社内の情報の質を担保する事務局の存在とSNS化した今後 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

企業の情報系システムがSNSで済む理由 コミュニケーションスタイルの久々のパラダイムシフトが目前に @ JB PRESS


これを読んで思ったのは、企業内で情報の質が保てるのはその情報の鮮度を保つ事務局(またはその役割を担う人)が存在するからでは無いかなと思ったりします。

だいたい、情報共有のプロジェクトを立ち上げたり、自部署の情報発信をやっていくとなると、それを管理する役割の人が出てきて、その発信する情報の取捨選択をしていったりします。

企業内の情報の鮮度は、その人たちの能力にかかってくるし、情報の質の低下は事務局がその機能を果たさなくなったときに一気に瓦解したりするのをよく見たりします。



情報の質を担う事務局という存在


企業内で取り扱う情報というのは、その専門性から組織構造と一致したりします。

人事系の書類や経理処理に必要な書類、営業の提案書やシステムの内部設計書などなど、扱う情報は多岐に渡りますけど、必ずどこかの部門が管理していたりします。

なので、情報共有をする場合もその担当組織が事務局の役割を果たすことになります。

これは、専門知識を持っているその組織が管理するのが一番効率がよいというのがあるかもしれません。


しかし、その専門性であるからこそか枠にはまった情報の共有しか出来なかったりもするわけです。

要は定番の共有方法に当てはめ、企業内で起こっていることに注目して話題の情報をピックアップして共有をかけていったりします。

その情報というのは正しいわけですが、タイムラグも大きかったりもします。

企業内で起きたことがあがってくるのは、少し時間が経ってからですしさらに情報を精査して共有するわけですから、共有された頃には旬が過ぎている情報も多いのではないかと思います。


そして、情報の共有をその事務局が担うが故に個人が勝手にその共有基盤を通して情報発信することが許されなかったりもします。

一度事務局に情報が吸い上げられ、それを検討して公開の判断がなされ、共有に適した情報に加工されて発信されたりします。

そして、情報の共有は事務局が定められた部門や個人に対してしか行われなかったりもするので、必要な人に行き届かなかったり、別の角度からの利用や応用というものがしづらかったりもします。

なので、本当に今すぐ欲しい情報は営業なら営業同士でメールなりでやり取りされていたり、共有フォルダに置いて管理されていたりというのも多いのではないでしょうか。



組織構造に依存する事務局というリスク


事務局の存在がその情報への依存度が極めて高いわけですから、事務局の崩壊が情報の質を一気に低下させるリスクも持っています

これは、組織構造が変わったりして事務局自体が解散されたり、担当要員が著しく縮小されたりしたら起こりえることです。


情報の吸い上げは今までどおりでも発信がボトルネックになってきたり、更新自体が滞りいつまでも古い情報がそこに掲載され続けられたりもします。

そして、新しい組織に沿った情報共有だ!なんてプロジェクトが立ち上がり、以下ループって事にもなったり。


企業内の情報っていうのは、有用なものに関しては多くのブランチが存在したりします。

自分の仕事にあわせたり、ターゲットとなる顧客に合わせたり様々な形態で修正され変化しています。

それらの多くは亜種のように扱われて、個人のPCの中だけで眠っていたりもするわけですね。

この辺を事務局に預けてもひどくローカライズされていると判断されて、一般公開されなかったりもしますし、成果物を評価する制度などにより、元の資料と作成者だけに評価が向けられたりもします。


これでは、ネット上のSNSのような仕組みを作り、個人対個人で情報の共有を任せる仕組みを作ってしまった方がうまく回るのではないかと思ったりもします。

しかし、それは部分最適化したところもあり、やはり全体へ向けての共有という意味では事務局の存在というのは必要になってくるかもしれません。

共有する個人としても、「あの人に聞けば情報が出てくる」と思われて何度も同じような問合せを受けて仕事を邪魔されたくないという思いもあるでしょう。



SNS化した情報共有プラットフォームの中での事務局の存在


個人というのは、過去の実務経験などから必要な情報を持っていたり、経験自体が企業にとっては財産になります。

それを活用するためには、組織構造に左右される事務局という存在よりも個人間をうまく結ぶ基盤があったほうがいいと思います。

しかし、先に書いたようにそれがひどい方向に進んでしまっては、その個人が事務局のような役割を果たす羽目になってしまうため、その労力を吸収する事務局も必要となるでしょう。


個人間の連携の情報に注目でき、それを必要に応じてすばやく事務局がキャッチアップでき、全体最適化できるような仕組みがあれば理想なのかなと。

ただ、SNSなどフラットな情報共有を進めるためには、組織の壁自体を取り払った実構造自体もフラットにしなければなかなか進まないのかもしれません。

部外秘なんて言葉もあるぐらいですしね。

個人間の連携が進めば事務局自体の存在が薄れますし、その役割を担っている人たちもモチベーションを得られなくなる可能性も出てきます。


そもそも、SNS化した情報共有の世界では、事務局自体に与えられる役割というのも大きく変わってくるでしょう。

今までは、その専門性から「自分たちが一番詳しい」という自負もあるでしょうけど、勝手に個人間が情報共有を進めれば、疎外感も出てきます。

これは、もちろん悪い意味でもあります。

その変なプライドが情報共有を推し進めさせない理由になったり、情報共有を偏重したものにしたりしているわけで。


新しい事務局はそのへんの役割も刷新されますし、情報を共有する手助けとなる専門部隊として注力しなくてはならなくなったりもします。

幅広い知識や、シーンによって情報を提供していく能力も必要になってくるでしょう。

何よりもSNSの仕組みというのがわかっているネットリテラシがなくてはならなかったりします。

今までの必要な情報を検討し、定型フォーマットに載せて発信していくやり方では全然通用しない世界なのではないかと思うわけです。