レベルの高いものを見るという癖 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

仕事で怒られている人を見てると、「相手のことを考えろ」とか「普通に考えたらそんなことわかるだろ」とか言われている人を見るんですが、はっきり言ってそんなこと言われてもわからないもんはわからないし、考えようにも考えられないだろうな、と最近思うようになりました。


誰だって怒られたくはないはずなので、あえて怒られるようなことをすることはありません。

自分なりに考えたその結果が、悲劇を招いて怒られているわけです。

それが自分の中の最高レベルだと思ってやっているのかと。

もちろん浅はかな考えで、半ば直感的に出した自分なりの答えでやってみて失敗する人も多くいます。

でも、それって長考したところで大して変わりはないのかなとも思います。


一番の問題は、その人の最高レベルの考えというものが成功のレベルに達していないということではないかなと感じます。

であれば、その一番の解決策はより高いレベルがあるってことを理解させてあげることではないかと。


口で言うのは簡単ですが、言うほうも言うほうでこれはかなり難しい問題です。

なにせ、自分の考えが最適解であるはずもないので。

その答えを押し付けた場合、その人の最高レベルは教えた側のレベルと同等となりますけど、それはその教える側にとって都合のいい人を育て上げただけであって、上司が変わればその人はまた怒られるかもしれません。

根本的なところで、その失敗する人に対して高いレベルの考え方を教えるより、世の中にはより高いレベルの考えがあって、それを如何に学ぶかという方法を教えることではないかと思います。


ブログなんかもそうですね。

私はブログを始めて一番身にしみたのは、世の中には「すごい人大杉」ってこと。

以前に書いた「他人のブログを読んだほうがいい10の理由 」の中にそれを含めてませんでしたが、要は同調したり反論したりして、いろんな人の考えに触れてみるという体験からそのレベル感というものがわかってくる気がします。

この人のこの意見には今の自分には反論できないなとか、同調することで自分の考えのレベルというものがどのくらいかの目安になったり。


時にはそれが自分にとって悲劇になる場合もあります。

私もブログを始めた当初は、「この人すげぇ」「この人もすげぇ」「ここにもいたよ・・・」見たいな感じで、少し自分に自信を持てないときもありました。

でも目をそむけてたら自分の中の最高レベルの敷居は上がることがありません。


そういう高いレベルがあるってことの認識と、その高いレベルを探す方法と、その高いレベルに触れるということが人を成長させていくための大きな要素になるのかなと感じました。

多分それは職場だけで無理でしょう。

なんせ企業というクローズした世界でしかありませんから。

もっと広い世の中を見てみるとより高いレベルというものに触れることができることは確かだと思います。