社内ソーシャルとポジショントーク | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

ネット上にあふれるソーシャルアプリを社内でも積極的に活用している、またはしていきたいという話はよく聞いたりします。

場合によっては、わざわざ社内にソーシャルアプリを構築することなんてせずに、Twitterなど既存のサービスを活用していく動きもあったりします。

いづれにせよ、ソーシャルアプリの活用によって、外部からの声を取り込んだり、社内の人同士のコミュニケーションの活性化や、アイディアの創造などを目的にしているのでしょう。


ただ、社内である程度の地位にいて部下などに自分の考えや行動を示したりということに対しては、抵抗感もなくできたりするものですが、その下の子たちが自分なりの意見を示したり、社内でのつながりを求めていくには、ただソーシャルアプリの導入ということだけでは達成できない、壁が幾つかあるように思えます。



ポジショントークによるソーシャルの崩壊


ネット上でもしばしば、ポジショントークによってその立場にある人とそうではない人の間で議論が巻き起こったりしていますが、同様に社内でソーシャルアプリの活用によって、上の立場の人が自分の考えや行動を示したいという思いを抱いている場合、返って反発される可能性もあるのではないかと思ったりします。

ネットではフラットに意見を言える環境にありますが、社内では地位や権限が目に見える形で存在します。


それによって、読まないといけない状況や何かコメントを返さない状況を作り出した場合、ただそれを仕事として処理されることにソーシャルアプリを導入することには意味はありません。

トップダウン式に伝えたいなら社内広報誌でも十分に役割を果たせるでしょう。それが読まれるかどうかは置いといて。


この権限が見える状況というのは、下の人たちからすればはっきりと意見をいえなかったり、上の人の考えだからそれを受け入れなければならないのだろうという強制力が働いているように感じられたりもします。

自分の意見を言ったところで反論されるだろうし、言うだけ面倒な状況になるなら言わない方がよいという環境になり、上の意見を正当化して、弱者の意見を吹き飛ばす考えでは、ソーシャルの形成というものが成り立たなくなります。


立場によって異なる視点や見方を吸収でき、その意見を交換をフラットにできるところがソーシャルの良いところではないでしょうか。

単に色々な立場の人を集めて打ち合わせをしてもそこに隙なんてありません。

権限が見え、さらにはその人が目の前にいることによって、何を言ったかより誰が言ったかが重要視されるような場所では、その異なる立場の違った意見を吸収することは難しいでしょう。


心の中の純粋な吐露が新しい発見を生んだりするものです。

それによって、ソーシャルアプリが荒れるような状況を作りたくないといっても、その荒れている状況も一つの意見であり、単にそれを嫌うのはくさい物に蓋をしているという現状があるのだと思います。

ソーシャルアプリによってアウトプットしやすいシステムというものだけでなく、社内の誰でもそれぞれの立場から意見をはっきり言えるという文化を作り出すことが重要になるのではないかと思ったりします。



自分の立場による自分の意見


社内で何の権限持たない弱者の視点でも、ソーシャルアプリの活用するということは、自分に優位に働きかける強力なツールになったりするものです。


自分に何ができるのか、何をしているのかという行動は、一部の一緒に仕事をしている人から見れば把握されていたりもしますが、そのほかの人から見ればまったくグレーな状況にあります。

自分にできることをきっちりアピールしないと、他からは見えないわけです。
エスパーなんていないわけですから、見えないことを嘆いても仕方がありません。

あなたが他人の考えを読めないのと同じであり、あの子の考えはだいたいわかっているというのは単なる幻想でしかありません。

日々ルーチンとなる業務を繰り返し、その業務の改善指示をうるさい上司から言われたとしても、その日々の業務に追われている状況で新しい視点やアイディアというものなんてなかなか出てきません。

アイディアはいきなり自分の頭の中に咲くものでもありませんし、アイディアの種があったとしてもそれに気づかなければ芽を出すこともないでしょう。

ソーシャルアプリでの交わりはそういった種を育てるきっかけになるかもしれません。


また、ソーシャルアプリの良いところに、意見の交わりともにできる人と人とのつながりがあります。

たとえ社内であったとしても、組織が大きければ大きいほどに様々な人がいるわけで、その中には自分と同じような立場にいる人もいるでしょう。

その人とのつながりによって、新しいアイディアをもらえたり、仕事の進め方も変わるかもしれません。

ソーシャルに興味がないという人は、権威や権限を持っていたりと自分の中で独自のコミュニティを築き上げてたりするもので、持たざるものにとってはそれを形成することができるソーシャルアプリは大きな武器にできるでしょう。



まとめ


いづれにせよ、先に書いたように社内ソーシャルの活用と形成は、誰でもフラットにものが言える文化を作ることが一番大事ではないかなと思ったりします。

ソーシャルアプリを導入したところで、誰も意見を言わずに廃れていっては意味がありません。

また、上の立場の人が自分の考えをひたすら書いて悦に浸るのもまた、ソーシャルアプリを活用しているとはいえないでしょう。


社内においてソーシャルアプリを活用する肝となるのは、その組織内で目に見える形で存在する権威や権限を取り払い、どこまでフラット化できるかにかかっているのではないかと思ったりします。