ナレッジを共有する!って前に考えること | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

社内でノウハウを共有して、生産性の高い要員を作ろうとか、業務を効率化しようなんて動きは各企業で長い歴史の中、繰り返されてきたことだと思います。


ただ、これだってやり方がない今、それらの多くは失敗に終わってるんではないかなと思ったりします。

前回失敗したのに、3年後あたりにはまた「よし。うちもナレッジ共有するぞ!」なんてあたかも初めてやるような雰囲気をかもし出しながらプロジェクトが立ち上がり、適当なことをやってはうまくいかず、無用の長物のシステムができあがります。


なぜナレッジ共有がうまくいかないのか


一つはツールのせいだと考える人がいると思います。


ナレッジをシステム登録するのに何でこんなに沢山の項目を入力しないといけないんだ、とても面倒で使う気になれない


とか


検索しても思ったものが出てこない。ダメだこりゃ


とか。

確かにナレッジを共有しようとしたときにいろんな視点を詰め込むとシステムが複雑になって、使いにくいものができてしまい、使えない(使いこなせない)という状況になり、そのうち誰も手を出さなくなると言うことはあるでしょう。

そして、もう一つがルールや業務フローのせいだと考える人がいます。


散々ナレッジを登録したのに何も評価されない。やっても意味がないな


とか


毎月10個登録するってルールだから仕方なく書いておくか


とか。

ですが、ナレッジの共有化を始める前に、そこで働く人の意識を変えさせないと無理じゃないかな、というのが持論だったりします。


それは、ルールで変えることができる場合も一部あるかもしれません。

ナレッジの共有化を積極的にしている人にはインセンティブを与えるとかで。

ですが、そうすることで中身がないものをどんどんと登録して、「私はこんなに登録したんですよ!」って言われても意味がありません。

なんだかブログの世界に似ているのですが、お金もらって中身のあるようなないような記事を書いているようなものに感じます。


実際に目指すべきところは、そのナレッジが役に立って社員が育ち、競争力をつけ、売上げに貢献する人材が出てくると言ったところにあると思います。

なので、あまりにも個人が評価を意識したりルールに縛られたりって事では実現しにくいものではないかなと。



ネットの世界を見てみると


この辺りのことは社内でも社外でも似たような状況です。

最大の情報共有ツールと言うと、Wikipediaを思い浮かべるのですが、あれも無償の奉仕をしてくれる人によって成り立っています。

あの中の記事を書く人はお金をもらうためにやっているわけではないでしょう。


Wikipediaの記事のレベルが低いって言う人がいますけど、そんな人でも共有しようと言う意識があるだけましではないかなと思います。

たとえ、それが内輪で「あの記事の内容ほとんど俺が書いたんだぜ」という程度の自慢をするために書いた、という動機であったとしても。

その人は、Wikipediaに書くことのメリットを感じているわけです。


ですが、社内にはそういうことを感じる人も少ないですし、そう感じるメリットも少ないわけです。

下手なこと書くと評価につながるとか、間違って書くこと恥ずかしいとか、むしろ共有することのメリットよりデメリットのほうが多く意識されていたりするんじゃないかなと。


ネットの世界で情報を発信している人の多くは、それをすることの意味とか喜びとかを感じている人が多いから長続きするんだろうなと思います。

何の反応もない中でただ単にブログを書き続けると言う人は少ないでしょう。

毎日のアクセス数の増減がうれしかったり、もらえるコメントに励まされたり、そこでできたコミュニティが楽しかったり。


そういういい循環ができて使う人の意識が変わりはじめないと、ナレッジの共有なんて会社が決めた中で、嫌々やらされる社員によってすぐに淘汰される運命にあるように思えます。
つまりは、ナレッジを共有する喜びを感じる人を作るとか、それを支援する仕組みを作るとか。

このツールならいけるとか、このツールだからはダメだったとか思う前に、そういうところをまずやるべきではないのかなと感じます。