Twitterを100%楽しめない状況 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

本当は逆の「Twitterを100%楽しむための方法」というようなエントリを書くべきなんでしょうけど、そういう解決する状況に無く・・・。

Twitterは一人でダラダラとつぶやいてみても、いろんな人とゆるくつながってみるのも楽しいもんですが、そんな中でも「なんかTwitterを楽しめてないな」という状況に遭遇することがあったりします。



ハブとして使うTwitterの楽しみ


Twitterは、色んな情報がタイムラインに流れ、見るのも自ら発信するのも楽しさを感じるツールです。

ただ、140文字という字数の制限から、Twitterには受け皿が必要になってきますし、その受け皿を簡単に用意できない状況、または受け皿をもらえない状況においては、Twitterを100%楽しめません


例えば携帯から見てる場合、PCで使うよりはネットの情報を横断的に見て、それをTwitterに流すということが難しかったりもします。(できなくは無いですけど、かなり面倒)

それは、「こんな面白いニュースあるよ」ってことから「それ、困ってるならこんな方法あるよ」というところまで、楽しみ方の幅はあるものの、何れも受け皿を簡単に用意できない状況だと、そういった使い方が難しくなってきたりします。


逆の場合もしかりで、誰かがせっかく用意した受け皿なのに、それを使えないという状況もあります。

制限がかかってて見ることができなかったり、携帯の場合は対応して無かったりと。

これは、その情報をうまく「あとでよむ」ための仕組みがあればよかったりもしますが、Twitterのリアルタイム性を存分に活かすためには、鮮度のいいうちに情報を受け取りたい、という思いもあったりします。


Twitterは一人でつぶやくことにも楽しみがあったりもしますが、情報を右から左に流していく楽しみもあったりするわけです。

その情報を探せなかったり、完全に受け取れない状況というのは、なんともTwitterを楽しめてないな、と感じたりします。



偶発的なTwitterの楽しみ


これは、リアルタイム性が強いTwitter故の楽しみですが、刻々と変化するタイムライン上は、様々な会話が取り交わされ、まるでゲームの中の住人が好き勝手に喋っているような感覚を覚えます。

それを日がな追い続けるのは無理がありますが、リアルタイムゆえの面白さもあり、生で祭りに参加できないとなんとも残念な気分になったりします。

Twitterはリアルの出来事と連動するので、大きなニュースが出るとTwitterでもにぎやかな状況となってたり。


なので、Twitterの面白さって偶然見つかるものだったりするんだな、と感じることもあります。

それに出会えたのもたまたまタイムラインを見てたから、それに出会えなかったのはPC(携帯)が使えない状況にあったから。

リアルタイムに流れていく情報の中でも、そのリアルな流れに乗れない自分がいると、なんとも残念な気持ちが出てくるのかもしれませんね。


これはどうしようもないことだったりもしますし、まともに付き合ったらTwitter廃人になるんでしょうけど。



遅延を前提としたコミュニケーションの楽しみ


もう一つは、遅延を前提としたコミュニケーションはTwitterでは面白みにかけるところがあったりもします。

もちろん夜に「おやすみ」とつぶやき、朝に「おはよう」と返すことはできます。

そのような短い文章で意図が伝わるコミュニケーションであればさほど残念な気持ちにもなりませんが、ある疑問に対して回答してくれた人がいて、さらに掘り下げて会話をしたいというような場合は時間が空いてしまうと、なかなかそれ以上に掘り下げることが難しい状況になってきます。


Twitterのreplyは字数の制限から元の発言がわかりづらくなります。

発言元をたどることも場合によりできたりもしますが、それができない場合は時間が経ってしまうと「何の会話に対する返信なんだろ?」って状況に陥ります。

それを回避するためには、ある程度冗長な文章を書いて記録を呼び戻させる、というようなことになったりもしますが、相手にも自分にも手間をかける場合もあり「なるほど。ありがとう」なんて無難な言葉で会話を打ち切ってしまったり


(それを嫌う人は多いですが)メールのように過去のやり取りがすぐに見える状況にあれば、「お手すきのときでも」ということが成立したりもしますが、Twitterのようなリアルタイムでそのネットの向こう側には相手がいるという状況ではお互いの都合に左右される部分も大きいと感じたりします。



まとめ


これらは、Twitterに非があるわけではなく、自分の置かれた環境とか状況によって左右されたりします。

なので、Twitterがどーのこーのというよりは、その時たまたまってことだったりもするのですが、それでもその状況に多少なり残念という気持ちを持ってしまったり。


リアルタイムというところを実現したは良いけど、デバイスやその他のサービス、そして人間の方がそれに対応するようにできていないところが大いにあるのでは、ということを感じたりも。

それは、言い換えれば欲なのかもしれませんし、そういったことを気にせずスルーして使うのがTwitterのゆるいコミュニケーションというものかもしれませんけどね。