A Day In The Boy's Life -138ページ目

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

今朝は、某人気グループの事件で大騒ぎでしたね。

Twitterのタイムラインもご多分に漏れず、その事件のつぶやきのオンパレードでした。


私自身、このニュースを知ったのが携帯でTwitterを見ていて初めて知ったわけで、やっぱり大きな話題になるとそれに関したつぶやきが、祭りのように乱発されます。

Twitterがニュースメディアになっている証拠なのかなと思ったり。


当然質は求められるものではありません。

ただ、スピードは一級品でその概要をつかむ程度なら十分な内容です。

そもそも、140文字という制限があるので、詳細を求めるのは酷でしょう。


もちろんブログでも同様のことができますが、スピード感であったり拡散の度合いがTwitterよりは遅いと感じます。

Twitterのつぶやきには詳細はこちら、と言う風にリンクがつけられることがありますので、最終的なソースはブログだったり、ニュースサイトだったりしますが。


で、そのTwitterのタイムラインを見ていて感じたことは、このタイムラインって自分オリジナルのものなんだなということ。

フォローしている人によっては、その事件のつぶやきがまったく発信されなかったかもしれません。

フォローしている人は千差万別のため、その人のタイムラインに引っかかるものと引っかからないものが出てきます。

自分のタイムラインがオリジナルのニュースソースになっているんだなと。

おそらく同じタイムラインを見てる人はいないでしょう。


こう考えるとなかなかフォローする人も選ぶ/選ばれる立場になっていくのかもしれないなと思ったり。

自分が興味のある分野にフォーカスして、フォローする人を選ぶんだり。

まぁ、現状でも同じ仕事をしている人だったり、同じ趣味のつぶやきをしている人だったり、この人のタイムライン見てたら面白そうっていう感じで選ばれたりしているんでしょう。


Twitterをどう使いたいかと言うところにもよってくるかもしれません。

「こまけぇことはいいんだよ!」とフィーリングでフォローしあう人もいれば、その中から有益な情報を探ろうとしたり、はたまたその人と仲良くなりたいなと思ったり。

目的は色々あって、そのどれもが自分にとっての情報源になるわけです。


この分野で情報を出してくれる人を徹底的にフォローしようとか、自分の好みに合わせてタイムラインをカスタマイズができます。

オリジナルのニュースソースと考えると、なかなかタイムラインを見る視点も変わってきて面白いなと感じました。

もし、徹底的にフォローする人を選別すれば、究極のメディアハブになるのかなと思ったり。




社内でノウハウを共有して、生産性の高い要員を作ろうとか、業務を効率化しようなんて動きは各企業で長い歴史の中、繰り返されてきたことだと思います。


ただ、これだってやり方がない今、それらの多くは失敗に終わってるんではないかなと思ったりします。

前回失敗したのに、3年後あたりにはまた「よし。うちもナレッジ共有するぞ!」なんてあたかも初めてやるような雰囲気をかもし出しながらプロジェクトが立ち上がり、適当なことをやってはうまくいかず、無用の長物のシステムができあがります。


なぜナレッジ共有がうまくいかないのか


一つはツールのせいだと考える人がいると思います。


ナレッジをシステム登録するのに何でこんなに沢山の項目を入力しないといけないんだ、とても面倒で使う気になれない


とか


検索しても思ったものが出てこない。ダメだこりゃ


とか。

確かにナレッジを共有しようとしたときにいろんな視点を詰め込むとシステムが複雑になって、使いにくいものができてしまい、使えない(使いこなせない)という状況になり、そのうち誰も手を出さなくなると言うことはあるでしょう。

そして、もう一つがルールや業務フローのせいだと考える人がいます。


散々ナレッジを登録したのに何も評価されない。やっても意味がないな


とか


毎月10個登録するってルールだから仕方なく書いておくか


とか。

ですが、ナレッジの共有化を始める前に、そこで働く人の意識を変えさせないと無理じゃないかな、というのが持論だったりします。


それは、ルールで変えることができる場合も一部あるかもしれません。

ナレッジの共有化を積極的にしている人にはインセンティブを与えるとかで。

ですが、そうすることで中身がないものをどんどんと登録して、「私はこんなに登録したんですよ!」って言われても意味がありません。

なんだかブログの世界に似ているのですが、お金もらって中身のあるようなないような記事を書いているようなものに感じます。


実際に目指すべきところは、そのナレッジが役に立って社員が育ち、競争力をつけ、売上げに貢献する人材が出てくると言ったところにあると思います。

なので、あまりにも個人が評価を意識したりルールに縛られたりって事では実現しにくいものではないかなと。



ネットの世界を見てみると


この辺りのことは社内でも社外でも似たような状況です。

最大の情報共有ツールと言うと、Wikipediaを思い浮かべるのですが、あれも無償の奉仕をしてくれる人によって成り立っています。

あの中の記事を書く人はお金をもらうためにやっているわけではないでしょう。


Wikipediaの記事のレベルが低いって言う人がいますけど、そんな人でも共有しようと言う意識があるだけましではないかなと思います。

たとえ、それが内輪で「あの記事の内容ほとんど俺が書いたんだぜ」という程度の自慢をするために書いた、という動機であったとしても。

その人は、Wikipediaに書くことのメリットを感じているわけです。


ですが、社内にはそういうことを感じる人も少ないですし、そう感じるメリットも少ないわけです。

下手なこと書くと評価につながるとか、間違って書くこと恥ずかしいとか、むしろ共有することのメリットよりデメリットのほうが多く意識されていたりするんじゃないかなと。


ネットの世界で情報を発信している人の多くは、それをすることの意味とか喜びとかを感じている人が多いから長続きするんだろうなと思います。

何の反応もない中でただ単にブログを書き続けると言う人は少ないでしょう。

毎日のアクセス数の増減がうれしかったり、もらえるコメントに励まされたり、そこでできたコミュニティが楽しかったり。


そういういい循環ができて使う人の意識が変わりはじめないと、ナレッジの共有なんて会社が決めた中で、嫌々やらされる社員によってすぐに淘汰される運命にあるように思えます。
つまりは、ナレッジを共有する喜びを感じる人を作るとか、それを支援する仕組みを作るとか。

このツールならいけるとか、このツールだからはダメだったとか思う前に、そういうところをまずやるべきではないのかなと感じます。




悩み。それは誰にだって大なり小なりあることじゃないでしょうか。

「あの子は悩みなんてなさそうでうらやましい」というその子も実は裏で悩んでたりするのかもしれません。


まぁ、それはともかくとしてその「悩みなんてなさそうでうらやましい」という言葉は、本音かもしれませんけど、悩み自体も実は人を動かしている原動力になっているんじゃないかなと思ったりします。

私自身も悩みあります。毎日何らかの悩みに襲われて折れそうになるときもあります。

苦悶する日々を送る、ってほどじゃないですが、能天気に見えてはっきりした悩み、漠然とした不安に襲われることもしばしばです。


なぜ悩みが原動力になると思うかと言うと、人はその不安を払拭する行動を取ろうとするからです。

悩んでることがある、その悩みから逃げたい、でも逃げ切れないからどうにかしないといけない、いつの間にかその悩みは解決されてた。

そんな事ないでしょうか。

考えてみると長い人生、そんなこと繰り返して繰り返してすごしている気もします。


その悩みを解決するための行動力って言うのは普段見られない、自分自身の決心が現れたりします。

ある意味、覚悟を決めた状態と言えるかもしれません。

そうするしかない、という自分のある種の思い込みから、普段は億劫になっている人も行動に移すことが多いのではないでしょうか。

その悩みがないとそんな行動は普段取らないかもしれません。

少なくともその行動力の源は、その悩みによるもののような気がします。


もう一つ悩むことがいい事と思うのは、その悩みを解決するために頭を(強制的に)働かせざるを得ないと言うことです。

悩みがなかったら何も考えないかもしれません。

でも、不安を払拭するにはどうすればよいのかを考えなければいつまでも悩みから逃げ切れません。

ただ単に行動すると失敗することもあるので、より効率的に悩みを解決する方法を探ろうと考えたりします。

悩むことで考える力を養い、自分が一つ成長する糧にもなりえるのだと思うわけです。


自分も数年前、なんか漠然と将来に対する不安があったりして、このままでいいのかなと不安を覚える毎日を過ごしていたときに、ネットにしがみついてみるかと思いブログを始めたりしました。

そこまで深く考えた結果ではありませんけど、若干その不安は楽になった気がします。

でもそれは、ネットの中で自分の考えや力と言うものを比べることができて、あるところでは自分は結構いい感じのところにいるんだな、という安心感を与えてくれたことと、この人にはとてもかなわないという不安を与えてくれるものでした。


でも、それによって不安の矛先が変わったんだと感じます。

漠然とした不安から、世の中にはすごい人がいて、自分のレベルっていうのはたいしたことないなと突き落とされた不安はあるものの、その不安というものがより具体化して目指すべきところの輪郭がよりはっきりした、と言う感じです。


ある不安が解消されると次の不安が顔を覗かせたりします。

また、ある不安を取り除こうと四苦八苦したら、より大きな不安になったと言うこともあります。

ただ、その不安も変化しますのでより柔軟な対応をせざるを得ないことがまた、自分に変化と行動力をもたらしてくれるのだと思います。

そう考えると悩みとうまく付き合っていくことが楽しく毎日を過ごすコツかもしれません。

不安が心の底に垣間見えたら、「よしよし。こいつをどうクリアするか」とゲーム感覚で望むほうが、心もより健全になっていくでしょう。

そして、あのときの自分なら大きく悩んでたことが、今の自分じゃ不安にも思わないという日も来るはずです。

あのときの悩みが、今じゃ笑い話だというのは誰しも経験したことではないでしょうか。


こう考えると悩みっていうのも結構プラスに見えないでしょうか?