プレッシャーを感じたら考えること | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

仕事も重要な役割やポジションを与えられると当然それがプレッシャーになってきたりもするわけで、こんなこと出来るのかとかうまく行く道筋が見えないといった場合でも、1つだけ考えることがあったりします。

それは、未来の自分の存在というイメージ


要は今そこにある問題に潰されそうな自分とそれを何らかの対応をこなして(もしかしたらそれは失敗に終わるかもしれませんけど)プレッシャーから解放されている自分というものが確実にいるということです。



期限というものが存在するプレッシャー


何らかの役割を与えられ、解決すべき問題があり、それをうまく収めることを期待されているというような場合でも、その解決までには期限が与えられたりもします。

その期限がプレッシャーになったりもするんですが、逆に言えばその期限までしかプレッシャーがかかりません

ダメならダメで別の問題が浮上してそれに対してプレッシャーが・・・、ということはあるかもしれませんが最悪な方向に歩もうとする人はいないでしょうから、何らかの解決法というのはそれまでに生み出して解決もしくは緩和していく必要が出てきます。


プレッシャーを跳ね除ける一つの手段は問題を分割することで、そこにかかるプレッシャーも分散化していくのも有効だろうと思うわけです。

プレッシャーが与えられる状況というのは何らかの不安要素がそこにあるわけで、それが何なのか分析することでどこに不安を感じているかもわかりますし、それを解決するためにどうすればいいのかってところにも焦点を与えることが出来るようになります。


その先々のことをいくら考えても仕方がありません。

最悪の事態というのはいくらでも考えられますが、今起きていないことをあれこれ考えたところで手のうちようが無いわけで、それは起きたときに考えればいいでしょうし、そこで新しく生まれるプレッシャーもその際に受け止めればいいだろうと思います。


私の場合、エンジニアやってますのでシステム開発なんかで常々「無事にリリースできるだろうか」という不安を持ったりもしますけど、その先の「リリースした後に大規模トラブルが起きたらどうしよう」なんて不安は考えても仕方が無いことであり、まずは想定しているタスクや期中に起こった課題をクリアして無事にリリース日を迎えることだけを考えるようにしています。

そもそもトラブル起す前提で開発を進めたりはしませんし、起きたとしたらそれを解決するためのプレッシャーは与えられますけど、それはそれで別のマイルストンとして対応すべき問題なのだろうと思うわけです。



未来で待ってる自分という存在


これは、別に方法論でもなんでもなく単なるイメージをする事で多少ゆとりがもてたり勇気が沸いてくるみたいなもんだったりもするんですけど、最初に書いたとおりそのプレッシャーを跳ね除けてそこに立っている未来の自分というものがいるわけですよね。

別に仕事だけじゃなくて受験生なんかもそうかもしれません。

来月テストなら、そのテストを受け終わってプレッシャーから解放された自分が確実にいるわけで。


結果がどうであろうとプレッシャーを感じるのは期限があるわけで、その期限を迎えた未来の自分は少なくとも今の重圧からは開放されているわけです。

結果は重要ですけど、その結果を迎えて新たに感じるプレッシャーはそれは今とは異なる種類のもので(少なくともそう割り切る必要はあるでしょうし)、そこに挑むプロセスはまた別の考え持って挑んでいけばいいわけです。

失敗は糧になるでしょうし、その結果を受けて一歩進んだ自分がいるんだぜって感じで。


一番悪いのはプレッシャーから全面的に逃げてしまって何も解決しないまま、または抱え込んだまま期限を迎えた自分がいたりするってところでしょうし、少なくともこれから立ち向かおうというときにそんな自分をイメージしたりはしないでしょう。

プレッシャーを跳ね除けてステージをクリアした自分を想像すれば立ち向かおうという気持ちにもなったりするわけです。



まとめ


私は結構楽天的なところもあるのでその観測的予測からそういった考えをするのかもしれません。

ただ、今自分が感じているプレッシャーには期限があるというのは、楽観的な予測ではなく事実であり、その期限を守るためにどうするかという考えを持つことと、その先にいる自分というものを照らし合わせると、何でも超えられる気がしてきたりします。

その先に未来が無いわけではなく、その先も続くところに自分もいるという確かな希望を持っているとそのプレッシャーを超えた明るい自分が待っている気がして勇気がわいてきたりします。