分を守ってくれないと感じていました。

そんな私にとって、
自分の体が成長していくということは、
とても恐ろしいことでした。

私に生理が始まったことを知った母親が、
そのことを話した場合、
父から自分がどのような目で見られるか、
そのことを思うと、
とても怖くてたまりませんでした。

父から自分の性器を触られたと、
そのおぞましさに泣いた私を、
叱りつけた母親のいる家で、
私を守ってくれる存在など望めませんでした。

そして何より。

そんなことを恐れている自分が汚くて醜いと感じていました。

だから私は、大人になどなりたくなかったのです。

そのため私は必死に、
自分に生理が始まったことを隠し続けました。

同級生の中には、
自分で生理用品を購入するのが恥ずかしいからと、
母親に買ってきてもらうという子もいましたが、
私にとっては、
自分の家族に生理が始まったことを知られる位なら、
多少の移動費を使ってでも、
家から離れた、
自分を知らない人が経営するスーパーや薬局で、
自分で生理用品を購入する方が、
よっぽどマシでした。

母親が小学校で行われた、
女子児童を持つ親に対する、
性教育の講座に参加してきた後、
私に対して、

「お前はまだ生理は始まってないよね?」

と言ってきた時には、
すでに私は生理が始まっていたのですが、
私は、

「うん」

と嘘を吐きました。

そのような会話の時には、
いつも私は、
20歳の時に睡眠薬が欲しくて、
受診した精神科医から診断を受けた、

「離人症」

の時の状態と同じように、
自分の体を自分の意識が離れて、
目の前の光景に薄い紗幕がかかり、
会話している自分を、
他人事のように感じていたため、
きっとその状況が耐えられなくて、
解離していたのだと思います。

それほど私は、
自分の体が成長することを嫌悪していました。

けれど同じ家で暮らしていながら、
生理が始まったことを隠し続けるのは、
やはり無理がありました。

私は中学校1年生の時に母親に、
生理が始まったことを、
言い逃れが出来ない場面を見られてしまい、
白状するしかありませんでした。

それは私にとって、
まるで自分の罪を認めるかのような、
重苦しい告白でした。

けれど母は、
そんな私の気持ちなど、
一切気付かないようでした。

母は私から、
生理が始まったという言質をとった日の夜、
いそいそと夕飯に赤飯を出してきました。

兄がなんで夕飯が赤飯なのか、
母に聞いていましたが、
母は、

「何だっていいでしょ」

といった答えをしていました。

けれど、もう、
中学校2年生だった兄には、
きっと見当がついていたことでしょう。

私は自分の体から解離しながら、
ただその茶番を見つめていました。

「何がめでたいのだろう」

私の心は、
体が大人になったことを親に知られた、
その絶望感でいっぱいだというのに。

私は母親から、
さっさと生理が始まったと言わないから、
ちゃんと赤飯を豆から炊くことが出来ず、
レトルトで済まさなければいけなかったと、
苦情を言ってこられたのですが、
私の心の状態に気づくことなく、
何かの決まり事を守るように、
赤飯に固執する母に、
無反応でいることしか出来ませんでした。

自分と関係ない世界の出来事だと、
思わないことには、
私の心が持たなかったのです。

ただ、その時に、
父親が出稼ぎで不在していたことだけが、
唯一の救いでした。

けれど、やはり父親なので、
一生会わないという訳にはいきません。

父が出稼ぎから一時帰宅してきた時に、
父は私と2人きりになるのを見計らって、

「母さんから聞いたぞ」

と言って、
私に生理が始まったことを揶揄してきました。
父は生理のことをメンスと読んでいて、
その響きが私は嫌でたまりませんでした。

父の顔を直視出来なかったものの、
私の頭の中には、
私が小学生の時に父が私を背後から抱き寄せて、
母との性行為を語った時の状況がフラッシュバックして、
とても正常な精神状態ではいられませんでした。

私は父親から、
性的マルトリートメントを受けて以降、
スカートを履くことが出来なかったのですが、
父親が出稼ぎに出てから、
人に愛してもらいたいという欲求も手伝って、
少しずつ、
女の子らしい格好をするようにもなっていました。

けれど、この時から。

また、自分が女であることに、
嫌悪を感じるようになってしまい。

「私は父親にオモチャにされた醜い汚らしい人間だ」

という死にたい気持ちに、
また囚われるようになっていきました。

そして、
そんな醜い汚らしい私が抱くのは恐れ多い。

「愛される可愛い女の子になりたい」

という欲求を、
心の奥底に沈めたのでした。