幼少期のまでの記事はこちら。
小学生までの記事はこちら。
中学生時代の記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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自分のことを好きだと確認した男の子に、
私が感じた感情は、
「恩」
でした。
機能不全家族の中で、
愛情を感じられなかった私にとって、
自分のことを好きな相手が存在してくれるなど、
分不相応に有り難いことだったのです。
「こんな私を好きになって下さってありがとうございます」
とても卑屈に聞こえるかもしれませんが、
私は大真面目に、
最大級の感謝を持って、
自分を好きになってくれた男の子に、
このような思いを抱いていたのでした。
恩を感じ、感謝していた私は、
この恩に報いたい、と考えました。
普通の定型発達者ならば、
自分を好きな相手のことを、
自分が好きでは無かった場合、
相手の気持ちは嬉しいけれど、
応えられないと考えるのでしょうが、
私は愛着障害とASD(自閉症スペクトラム)を併せ持った、
自己肯定感の低い人間だったため、
自分に寄せられた好意には、
応えなければいけないと思い込んでいて、
相手を好きとか嫌いとかいう感情など、
二の次になっていました。
(そして私には恋愛感情は理解出来ていませんでした)
私はどうしたら、
この男の子の愛情に報いることが出来るだろうか、
と考えました。
そして乏しい自分の知識と過去の経験から、
ほぼ唯一の、
男の子を喜ばす方法を探し出したのです。
それは、自分が小学生の頃、
自分を嫌っていた父を喜ばした方法でした。
中学生の男の子と言えば、
友達同士で性的な話をしたがる年齢で、
クラスでもその男の子が、
ふざけて友達と、
性的な冗談を言っていたため、
ASD(自閉症スペクトラム)の性質から、
その冗談を額面通りに受け取っていた私は、
父を喜ばした方法で、
その男の子も喜ばすことが出来ると思っていました。
ただ父との出来事は、
私の中で二度と触れたくない、
トラウマレベルの出来事であり、
そのトラウマのせいか、
中学生女子にしては、
私は性的知識の乏しい人間だったため、
男女の間の行為には、
自分が相手の体を触ってあげて、
相手にも自分の体を触らせるという、
行為以上のものがあることを、
よく分かっていませんでした。
私はその男の子が好きだから、
好き合っている男女間の行為を、
しようと考えた訳ではなく、
どちらかといえば、
仏教説話の中に出てくる、
倒れた老人を助けるために、
火の中に飛び込んで我が身を焼き、
食料として差し出す兎のような心境でした。
兎と同じように私は、
我が身以外に、
この男の子に差出せるものなど、
持ち合わせていないと思ったのです。
そんな折。
この男の子の仲のよい友人達と、
私が所属していた女子グループは、
仲が良い人間が多かったため、
この男の子の家に、
男の子の友人達が集まる時に、
私達女子グループも、
一緒に遊びに行くことになりました。
その時に、
その男の子の友人達と、
私の所属していたグループの女子達は、
ワザと私とその男の子を、
2人きりにして部屋に閉じ込めてしまいました。
友人達は冷やかし半分だったようですが、
私にとっては受けた愛情の恩を返す、
またとない機会に映りました。
私はその男の子が普段、
友達とふざけて、
女子とやりたいと言っていた行為を、
させてあげようと近寄りました。
けれど、その男の子は、
普段の言葉とは裏腹に、
何の行動も起こさず、
少し戸惑ったように私を見ていました。
(あれ?私を好きなんじゃないの?)
今にして思えば、
その男の子は本当に、
私を好きだと思ってくれていたからこそ、
何もしてこなかったと分かるのですが、
言葉を額面通りに受け取るASDであり、
身近な男性である父親から、
このような行為の時にしか、
関心を示されなかった私は、
私に何もしてこなかったために、
その男の子が本当に私のことを、
好きなのか分からなくなってしまいました。
私とその男の子の間に、
しばらく妙な空気が流れた後、
おもむろに友人達が、
「どう?2人きりで楽しかった!?」
などと言いながら、
閉じ込めた部屋のドアを開けてきました。
騒ぎながら楽しげに、
部屋に入ってきた友人達は、
閉じ込められた私達が、
2人きりにされて照れている姿を、
期待していたようだったのですが、
かなり密接していた、
私とその男の子の様子を見て、
私とその男の子の間に、
(未遂だけれど)何かが起こったことを、
誰も口にしなかったけれど、
敏感に察したようでした。
そのために後日私は、
恋愛話が大好きなTちゃんから呼び出されて、
このようなことを言われました。
「私、中学生で両思いになるのは早いと思う!」
実際にはTちゃんは、
中学生で男女間の体の行為に至ることが、
早いと言いたかったのではないかと、
大人になった今なら分かるのですが、
やはり言葉を額面通りに受け取るASDである私は、
Tちゃんのこの言葉を、
「中学生で両思いになるのは早いから駄目なのだ」
と受け取ってしまいました。
元々、恋愛感情どころか、
愛情というものが、
よく分かっていなかった私は、
その男の子が私のことを好きだから、
恩を感じて好意を返そうとしていただけで、
両思いという訳ではありませんでした。
そして、その男の子が、
私の体を差し出すという恩返しを、
受け取らなかったために、
その男の子が本当に私を好きなのかも、
分からなくなっていた私は、
自分がその男の子と両思いだと思われると、
"中学生で早い行為"を行う私は、
所属している女子グループから外されると考えて、
それからその男の子のことを、
避けるようになったのです。
今なら自分がその男の子に対して、
とても酷いことをしたと分かるのですが、
私がリアルに知っている愛情表現は、
父が母に無理矢理キスをしたり、
嫌がる母に無理矢理性的行為を行った、
という内容ばかりだったため、
その男の子が自分への愛情から、
自分に対して何も行わなかったということを、
理解することが出来ませんでした。
私の頭の中にはすっかり、
暴力的に自分を求めてくれる人こそが、
自分を愛してくれている人だという、
間違った認知が出来上がっていたのでした。
マルトリートメントと私54.受けた報いに続きます。