幼少期のまでの記事はこちら。
小学生までの記事はこちら。
中学生時代の記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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私は中学校1年生、2年生と、
家庭訪問で自分のことを、
変わっていると言い続けた、
O先生に担任を受け持たれました。
このO先生は生徒を成績で判断するところがあり、
中間テストや期末テストなどの答案を、
「皆んなの前で成績の良い順から返し、
しかも上位者の点数を発表する」
という行為を行なっていたため、
成績があまり良くない生徒達から、
とても嫌われていました。
けれど、O先生のこの指導は、
私の中学校生活を、
かなり楽にしてくれていました。
私は集団生活では足を引っ張る人間でしたが、
O先生がクラスの副委員長に任命する程度には、
勉強の良く出来る子供でした。
そのため、O先生がテスト結果を返却する時には、
私は必ず上位の方で名前が呼ばれていました。
小学校時代は運動が出来るとか、
性格が明るくて面白い子などが、
クラスの皆んなの羨望を受けていましたが、
中学校ではそれに加えて、
勉強が出来るというところに、
クラスの皆んなが、
価値を置くようになっていました。
そのため、小学校時代は、
クラスの和を乱す、
ちょっと変わった子供と、
皆んなから思われていて、
集団での虐めも受けた私でしたが、
中学校に入り、
家で勉強もしていないのに、
定期テストで、
いつも上位で名前を呼ばれる私は、
皆んなから、
一目置かれる存在になっていったのです。
私よりも成績の良かったすーちゃんは、
家でもきちんと勉強する、
秀才タイプだったため、
同じクラスの女の子から、
「勉強して成績がトップのすーちゃんよりも、
勉強しなくて成績がいいじゅんちゃんのようになりたい」
と言われたこともありました。
この言葉は、
家庭の中で自己否定を繰り返され、
自分が存在していいかも分からなかった私の、
自己肯定感をとても上げてくれました。
小学生の時に母親から、
と吐き捨てるように言われ、
勉強が出来ない努力をしていた私でしたが、
そんな言葉を言われて、
また勉強が楽しいと思うようになりました。
このような思いが出来たのは、
O先生が、
人を成績で判断する人だったお陰でした。
勉強する楽しさを思い出した私は、
成績が上位のクラスメイト達と、
難しい問題に挑戦して、
誰が先に解けるかを、
競い合ったりしていました。
そんなライバルのような、
仲間のような関係が、
とても楽しく感じられていました。
中学校で出会った2人の先生からは、
ASD(自閉症スペクトラム)で、
1つの物事を突き詰めていく性格からか、
「あなたは研究者になった方がいい」
という言葉を言ってもらえて、
勉強が楽しくて、
自分でもそのような道に、
進みたいと思っていた私は、
一時期は、
その言葉のお陰で、
自分の未来に希望を持つまでになりました。
「生きているのが楽しい」
そんな思いが私の心を満たしました。
幼稚園の頃、
その生育歴から自分の存在を肯定出来ず、
将来の夢を描くように先生に言われても、
何の未来も描けなかった私が、
「将来は研究者になりたい」
という、夢を持つようになったのです。
これは私の中で、
とても大きな心の進歩でした。
けれど私のこのような、
希望に満ちた状態は、
長く続くことはありませんでした。
私の夢や希望はすぐに、
打ち砕かれてしまったからでした、、、
マルトリートメントと私59.打ち砕かれた夢に続きます。