2月3日に、Chilli Beans.の初の武道館公演に行ってきた。
久しぶりに、「あぁ素敵なバンドと出会えて幸せだ」と感じることができた。

 



2年周期くらいでこの感覚は訪れて、2019はSaucy Dog2021はHakubi、そして2023にChilli Beans.だった。
正直言って2023年にChilli Beans.を知るのは遅い、もっと早くに知りたかったのが悔しいところだ。
まぁ、それでも知らない人もまだ多いと思うが、



間違いなく2、3年後にはもっと大物になってると思う



それが


Chilli Beans.


というバンドである。

 

 

 


簡単な紹介といえば、かつてYUI、絢香、家入レオなどを輩出した音楽塾ヴォイスの生徒、Moto、Maika、Lilyの3名が、先生からのすすめでバンドを組むことになったようだ。
(知らなかったのだが、Vaundyもその生徒で同級生で、彼女らの曲のアレンジを頻繁にアレンジしているという、、)

彼女らの強みは、なんといってもメロディだ。
BUMP OF CHICKENやRADWIMPSのような歌詞を聴きたくなるようなアーティストもいるが、彼女たちの場合はまず歌詞より先にメロディが頭に入ってくると思う。
それはフェスにおいて効力を発揮し、初見のフェスからワンマンへ流れた、自分のような人もかなりいるのではないかと思う。

1曲紹介するとすれば「シェキララ」だ。
まず、だまされたと思ってMVをクリックしてほしい。

 



どうだろうか。
まずイントロからド派手にキャッチーなうえこの上なく、さらに先へサビへの展開もオーソドックスにキャッチーである。
歌詞が表示されないライブにおいてはまず、このメロディと綺麗な歌声にやられてしまう。

このメロディやライブパフォーマンスからは、キラキラしたパリピモードなのだろうか、と想像してしまうが、歌詞を見ながら聴くと印象は全く別のものになる。



良い子? 悪い子? 君はどう?
矜羯羅がった体が笑う
小さな小さな部屋の片隅

そんな
「やっぱ落ちてくかな?
“You Are a Loser” お前のことだから」
そうやって
周りは言うさでも気にしない




これは2番の一節だが、パリピなどとは程遠く、主人公はひとりぼっち。
それはサビにも出てくる



誰も見えやしない
孤独が最高に
楽しいの



という言葉でもわかるように、伝えたいことは孤独に音楽で寄り添う姿勢である。
それは初期から一貫していて、たとえば初期の「See C Love」
(驚くべきは作曲者は、家入レオのデビュー時の共同制作者だった西尾芳彦氏だった)

このダウナーでキャッチーな曲はフェスで欠かさず演奏され続けること必至だが、歌詞はデビュー当時、この時点で暗い。

 

 



全部ぐちゃぐちゃになった
そんなの知らないもん yeah
疲れてしまったみたいだ
一緒に落ちて どう?

Sorry 終わりきってしまったらしい
いつから絡まっていった
I don’t know why do I fall down?
本当 I’m sorry 二度と帰れない
それでもやっぱガタガタ
この関係達に惨敗さ




デビューとしてのツカミ、意気込むサウンドとしてはかなり勢いを感じるが、歌いたいことは疲れ果てている自分のことである。
ありのままの自分を歌うことを大切にしたかったのだろう。
インタビュー記事をいくつか拝見したが、やはり3人ともどこか生きづらさやコンプレックスを感じながら生きていて、音楽的にはポップであっても背伸びはせず、ありのまま、否定する自分を肯定する作業を、この音楽を通して行っている感じがする。

2023年12月に発売された最新アルバム「Welcome to My Castle」収録の「stressed」という一曲ではこんなことさえ歌うのだ。

 

 


好きにしていいよ
欲しいのmy skin?
死にたいの。いつも
憂鬱よmy friend




このアルバム全体として、「シェキララ」「See C Love」のようなフェス向きの曲はそれはそれとして演奏され続けるだろうが、本作に関しては歌いたいことの等身大が詰まっていると感じられる。

 

 

 


3人が書く歌詞には、頑張れないこと、凡人であること、死にたいとさえ思う憂鬱感を感じること、それらをすべて包み込む優しさがある。
それはメッセージ性という大それた上から目線ではなく、おそらく彼女たちが日ごろ感じている鬱屈感から醸し出されるものなのだろう。
そのような寄り添った思いが、非常に聴きやすいメロディとして届くから素晴らしいのだ。

僕がそうであったように、Chilli Beans.を好きになっていく過程としては、



メロディやサウンドが好きになる

何を歌ってるか検索する

孤独を歌った曲の多さに驚き、心に刺さる




という流れが多いのではないかな?と思う。

ちなみに日本武道館公演では、本編MCなし、アンコールにちらっと挨拶をした程度、と非常にシンプルな構成だったが、これもまた良かった。
Chilli Beans.は自然体を大切にしてきたバンドだと感じる。
これからアリーナクラスのバンドになるのも時間の問題だと思うが、ずっと変わらないだろうし、変わらないでいてほしいと思う。


と、いうわけでまだ知らない方、Chilli Beans.、ぜひ聴いてみてください。

今年も、振り返り、やります。

バックナンバーはこちら。

 

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年
2014年

 


今年は諸事情によりブログの更新する気分にならないことがあり、全然更新できませんでした。
まぁ、マイペースにやらせてください。
突然消すことはないので^^

今年のランキングですが、下記の3点は暗い話題なので除外させてください。

①旧ジャニーズ事務所の性加害問題

もはや社会問題化しており、音楽シーンの出来事ではないと思うからです。
この件については非常に心を痛めており、私見も語りたくない、ということで、重大トピックスですが除外します。

②ミュージシャンの訃報の多さ

今年、2023年ほどミュージシャン、特に名前の知れた方の訃報が多かった年もなかったのでは。。
ざっとあげてみます。(敬称略)

高橋幸宏(YMO)
黒田隼之介(sumika)
黒崎真音
坂本龍一
恒岡章(Hi−STANDARD)
谷村新司
もんたよしのり
櫻井敦司(BUCK-TICK)
HEATH(X-JAPAN)
KAN
大橋純子
チバユウスケ(The Birthday)


もっといたと思いますが、僕が認識してる方だけでもこれだけ。
悲しみを列挙したらそれだけで記事になってしまうほど。
特記すべきは70歳にも満たない方が多いことです。
KANさんとか、HEATHとか語りたいことはヤマヤマですが、ごめんなさい、ちょっとここで言及するにとどめます。

亡くなられた方、お悔み申し上げます。


③コロナに関するあれこれ

5類移行以降、あまり騒がれなくなりましたが、コロナについては引き続き話題には入れない方向で。。


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では、では、今年の音楽シーンベスト10、振り返り、いきます。


第10位:新しい学校のリーダーズ、が突然現れる、新たなアイドルの登場

年始に突然TikTok発で「オトナブルー」がバズり、ついに紅白出場が決定するほど国民の認知度にまで急上昇。
独特のダンスはクセになりますよね。

 

 

 



第9位:稲葉浩志ソロ公演に、Mr.Childrenの鈴木英哉(JEN)が参加する驚き

今年のはじめ、1月~2月くらいのB'z稲葉さんのソロライブに、ミスチルのJENがサポートドラマーとして参加しました。
B'zとMr.Childrenの対バンをきっかけに両者の距離が近くなったこと、とても衝撃的でしたが、これは本当に「まさか」
不意打ちの、突然の、コラボ
(と言っていいんでしょうかw)。

最終公演は配信もされており、稲葉さんとJENの微笑ましいやり取りがあって面白かったし、新鮮でした^^
稲葉ソロとしては、ドラマ主題歌も良かったですよね。

 

 

関連記事↓
B'z × Mr.Children UNITE~すれ違い続けた30年間を考察



第8位:サザンオールスターズ45周年、B'zエレファントカシマシ35周年、斉藤和義30周年、などなど

3の倍数は周年イヤーが多く、それに伴い周年記念ライブが行われました。
まず、サザンオールスターズは茅ヶ崎にてライブ。ライブビューイングも行われ、45周年を祝いました。
B'zは35周年を、3月に過去ライブ上映、夏にはPleasureツアーを行い、いつも以上に盛大に祝いました。
他にもエレファントカシマシ35周年、斉藤和義30周年など、好きなアーティストの節目で、お祝い事が多かったです。


第7位:Official髭男dism、藤原休業も定期的にリリースしヒット、紅白で復活へ

若手で最も売れているのではないかと個人的に思っているヒゲダン、今年は3月にボーカル藤原聡が声帯ポリープを発症し、休養を余儀なくされました。
それでも、ストックがあるのでしょう、「TATTOO」「Chessboard/日常」「SOULSOUP」など、リリースすれば安定的にヒット、人気の強さを裏付けました。
紅白をはじめとする年末の歌番組で復帰するようです。

まぁ、声帯はボーカリストの命ですから休養は賢明な判断だと思いました。
またあの素人泣かせの高音ボーカルを聴かせてください^^


第6位:Mr.Childrenが「miss you」という挑戦作をリリース、ホールツアーをまわる、という驚き

10月にミスチルは「miss you」という、ファンのあいだでざわつかせたアルバムをリリースしました。
と、いうのも、本作は全曲がノンタイアップ、しかもアルバムツアーはホールツアー、従来のアルバムに比べて非常に地味であり、おおいに困惑させられました。

しかし、なんだかんだで沢山聴いている自分にも気づくのです。
特に歌詞においては、大衆迎合、みんなのミスチル、というところから意図的に離れ、デビューから数年でやるような尖ったもの、歌いたいことを歌っている。
ミュージシャンに限らず50代で人間的に丸くなるのが自然ですが、それに抗うような刺激的な歌詞、諦念にも満ちた曲もあり、いわゆる「中年の危機」の生々しい本音。
最初とっつきにくいと感じてたわりによく聴くようになったのは、まさにそういった年代に自分も近づいていることの危機感からかもしれません。
ミスチルのアルバム、というより桜井和寿のソロアルバム、と言ったほうがしっくりくるかもしれませんね。

 

 



第5位:Ado、引き続きヒットを連発

Adoが「うっせぇわ」だけのインパクト勝負、一発屋ではないほどのポテンシャルを持ったアーティストであることを、証明した一年ではなかったかと思います。
特に今年の大ヒット曲「唄」の歌唱法、「上手い」以上の迫力、抑揚のつけかた、「タダモノじゃねぇな」感
年末の音楽番組も今年は引っ張りだこで紅白も初出場ですが、こういったアーティストの存在は非常に貴重です。

まず、顔出ししないで活動、というのは、ロック界隈に詳しければ特別珍しいことではないですが、お茶の間は面食らうでしょう。
そして、顔出ししなくても伝わる迫力、みたいな、新境地をこれから届けてほしいです。

余談ですが、たまに思うのが、彼女が顔出ししていたらどうだったのか、について。
顔出ししてても売れてたとは、思います。
が、長く活動するにあたってミステリアス、というのは強いかもしれない。
人となりがよくわからない、ずっとわからない、というのは、興味をそそられ続け、飽きられることもなさそうな予感すらあります。
と、いうわけで今後も注目です。

 

 

 


第4位:10-FEETの「第ゼロ感」、スラムダンクのヒットにより認知度向上、紅白出場へ

映画「THE FIRST SLAM DUNK」の主題歌に加え、バスケットボール日本代表が実際に活躍したことで、「第ゼロ感」がヒット。
これ自体はなんら不思議ではありません。

しかし、10-FEETが紅白に出るところまで上り詰める、という事実、これは邦ロック界隈の大事件、僕はそう思ったのです。
10-FEETは京都出身でフェスやロック界隈では超有名でキャリアも長いですが、これらの界隈に疎い人は「誰?」状態だったと思うのです。
実際僕も2000年代は知らなかった、という事実があります。

フェスに参加するようになり聴くようになったのですが、シンプルな3ピースバンド、ゴリゴリのロックバンド、紅白とは無縁だろうなと勝手に思っていました。
「スラムダンク」に10-FEETを起用した人がナイスですし、実際に曲が映画とあっていて、バスケの躍動感とロックサウンドのマッチたるや。

何がきっかけであるにせよ、純粋に僕はうれしい。

 

 



さて、ベスト3です。



第3位:YOASOBI、「アイドル」で日本を、世界を席巻

今年の代表曲はなんといってもYOASOBI「アイドル」でしょう。
「推しの子」自体も面白かったのですが、それ以上に世界中を席巻してること、もはや日本代表アーティストと言っても過言ではありません。

ライブも行ってきましたが、この曲だけ、ikuraちゃんをアイドルに見立てて、オーディエンスもアイドルノリのコンサートに変わります(笑)
歌も非常に難しい、、

レコ大選ばれず、という謎の事態ですが、やっぱり自ら辞退したのですかね、、

 

 

 



第2位:「ぼっちざろっく」にハマる、劇中バンドの結束バンドの歌も素晴らしい

リアルタイムでは見ておらず、年末年始に動画サイトで一気見した「ぼっち・ざ・ろっく」
見事にハマってしまいました。
過去に「けいおん!」にハマったことがありますが、アニメに夢中になったのはそれ以来で、自分史上最高のアニメとなりました。


みんなにチヤホヤされたくてギターを猛練習するも、友達がいないので披露する場も機会もない、愛すべき主人公、後藤ひとり、通称ぼっちちゃん
ひょんなことからバンドメンバーになるわけですが、陰キャは陰キャのままやっていくので、バンドに入ってもぼっちちゃんの妄想の嵐が面白いです。
僕も、陰キャじゃないと思うんですが、バンドやることに躊躇があったりするので、共感するところもありました。
で、実際にライブシーンなど、音楽にまつわるあれやこれやが非常に忠実で、作者のこだわりが見受けられます。

劇中バンドの名前は「結束バンド」
劇中歌で何曲か歌われ、アルバムとしてリリースもされましたが、これがまた素晴らしい。
楽曲提供者が豪華なのと、わりとぼっちちゃんの心情をうまく表していて(アニメではぼっちちゃん作詞の設定)、聴きごたえがあります。
今年、非常によく聴いたアルバムの1枚です。

 

 

 

 

 

 

そして、1位はこれです。

 

 

 

 

 



第1位:アイナジエンド、岩井俊二監督作品「キリエのうた」に起用され、小林武史プロデュースで歌う

そういえば、BiSHの解散をランキングに入れませんでした(汗 まぁいいや。。。
個人的にソロデビュー時からアイナジエンドのファンでして、ずっと注目していたわけですが、


遂に小林武史プロデュースにて曲を発表しました。



kyrie名義で、岩井俊二監督「キリエのうた」の主題歌と劇中歌を主に担当しています。
岩井監督といえば、過去に「スワロウテイル」「リリィシュシュのすべて」で小林さんと音楽のタッグを組んで、それの続編として第3弾が出たのがとてもうれしく、YEN TOWN BAND、Lily Chou Chou、kyrieの3組で、円都ライブと題して3マンライブが行われ、これには行ってきました。
今年行ったライブでは一番印象に残ったライブです。

 




「キリエのうた」も2回見てきました。
正味3時間弱の内容も不思議とはやく感じられ、岩井俊二の世界観にどっぷり浸かってきました。
アイナちゃんの強みは、実際に歌が上手いことに加え、得意なバレエで不穏さを表現するなど、BiSH時代の経験が生かされてることではないでしょうか。
今年見た映画の中でも、一番はこれを選びますね。

 

 

 

 



と、いうわけで今年の音楽シーンのランキングでした。
今年は猛暑、秋になっても冬になっても暑い日があったり、異常な天気でしたね。
ニュースを見ても、コロナは報道しなくなったのに別の刺激的なニュースばかりで嫌になりますね。

みなさまに置かれましても、体調に気を付けて、良い年末年始をお過ごしください。

久しぶりの更新になります。
11月2日に、


40歳になりました。



個人的に大変な日々を送っておりまして、詳しくは割愛しますが、どうにかこの年齢まで辿り着いたこと、当たり前じゃないと感じます。

「進んでる気がしない」

そんな人生の停滞の時期を「中年の危機」と呼ぶそうで、自分はまさにそういった時期を過ごしているのだと実感します。
でも危機を打破すべく、アクションを起こしてみました。

いくつか報告があります。


オリジナル曲をストリーミング配信しました。


「漂いながら、生きてきた」

1.とっておきの歌
2.朝もや
3.秋風黄昏
4.やさしさ
5.Happy Wedding
6.おくりもの
7.そばにいるから
8.秋風黄昏 (杏茶 piano instrumental ver.)

https://big-up.style/6BXJOsUpdH

7曲目の「そばにいるから」は、唯一今年録音したもので、Youtubeでフルであげました。

 

 

 



過去にコンピレーションアルバムに収録された曲や、eriさんとのピアノコラボ曲など、自分の音楽人生のベストセレクションです。
Youtubeにあがっているのもありますが、この際だからしっかり作品としてまとめました。
良かったら聴いてください。


また、過去にeriさんとのコラボユニット「杏茶」として、「秋風黄昏」「帰り道」「いつも、まどい」を配信しております。


「秋風黄昏」

こちらは自信作のため、コンピレーションアルバムに収録してリリースしていて、わりと個人で出したものより多く聴かれてるようです。
また、歌モノなどをまとめてEPという形で、個人としてもリリースしました。

「2023 vol.06」に収録。
https://linkco.re/CsrTNnPF?lang=ja


https://big-up.style/yImksbe6OK


「帰り道」

こちらは個人でリリースしましたが、絵を知り合いの絵描きさんに描いてもらいました。

https://big-up.style/m4eCKqs1sj


「いつも、まどい」

 

eriさんがボーカルの楽曲提供曲でして、夏の終わりの失恋がテーマの、センチメンタルな曲です。

 

https://big-up.style/6H46GpYyIW


自分は、歌をつくることもするし歌いもするけど、良くも悪くも我があまり強くない性格なもので、楽曲提供でも構わない、というスタンスでやっています。
「中年の危機」を乗り越えるためにはワクワクすることが大切かなと思っていて、音楽をやってる人とまた繋がって、コラボみたいなことができないかなぁ、と虎視眈々と狙ってますw

とりあえず記念として、20代、30代につくった音楽たち、聴いてみてください。

今年も振り返りのランキング、やります。

ライブシーンは、結構戻りつつあるのではないでしょうか。

良い傾向です。

 

バックナンバーはこちら

 

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2017年

2016年

2015年
2014年

 

では、行きます。

 

 

 

10位:YOASOBI、フェス参加!

YOASOBIが、夏フェス巡り!
ついに動き出しました。
が、メンバーのコロナ感染により半分くらいキャンセルを余儀なくされたのは不覚。
来年は大規模アリーナツアーも控えてますし、もうすでに大物感漂う彼らに、今後も注目です。

 

 




9位:マカロニえんぴつ、紅白落選も「なんでもないよ、」はもはや国民的な一曲に

マカえんは今年も大活躍でしたが、紅白落選したので低い順位にしました(笑)
「なんでもないよ、」は言葉が強いので、お年寄りの方にも聴いてほしかったんですけど、、
レコ大の金賞にノミネートしてるのでそこに期待ですかね。。

 

 


8位:Mr.Childrenデビュー30年、大規模ツアー完遂&家入レオも10周年

Mr.Childrenは今年デビュー30周年、ということでベストアルバムの発売、として「半世紀へのエントランス」と題してドーム&スタジアムツアー、を完遂しました。
ミスチルといえば、自分の成長とともに歩んできた、という意味で僕にとって非常に特別なバンドであり、あれやこれやの思い出が蘇りました。

 

 

 


一方、アニバーサリーイヤーといえば、このブログでも何度も取り上げてる家入レオさんがデビュー10周年。
派手なことはできませんでしたが新しいアルバムが来年出るそうです。

 

 

 


7位:Vaundy、テレビ出演断り続けるも、紅白出場へ

VaundyはCMで使われるなど曲の知名度は高いものの、メディアの露出が極端に低いので、お茶の間で詳しい人は多くないかもしれません。
とはいえ、僕のようなフェスによく行く人からすれば、「フェスに特に頻繁に出てた人」であり、今年はより飛躍の年になったのでは、という実感があります。

テレビにあまり出たくないのかな。。

と、思っていただけに、とても驚いたのが、紅白歌合戦出演決定です。
きっと最近の曲に詳しくない人は、「誰?」と思った人が多かったのでは、と思います。
でもこれを機により飛躍してほしいです。

 

 

 

 


6位:Official髭男dism、今年も「ミックスナッツ」「Subtitle」など安定的なヒット

今年も安定的なヒットを飛ばしたヒゲダン、ホント、90年代のMr.Chidrenを見ているようです。
まず今年の前半は「ミックスナッツ」がアニメのタイアップだったこともあり、記録的なストリーミング再生回数だったようです。
さらに、後半はドラマ「silent」の主題歌「Subtitle」が、ヒット。

アニソンにドラマ主題歌、安定してますね。

 

 

 


5位:TikTokでSEKAI NO OWARI「Habit」がヒット

今年の知られた音楽トピックスとしては、セカオワの「Habit」のヒット。
鬱屈した耳に残る歌詞と不思議なダンス、狙ったかどうかは定かではないですがTikTokで大バズり。
音楽番組にも頻繁に出るようになり、紅白歌合戦への久々の出演も決定しています。

久々の国民的に認知された楽曲をリリースしたことに、セカオワの底知れぬパワーを感じました。

 

 



4位:没後30年尾崎豊展&没後15年坂井泉水展開催

92年没の尾崎豊07年没のZARD坂井泉水、ともに展示会が開催されました。

まず、尾崎豊展では、彼のプライベートなものがたくさん展示されており、いろんな知らなかったことがありました。
また、ライブ日程一覧も掲示を見ていると、自由を歌うわりに過酷なライブスケジュールで全然自由ではなかった、彼の苦しさを垣間見た気がしました。
若い人もたくさん参加してるみたいで、マイヘア椎木やアイナジエンドがコメントを寄せているなど、彼の残した曲の偉大さを思いました。

 

 


一方の坂井泉水さん、僕は切り抜きのインタビュー記事を時間いっぱい読んでいました。
デビュー当時はライブへの意欲もありインタビューも積極的に受けていましたが、93年「負けないで」あたりからインタビューがバッタリなくなり、ミステリアスな歌手としてわりきり、情報がほとんどなくなりました。
2000年代はインタビューが復活、一度きりのライブツアーのこと、など書かれていましたが、病気を患っていたことを知ったうえで気丈に振る舞うインタビューを見てると、あの美人の横顔がとても寂しそうに見えました。

 




3位:ELLEGARDEN、本格始動

2018年より活動を再開したELLEGARDENですが、特に今年、ツアーを行い、12月にアルバムを発売するなど、本格的な活動を始めた印象です。
実は、このワタクシ、12月のZepp Hanedaのレアチケットをゲットしておりまして、行ってきました。。

告白しますと、元々ポップな音楽を好んでいた自分は、人気絶頂だった15年ほど前、ELLEGARDENのことは知っておりましたが通っておりませんでした。
そして時は流れ、自分もロックフェスに通うようになり、「音楽を浴びる」尊さをわかってきた今日この頃、音源では伝わらないELLEGARDENの良さを、いつか体感してみたいと思っていたのです。
当時熱狂的なファンに、やや申し訳ない気持ちを抱きながら。。。笑

とはいえ、ここはフェアにチケットに当選。
セールスやメディア露出を基準に音楽知識を得てる人からすれば、ELLEGARDENの評価の高さは過大評価と言われていたことも知っています。
ただそんな指標はただの指標にすぎず、そこにはただカッコいい、それだけのバンドが存在し、そしてカッコいい音を鳴らしていました。
知らない曲があったりして(自分の中で)中だるみすることあるかな?と不安だったのですが杞憂に終わりました。
最高に魅せられ、本当に行って良かったと思いました。

来年以降の活動にも注目です。

 

 

 




2位:サカナクション山口一郎さん休養、ゆっくりしてください

サカナクションの山口さんの燃え尽き症候群での休養は明るいニュースではないのですが、上位にランクインさせたのは、コロナ禍以降の「頑張りすぎ」がすごく伝わってきたからです。
サービス精神が非常に旺盛で、ライブが中止になる度に積極的にYouTube配信、さらに有料のライブ配信も非常にこだわったもので、見ごたえがあるものでした。
それはありがたくもある一方で、確かに今思うと「一人で頑張りすぎ」という印象を抱かざるを得なかったのが正直なところで、いやな予感が的中してしまった、という側面もあったのです。

だからこそ、あのときとても素晴らしいものを提供してくれたからこそ、僕はゆっくり休んでほしいのです。
ライブがいつになるか、その期限がプレッシャーとなると思うので、期限を設けずに、自分の体を労わってほしいです。

 

 

 

 

 



1位:Saucy Dogがついに紅白歌手まで上り詰めた!

迷った挙句、自分との出会いからの歴史が感慨深すぎて、これを1位にしました。


サウシーの紅白は、正直僕の中では予想外でした。
というのも、マカロニえんぴつが優先順位が高いと思っていたため、はじかれてしまうのだろう、と思ってたからです。
そのくらい、今年の紅白の基準はよくわからず、僕でさえ「若者好きの歌手ばかりだけど大丈夫??」と心配になったくらいです(笑)

それでも、僕とサウシーの出会いから現在に至るまでの歴史を考えれば、彼らの紅白出場はとても感慨深いものがありました。
2019年、とあるフェスで出ると聞いて予習したのが出会いで、当時は「いつか」という曲が大好きでした。
コロナ禍もありましたが日本武道館公演を経て、特に今年はフェスに引っ張りだこで大ステージに上り詰めていく様は、バンドのサクセスストーリーを見ているようで、とても感動的でした。

僕が「紅白はないんじゃないか」と思ってたのは、完全スリーピースでピアノがないサウンドだったから、というのもひとつの理由です。
これはもう、「失礼しました、、」としか言えません(笑)
大晦日は正座して見ようと思います(笑)

 

これだから若手の発掘はやめられないんだよなぁ。。

 

 

 


去年Hakubiという若手バンドを好きになりましたが、今年発掘した良いなって思ったのは、ヤユヨ黒子首にしな、いずれも女性ボーカルですがおすすめです♪

 

 

 

 

 

 

 


今年も、疎いジャンルのニュースはランキングに入れず、あくまで自分の中のランキング、でした。
もう少しで今年が終わります。
良いおとしをお迎えください。

 

2018年に制作した曲の、リメイク版、最新曲ができました。

「いつも、まどい」

作詞作曲:寛朗
歌&演奏&アレンジ:eri

 

 

ボーカルeriさんのHP

https://otaeri-musicschool.jimdofree.com/

 


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たまには、自分の音楽活動について、書こうと思います。
自分のこととして言えば、20代でギター始めたばかりの頃は自分で歌をつくり、ライブ活動をしていました。

が、私生活で大変なことがあったのを機にストップしていて、それでも作曲ソフトで勉強してYoutubeに音源をあげて、それがきっかけで声をかけていただき、歌をCDリリース、配信(今はCD販売のみ)する、という機会にも恵まれました。

 

https://www.amazon.co.jp/Music-Variation-vol-04-Kennedy-Brown/dp/B00L2Z6KUG/ref=sr_1_19?qid=1662292029&s=music&sr=1-19


しかし、こういうこともあるんだ!と感動し嬉しくもなった一方で、そもそもアマチュアであり音源の完成度や音質面、何よりも技術面で未熟であることを痛感し、「あ~そうだよね、聴かれないよね。。」と現実を見ました。
そしてそしてアマチュアミュージシャンとして致命的な

アピール下手

が裏目に出て、性格的にも一人でやっていくのは難しい、というのが実感として感じてしまい、だからと言って誰かと何かをするモチベーションもなく、自分の好きなようにやっていればいいか、と、納得させてやってきた日々ではありました。
ただコロナ禍が決定的だったと思うんですが、一人で曲をつくる意味を感じられなくなり、創作のモチベーションがほとんどなくなりました。
僕は創作家である前に音楽ヘビーリスナーであり、そのプロの方が苦しんでいるのを目の当たりにしていた、というのも影響が大きいかもしれません。
周りを見ても、コロナ禍を機にライブ活動をバッタリやめてしまったアマチュアミュージシャンも、かなり多いのではないか、という肌感があります。


で、最近過去作品を振り返ってました。

これとても良い作品だな、と思い返し、温かい気持ちになるのは、性格上向いてるとも思えない自分の歌手としての活動ではなく、作曲家としての活動の作品でした。



僕は自分の歌をネットにあげている傍ら、ネット限定で、eriさんという方と「杏茶」(あんずちゃ)というユニットを結成しておりました。
これは不定期活動で、僕が作曲(場合によっては作詞も)でeriさんがアレンジと演奏(場合により歌)を担当しているものです。
暗黙の了解で、お互いの余裕のあるときにやりましょう、ということになっており(?)、しかも簡単なディスカッションをするくらいで基本的に分担作業、あまりお互いの負担がかからないようなやり方でやってます。
(お互い急かさない、マイペース、だから良いのかもしれませんね!笑)

ユニット名「杏茶」という名前は、お互い飼ってる犬の名前を組み合わせたものなのですが(笑)
で、たぶん僕が名前をつけたと記憶してるのですが、eriさんと知り合ってから、


10周年!!


という節目であったことを思い出しました。
どうやって出会って現在に至るのか、語りたいと思います。

2010年につくった「秋風黄昏」という曲があります。
当時僕は心が沈んでおり、その心象風景がそのまま反映されてる曲となっており、歌モノはのちに発表するんですが、当時の気持ちとしては


「メロディは良い感じだけど、歌詞は暗すぎる、、でも嘘を歌うのは違うからこのままでいっかな」


と、思ってました。

 

後に自分で歌い、発表することになる歌モノはこちらです↓

 

 

 


でもこのメロディだけでもどうにか表現できないか、と考えて手を出したのが、フリーソフトの作曲ソフトでした。
初めてなので陳腐ではありましたが、DTMという(当時は)わけのわからないものが使えるようになったのは、自分としても驚きではありました。
2010年Ver.の「秋風黄昏」がこちらです。

 

 



そしてその後、本格的に作曲ソフトを有料で購入し、音遊びを楽しむようになります。
すると、「秋風黄昏」を、ちゃんと完成させたい、という思いに駆られ、2012年に完成することとなります。
その2012年版が、こちらです。

 

 



当時はネットで交流を持ってる人は全くいませんでしたので、当時主流であったmixi、アメーバなどで動画のリンクを貼って宣伝してみます。
そこでmixiにとあるメッセージが届きました。
それがeriさんだったのでした。



「秋風黄昏、すごく良かったです。演奏してみたいと思えるような作品でした」



のようなニュアンスでした。
そして別のSNSで繋がり、連絡を取れる状態になります。
宣伝したものにわざわざ感想をいただけること自体もうれしかったのですが、何よりも驚いたのが「演奏してみたい」という文言でした。
よくよくプロフィールを見ると「音大出身」で、しかも音楽活動を生業にしている、バリバリプロの方でした。
プロの方と伝えると「おこがましいです、、w」と恐縮していたのですが、でも音楽の先生とかやってるのだから、プロで間違いないです(笑)

その後「秋風黄昏」を演奏してもらう、というコラボ作品が出来上がるのですが、正直この展開は想像もしてなかったし、当時を思い返しても夢見心地であったのを覚えております。
辛いときにつくった曲が誰かの心に響き一緒に音楽をつくれたこと、誰かにピアノで弾いてもらいたいという無謀な願いが実現したこと、それが非常に完成度が高いものであったこと、一人で心が躍っておりました。

自分は音楽知識の浅いド素人であることは自覚してるので「どこまで意見していいのか」と思ったこともあったのですが、向こうは向こうで「作曲者の意図を壊しちゃいけない」という思いがあったらしく、お互いリスペクトが根底にあったのも、良かったなぁと思いました。

 

 


僕は無理になさらず、というテンションでいたのですが、「また弾いてみたい」と言ってくれたので、「お、2作目いっちゃう?」と勢いでつくったのが、メロディだけつくって歌詞つけてなかった「帰り道」という曲でした。

 

 

 

そして3作目は、2作が暗かったので明るくしたい、ということで挑戦をしてみることに。
3拍子、転調、を取り入れた楽曲「イマジン、それから」という曲。
eriさんは、ピアノ以外にフルートも入れてくれました。
なんと多才な♪

 

 



で、その頃自分の歌としての活動、「秋風黄昏」に対する思いもだいぶ変わり、歌モノを出してもいい、となり、CDにもなりました。
そしてeriさんも「秋風黄昏」の歌モノVer.をカバーしてくれたことがありました。


この頃すでに知り合ってから5年くらい経過してましたので、eriさん歌も歌うのであれば楽曲提供したい、という思いが芽生え、できた作品がこちら。

「いつも、まどい」

 

 


夏の失恋がテーマになってはいますが、eriさんに歌ってもらうことを前提とした、女性が主人公の曲です。
多くの人に共感してもらおうとは思わなかったのですが、戸惑いながらも生きていこうとする人の歌、ということで、歌詞はわりと書きやすかったです。


こんな感じで、現時点で4作品、オリジナル作品として完成しております。
10年も生きてると、それぞれ生活の変化はあれど、出会った経緯と完成した楽曲のすばらしさ、いま振り返っても感動的なストーリーだと思ってるゆえ、大切にしたい関係性でもあります。

何が起こるのがわからないのが人生、これは狙ってもできない展開だと思うので、自分はラッキーだったかもしれません。

eriさん以外にも、音楽をやってる、つくってる、というだけでネットで繋がりが広がったということもあり、

 

 

人をつないでくれる音楽ってやっぱり最高だなぁ!!

 

 

と、改めて思ってたりします。

 

10周年で改めて振り返ってみました。
「杏茶」の作品、ぜひ聴いてみてくださいね^^

 

 

eriさんのHP

https://otaeri-musicschool.jimdofree.com/

2022年よりロッキンジャパンの開催地が、ひたちなか海浜公園から、場所を千葉県の蘇我スポーツ公園に変更して行われることとなり、その記念すべき初日、8月6日に行ってきた。
このような巨大フェスが場所を変えて行われることは、運営も不慣れでなんらかの問題が発生するだろうと予想し、実際にそれは起きた。
ロッキンオンが謝罪を通知された点は主に2点


①千葉駅からのシャトルバスの混雑について

今回のロッキンジャパンは、場所を大きく変えたことから、アクセス問題についても熟考されたとうかがえるのだが、それでも問題は起こってしまった。
まず、ひたちなかと大きく異なる点は駐車場がないことで、参加者は公共交通機関を利用して会場に行かなければならない。
そして当会場はJR蘇我駅から徒歩6分の場所にあるのだが、参加人数の多さを考慮し、JR千葉駅と京成電鉄の千葉寺駅から無料バスを出し、分散して入場や退場するよう呼び掛けていた。

 

 

このトラブルは、千葉駅の往復のシャトルバスがなかなか来ない、ということで開演に遅れたり、終電に間に合わなかったり、といった事態が起きたものを謝罪したものである。
これについては、単純に便数を増やすこと、目安の到着時間をもっと長く見積もること、で解決すると思われる。
しかし、全行程が終わるまで便数を増やすことができるのか、という疑問もあり、あくまで初日の混雑は起こる、ということを前提で動くべきであろう。


個人的な話をすると、行きはJR蘇我駅から徒歩で向かったが、8時半と早めに到着したために、会場入りに時間がかかった印象はない。
だが、例えば9時以降に到着した場合、混雑がひどすぎて10時すぎの開演に間に合わなかった、という人もSNSで散見されたので、これに対する正解は

「はやく行く」

という結論になる(笑)
千葉駅からの無料シャトルバスの状況は知らないが、アナウンスしているくらいだから問題が生じていたのだろう。

そして帰りは会場からJR千葉駅行のバスを待つことにした。
ここで、アナウンスがあったシャトルバスの混雑の件を身をもって知ることとなる。
9時から並び始め、バスに乗車できたのは9時50分、千葉駅へ到着できたのは所要時間目安の20分を超える30分後、10時20分のことだった。

ただ、他の方の情報によると、JR蘇我駅への流れも相当の混雑だったらしい。
入場は分散を促すことはできたが、退場時間は分散されなかった(これはやむをえない)ことに加えて、せっかく用意したバスルートの便数の読みが甘かった、ゆえの混乱だったと思われる。
ただひとつ、私個人としてこれが正解なんじゃないか、と思うルートを発見した。

京成電鉄の千葉寺駅のシャトルバスに乗車すること、である。

JR千葉駅のシャトルバスを乗る人の長蛇の列を尻目に、「千葉寺駅行ならすぐ乗車できます」というアナウンスがあったのを覚えていて、実際にすぐに乗車して出発する人たちを目撃した。
行きのことは知らないが、行きに関しても千葉寺駅から会場ルートは比較的すいていた、というSNS上の情報もある。
ぜひ考慮していただきたいアクセス方法である。

(ただし、京成電鉄の千葉寺駅は電車の本数が少ないことは、少し頭に入れておく必要がある)

 

ただし、8月7日の情報によるとシャトルバスを9時半よりはやめに打ち切られていた、との情報もあり、千葉寺駅行のバスでさえ、乗車できないケースもあったようである。

朗報としては、このシャトルバスの乗り場へのルートは蘇我駅への迂回ルートとして、混雑を避けてはやく蘇我駅に到着できる、という情報があった。(情報や運営が錯綜している2日間だったようです。。)

以上の点から私がおすすめするアクセス方法としては、

「行きは9時前にJR蘇我駅に到着して徒歩で行く、帰りは会場から京成電鉄千葉寺駅行のバスを利用する。もし乗車ができなかった場合、そこから蘇我駅へ向かう」

と、いうものである。
今後混雑状況、運営の状況は流動的に変化するだろうが、このルート、流れがおすすめである。





②クロークチケット完売問題について、荷物問題の私見

あまり聞いたことがない問題が発生してしまった。
荷物預かりのチケット、クロークが昼頃に完売してしまう、という一件だ。
この件については、運営側の読みが甘かったと自覚しておられるようなので、おそらく来週以降の開催では改善される、、はず。。

 

 


だが、参加者側としては、やはり改善しなかった場合というのを考慮に入れて動くべきだろう。
コロナ禍では、オールスタンディングとはいえ人との距離が離れている状態が保たれていた。
よって、大きな荷物でなければ足元に置いてアクトを見てもいいのではないか、と思う。

個人的に思うことは、小さいショルダーバッグひとつでまとまるくらいの荷物で参加し、ずっと身に着けているか、足元に置く、くらいの軽い感じで来ても問題はないのでは、と思う。
必需品といえば、まず第一に熱中症予防のドリンク(ただしドリンク自体は会場でその都度買えばいい)、カッパなどの雨具、あと日焼け止めくらい??
今年からはテントも利用不可だし、重いものを持ち歩く必要性を感じないゆえ、できることであればクロークを利用しない、という前提で動くのが良いのでは、と思う。
(それでもグッズをたくさん買った、などクロークにものを預ける必要がある場合があるのも事実なので、クローク希望者全員利用できるように改善する、は一番の運営側の改善点かもしれないが、、)



3点目からは、運営がアナウンスしてない、個人的に気になったこと


③携帯電話の電波がとても悪い

自分は楽〇モバイルだから悪いのか、と思いきや、大手キャリアでも同じ状態だったそうで、これは気になる点だ。
全体の電波が悪い、というわけではなく、GLASSとLOTUSのステージ内が圏外、それ以外は弱いが繋がる、という感じなのだが、基本的に蘇我会場だけが携帯電話のない平成初期、となっていた。
自分のように一人で来てる人はほとんど困らないのだが、友人など複数人で来ている場合は大いに困るだろう。

これはもう、ロッキン運営の問題とかではないので、改善を望まず、基本的に繋がらない前提で動いたほうがよさそうである。
たとえば同行者と常に一緒に動く、あるいは時間に待ち合わせをする、などなど。
携帯電話がなかった時代を体験することができるのも、蘇我ロッキンジャパンの醍醐味かもしれない、、、(???笑)

ただし、キャッシュレスが使えない事態が発生するので、現金やクレジットカードを必ず持参すること!




もう1点、最後にひたちなかから、蘇我に移ったこと、これについても言及したい。


④ひたちなかを回顧するより、蘇我の良いところを楽しもう

自分のようなひたちなかロッキンの常連が蘇我ロッキンに参加すると、その変わった、いや変わらざるを得なかったロケーション、におおいに戸惑うことになるだろう。
例えば、ひたちなかにあった、公園の中、森の中、あの自然の中に囲まれた会場、冒険心もくすぐる導線やステージの場所、、あげればきりがない、2019年までの記憶。。
その空間はもうここにはない、その事実に面食らい、JAPAN JAMに参加したことがある人なら「アレを少し大きくしただけ」感を感じたのが、正直なところである。
しかし、私たちは「フェスが開催できているだけでありがたい」というご時世であることは嫌というほど身に染みているはずだ。
最初は戸惑った私であったが、途中からひたちなか回顧をやめて、蘇我の良さをたくさん見つけることに努めた。

まず、蘇我会場は芝生が綺麗に整備されていて、人がいないところでは気軽に座ることができる。お尻が汚れない。
特に、大ステージから離れたところにある、HILLSIDE STAGE、PARK STAGE、この2つはネクストブレイクアーティストが出演するところで人がすいているうえに、丘のような場所があり寝そべって見ることが可能でロケーションが最高で気に入ってしまった。
両ステージは近いところに並んでいるので、疲れたとき、時間があいたときなど、丘に座って休みながら音楽をまったりと聴く、めちゃめちゃ最高であった。

 



そして大物アーティストが出演する大ステージ、GALSS STAGE、LOTUS STAGE、ここはタイムテーブルが重ならないようになっていてインターバルは10分、移動時間も10分くらいなので、頑張れば両方休まずに見ることができる。
そういえば、ひたちなかロッキンは、メインのGLASS STAGEから離れているステージがとても多かったため移動に難があった。
アクトをたくさん見るという意味では、むしろ蘇我ロッキンの方が可能で、GLASS⇔LOTUSの往復をしていれば、とりあえずライブ最前線の活躍アーティストを抑えることができる。

 

 

 

ほかにも、フードコーナー、グッズ売り場、休憩スペース、などわかりやすく分かれているので、あまり迷うことはないのでは、と思う。
これから続いていくであろう蘇我ロッキン、私たちも運営されてる方に感謝しつつ、一緒に育てて良いフェス空間をつくりあげていこうではありませんか!

 

 

渋谷のライブハウス4会場に5ステージつくり、主に若手アーティスト、およびライブハウスを主戦場としているアーティストがたくさん出る、ムロフェスというフェスに23日に行ってきた。
若手が主体ということもあり、初見のバンドばかり、という感じになったのだが、ネクストブレイクアーティストの発掘、という意味もあり、とても有意義で楽しい一日だった。

 


 

 

いつも長くなりがちなので(笑)、簡潔にアーティストの感想を書きたい。


・メメタァ

O-WESTの一番手に相応しい、「みんなで歌って盛り上がる系」のバンド。
サビで合唱パートになる曲が多いので、合唱がOKになる頃、もっと大きいステージでオーディエンスと一体感になる絵が想像できるなぁと思った。

 

 

 





・SHE'll SLEEP

長野県松本市出身の3ピースバンド。
メロコアスタイルで、ややビートが激しい曲が多い印象ではあるが、歌詞はわりとよく聞き取れてバンドスタイルが確立している感じがした。
それでいて、楽曲が短くコンパクトにまとまっている曲が多い印象で、初見でもガツンと心をつかみやすい感じがした。
まだメンバーは20歳を超えたばかりだというから、正真正銘これから頭角を現してくるのではないでしょうか?

 

 

 





・Dizzy Sunfist

女性ボーカルのパンクバンド、主に英歌詞で歌うので、これはサウンドの迫力に振り切って見るべきバンド。
モッシュダイブがNGなのはこういったバンドにとっては気の毒さは感じるのだが、それでも心に残った、というのは、モッシュダイブがなくてもパンクバンドを楽しむのに関係ない、と再認識したから。

 

 

 




・ircle

活動20年というベテランバンドらしく、固定客もガッツリいて、野心むき出しというより落ち着いていた、という第一印象。
ボーカルの声がしゃがれているうえ声量が大きいのでしっかり歌詞も聴きとれ、さらにベテランらしく曲のサウンドも幅広く、基本的にロックではあるが落ち着いた曲から激しい曲まで、いろんな曲でオーディエンスを圧倒していた。
コロナ騒ぎの「2020」をセトリに加えることにも、ライブハウス代表ベテランバンドとして、強い思いを感じる。。

 

 

 

 





・LACCO TOWER

こちらも活動20年のベテランバンドであるが、ピアノがいることでポップさがより際立つサウンドが特徴
そしてボーカル松川ケイスケ が歌唱に専念しているので、ボーカル&ギターがバンドスタイルの主流となってる昨今では、わりと懐かしさを感じた。
歌がやや爽やかよりなので、ピアノ入りのポップなサウンドに非常にマッチしてて、歌がよくサウンドに映える。

(※実際はもっと激しめのスタイルのようですが、この日のセトリはそのような感じだったとのことでした。。もっと聴いてみますね♪)

ギターの細川大介は、ジストニアというギタリストに致命的な病気を発症したことを告白し、なんとレフティーギタリスト(左利き)としても活動する、ということ発表した。
つまりギタープレイに負担がかからないように、両利きでプレイする、ということで、ステージでレフティーギターにチェンジする一幕があり、そういった観点からも、応援したくなりました。

 

 

 



↑右が細川さん

 

 


・それでも世界が続くなら

O-Crestという、ややライブ会場的にはマッタリとやってる場所のトリの、通称「それせか」
実はそれせかは、もう7~8年くらい前から知っていて、ボーカル篠塚将行の実体験と思われるいじめ、不登校、生きづらさを直球で歌にしたような曲を多く出してるので、直視できず今日に至る、という個人的ないきさつがある。
しかし僕がファンと公言しているHakubiが影響を受けたと知って、改めて向き合ってみようと思った次第である。

それせかは、少人数であれ救われる人がいればそれでいい、と潔いまでの思い切りをしたバンドだ、と強く思った。
「今日イチアンダーグラウンドなバンドです」と、ボーカル篠塚は言った。
他会場では人気バンドがトリを務めてお祭り状態であり、フェス全体としては95%以上は他会場にいたであろうが、彼は5%未満であろうと、目の前で聴いてくれる人がいるのだけで心から嬉しいのであろう。
MCをあまりしない、という事前情報を聞いてたのだが、この日の彼は嬉しさが零れ落ちており、アンコールを本当にもらえると思ってなかったかのようなリアクションさえ、見せるのだった。

歌は代表曲ともいえる「参加賞」「水色の反撃」が好きだ。
「苦しくていい慣れてるから」(参加賞)
「今日も君が泣きながら生きてる、それが僕は悔しくて泣くんだよ」(水色の反撃)
少数派、生きづらい経験をした人たちへ寄り添う言葉が、サウンドにかき消されることなく、歌詞がしっかりと伝わる。
万人受けするタイプでもないし、彼ら自身そういった音楽を目指していないだろうが、それでも心に秘めた傷があるような方は、ぜひ耳を傾けてほしい。

 

 

 

 






・Hakubi

Hakubiは、前からファンだと言っていて、記事にもしてるので最後に短めに。

 

生きづらさに正直である"Hakubi"というバンドの魅力


ボーカル片桐が、最近になって金髪にしてイメチェンをした。
このイメチェンについて、個人的には非常に好感を持っている。

もともと歌詞や歌唱力に力があるバンドである。
そして、惹きつけるうえで影響がないとは言えないのが、第一印象のビジュアルのインパクトである
金髪の女性ボーカルというのは、意外といそうでいない。
他バンドとの差別化を図る意味でも、バンド飽和状態の中で埋もれないためにも、このイメチェンは良い変化の仕方では、と思う。
他の大きなフェスにちょこちょこ呼ばれるようになってきたので、今後も全力応援!!

 

 

 



 

2022年になり、とうとうストリーミングサービス時代が主流になっていくことがほぼ確実な昨今であるが、自分の中で消化しきれない点がひとつあるので、こうして改めて語ってみたくなった次第である。
それは、


結局のところ、音楽業界の全盛期は90年代、だったのではないか?


と、いうことである。
自分が90年代をリアルタイムで経験しているから、そう言っているのではない。

まず大前提として、自分はどの時代においても素晴らしい楽曲、アーティストは出続けていると思っている
確かに90年代はCDセールス全盛期ではあったものの、2000年代以降においても過去曲を凌駕する素晴らしい曲はたくさんあると思ってるし、2020年代になった今もそうであると思う。
特定の世代の音楽が好き、ということがあるとすれば、そのときに流行した音楽が好き、という意味であって、これらは好みの問題である。
間違っても

「昔の曲、歌手のほうが良かった」

などと言うつもりはない。


そうは言っても、何故「90年代」が自分の中で忘れられないのだろうか。。。
それは単に、自分が年をとってしまって、回顧主義に浸りたくなってしまったなのか。。
実際のところ、90年代は僕にとって少年時代にあたる(83年生まれ)ので、多感な時期に知った音楽、ということで、回顧主義という一面も現にあるのかもしれない。
しかし、それを差し置いても「90年代は最強であったのではないか」という思いが拭いきれないのである。

驚くのは、90年代以降に生まれた若い人の中に、積極的に90年代の音楽を聴いている人が、少なくない、ということだ。
もしかしたら、自分が90年代をリアルタイムで経験していたことを差し置いても、本当に、誰から見ても90年代は音楽業界として最強だったのではないか、、そのような仮説、および疑問から、この記事を書いている。


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少し話は変わるが、2022年3月下旬、サッカーワールドカップカタール大会のアジア予選が行われた。
そして、結果として予選を勝ち抜き、本戦への出場を決めた。

しかし、出場を確定させたアウェイのオーストラリア戦は、DAZNの独占配信で地上波の放送がなかった。
私は代表戦見るくらいは好きなので一応契約して見たが、お金を払ってまで見る熱心な人は国民全体から見れば少数であり、多くの人が見ることなく本戦出場の知らせをニュースで目にしたはずだ。
いやそれだけではなく試合自体があったことも知らなかった人もかなりいたはずで、だとしたら本戦出場決定のニュースもいまだに知らない人も、いやワールドカップがいつどこで行われることも、知らない人も多いだろう。
お金を払ってまではサッカーなど見ない、興味がない人からすれば、こんなものではないだろうか。

ワイドショーではこの件について取り上げ、「ニワカファン」が大切であり、地上波放送がなかったことはサッカー界の損失だ、という主張をする人までいたほどだ。

話を戻す。
キーワードは「ニワカ」だ。


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サッカーでいう「ニワカファン」というのは、普段サッカー見ないくせにワールドカップだけ応援する、という人々のことを揶揄ぎみで示した言葉だと理解している。
だが一方で、ニワカファンがいなければ、代表戦の視聴率が50%を超えることなどできないはずで、ニワカファンへのアプローチこそ、業界の盛り上がりにとって大切なことだとも言えるだろう。


昨今の音楽業界にも、同様の現象がないだろうか。
つまり、90年代にたくさん存在した音楽ニワカファンが、少なくなってはいないだろうか。


90年代と現在の、比較である。


①音楽の聴き方

90年代
CDセールスの黄金期、録音媒体が音質の劣るカセットテープだったこともあり純粋な綺麗な音源であるCDを人々は求めた。
現在当たり前のようにあるインターネットがなかったことで、音楽に触れるにはテレビかラジオ、そしてCD音源以外になかった。
カラオケが流行したことも、音楽を当たり前のように求める要因になっていた感もある。

現在
インターネットの普及により音楽の配信方法が充実されていった。
よって、CDセールスは低調、それに伴いCDレンタル店舗も減少、ストリーミングサービス(サブスク)が主流になっている。



②音楽とテレビの関係

90年代
音楽番組がそれなりの視聴率をとっていた、ドラマやCMのタイアップ曲がミリオンセラーになることが多く、テレビと音楽の相性が非常に良かった時代と言える。

現在
音楽番組そのものが少なく視聴率は低調、昨年末の紅白歌合戦は歴代最低視聴率、ドラマやCMのタイアップで話題になることはあってもテレビの視聴率自体がとれない時代である。


③アーティストの活動場所

90年代
とにもかくにもCD売り上げが第一であり、そのためのテレビ出演、ライブは今と同じように行っていたがCD売り上げが動員に直結していた時代であった。

現在
CD売り上げ至上主義なのは某アイドルかジャニーズくらい、多くはライブ活動が主であり、コロナ禍であってもフェスの舞台は用意されている。テレビ出演など一切せずにフェスやライブの動員に繋げているアーティストもいるくらいである。

最近では、ライブ活動をしなくてもSNSで活動するミュージシャンも増えてるというから、昨今の活動方法の選択肢の多様化には驚くばかりだ。


④音楽のリスナーの違い

90年代
バブル崩壊後で決して景気は良くなかったものの、当時は40代の団塊の世代、および20代の団塊の世代ジュニアが、社会を動かしていたのは事実である。
CDを購入する余裕があったのも、この世代がお金を払う余裕があったから、という面があり、だからこそミリオンセラーが頻発していたのだろう。

現在
70代になった団塊の世代が、現在の流行歌に興味を持てないのも無理はないと思う。
そして、サブスクや音楽系SNSに触れるのは主に若者世代が中心であり、少子化の影響で絶対数が少なく、それこそTikTokで話題になろうとも上の世代を含めた国民的ムーブメントになるのは困難であろう。



このように、時代が全く変わってしまった、ということが比較しても一目瞭然である。
③でも述べたように、ライブやフェスなどを主戦場にしているアーティストも非常に多く、なおかつSNSやサブスクの影響で情報が手に入りやすいので、テレビに出ずとも活動の幅を広げることができる、あるいは活動内容について選択できる(顔出ししないなど)のが、現在の音楽業界の良いところである。
繰り返すが、90年代が良くて、現在が悪い、といった話ではない。


とはいえ、①~④の状態になった結果、



音楽「ニワカ」



が極端に減ったように感じるのである。

例えば、Mr.Childrenが配信限定で「永遠」を先日リリースした。
しかし、これを聴くためには、サブスクに入会するか、配信で1曲単位で購入する以外にない。
デジタルに不慣れな高齢者層に届くのはハードルが高いと言わざるを得ない。

また、B'z「FRIENDSⅢ」が昨年末に発売されたが、発売日の配信はなかった。(数か月遅れでサブスク解禁)
よって、発売日付近で聴くためにはCDを購入するか、レンタルをするしかない。
しかし、CDの購買意欲が国民単位で下がっているうえ、レンタル屋の相次ぐ閉店により、安価で音源を入手する手段がなくなってしまった。

思えば90年代は、たった2曲入り千円のCDシングルを当たり前のように購入していたし、レンタル屋でヒット曲CDをあさるのもよく見る光景であった。
ところが、CD売り上げの低下、サブスクの台頭、アーティスト活動の多様化、これを背景にして、潜在的にいたはずの


「ニワカ」音楽ファン

つまり、音楽はとりわけ好きではないけど、気分次第で音楽を聴いてみようかなー♪層 (勝手に命名w)


にとって、音楽に触れにくい状況が出来上がってしまったのである。
その結果、音楽が好きな層は積極的に音楽に触れ盛り上がる一方で、音楽に対して熱がない層に流行歌が届かない、二極化が進んでしまった、というわけである。

90年代のヒット曲であれば、そのとき生きていればほとんどの人が知っていた。
スピッツ「チェリー」「ロビンソン」は、歌詞にそのワードが出ないにも関わらず認知されているのだから、すごいものである。

最近でいえば、90年代にいればミリオンセラーであったであろうアーティスト、をあげるとすれば、あいみょんOfficial髭男dismだ。
あいみょん「マリーゴールド」髭男「pretender」は昨今のメガヒット曲として挙げて差し支えないとは思うが、これらはストリーミング再生で偉業を成し遂げたからといって、それはあくまで「ストリーミングを聴く習慣がある人の中で」であるから、そういったものに触れない層にとっての認知度が高いのかといえば疑わしい。
そもそもCD売り上げ〇〇枚、と比較して、ストリーミング再生〇億回、というのは、一般的にどのくらいすごいのかがイメージしにくい、といった側面もある。

もちろん、ヒット曲を出してから時間がある程度経過している楽曲のほうが、最近のヒット曲よりも認知度のうえで優位にある、といった面はある。
また、④でも述べたが、若者のあいだで流行している曲、とメディアが煽ったところで、少子高齢化の影響で人数そのものが多い団塊の世代や団塊の世代ジュニアには響いてない、といった社会的構図も、このような状況を生み出してる面もあるだろう。
ありとあらゆる現在の社会的な背景が、現在の音楽業界の状況を作り出してしまった、のかもしれない。



考察のまとめとしては、




手軽に音楽に触れられなくなった業界事情、少子高齢化を背景として若者ミュージシャンがムーブメントを起こしにくい社会的背景、



これらを原因として、



音楽熱が盛り上がらない社会的な構造が出来上がってしまった



と、いうわけである。
逆にいえば、90年代は、手軽に音楽触れられる状況がつくりあげられてたうえ、団塊の世代や団塊の世代ジュニアが社会の中心であったがゆえにCD売り上げに多大な貢献をしており、結果として一番音楽業界が盛り上がっていた、というわけである。

残念ながら今は、音楽があらゆる世代の流行をつくりだす、あらゆる話題の中心にいる、という状況ができそうもないのだ。
だからこそ、「90年代音楽業界最強」という思いは募り、ただの回顧主義ではなく、俯瞰に努めて考察しても結局は同じ結論が出るのである。


ここまで書いて、まさか「少子高齢化」「団塊の世代」というキーワードを出したことに自分でびっくりしており、大学時代に適当に書いて提出した文系のレポートを思い出している(笑)
「90年代音楽業界最強」という結論を導き出したところで、自分がすることは変わらず、昔の曲も聴くし、今の曲も楽しむ、それしかない。
ただ願ってやまないのは、年代で最強とまでは言えなくても、「国民的」と言われるような音楽、アーティストが、これからも出続けてほしい。
90年代と比べて、「みんなが知ってる曲が少ない」なんて、なんと寂しい限りではないか!


90年代をもう一度、とは言わない。




音楽の国民的ムーブメントを、もう一度。

今年も、コロナに振り回されましたが、振り返りの「音楽シーンマイベスト10」やります。
昨年同様、コロナ関係で音楽業界に与えた影響、はランキングに入れない方向で。
たとえば夏フェスの中止や、フェスの物議を醸した事件、などは入ってないです。

 

バックナンバーはこちら。

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2017年

2016年

2015年
2014年

 

では、サクサクいきましょう。



10位:優里「ドライフラワー」がヒット

今年のブレイクアーティストといえば優里であり、「ドライフラワー」は今年を代表する曲に間違いはありません。
ところが、とある週刊誌報道で評判を落としてしまい、タイアップがなくなるわ、紅白もレコ大もなくなるわ、少しもったいなかったところがあります。
(メディア側がスキャンダルを嫌がったのか、彼側の問題なのか、わかりませんが、モヤりますね。。)

確かに各ストリーミングサービスでも年間首位を獲得しており、本来であればもっと年末にかけてさらに知名度をあげたかったところなんですけどね。
僕も注目していましたが、ランキングは下の方に一応入れておく、という形にしました。

今年の顔だと思うし、紅白くらい出してあげてもいいのに。

 

 




9位:BABYMETAL、ついにライブ封印、事実上の活動休止

ついにこのときが来てしまったか、という印象です。
背景には

・メンバーが20代前半になったこと
・コロナ禍で従来のようなライブ活動が難しくなったこと


の2点があることは間違いなく、まず「BABY」を名乗ってる以上、さすがに年齢という問題がいつか生じるのでは、と思ってました。
さらに、今年の冬には武道館公演を行ったものの、BABYMETALといえば、モッシュ、ダイブ、ウォールオブデス、というメタル文化(禁止行為ではありますが)があってこそ、という印象も否めず、コロナ禍が長引く以上、活動の在り方も難しかったのだと思われます。
特に、海外で人気であるにもかかわらず世界ツアーができない、というのは痛かったですね。

一応公式上は「解散」ではないようなので、続報を待ちましょうか。



8位:Ado「うっせぇわ」社会現象に

今年の音楽での流行と言えば

うっせぇわ

これで間違いありません。
歌詞については明らかにチェッカーズのオマージュと思われる箇所があったり、そのフレーズの覚えやすさから、世代問わず受け入れられた印象があります。
いろいろそれぞれの立場での「うっせぇわ」があるんだろうと思うし、歌詞を分析して「これは若者の歌だ」とか「いや、80年代を彷彿とさせる歌だ」とか、世代間で対立してないで、それぞれ叫んでいればいいと思う(笑)

あと、Adoさんはインターネットで知り合った面識のないsyudouさんという方から楽曲提供を受けており、そしてなんと彼は会社員!!
自分もインターネット上でコラボしたことがあるので、これは非常に夢がある話ですねぇ。。

 

 



7位:坂元裕二作品映画からAwesome City Clubがブレイク

楽しみにしてた「花束みたいな恋をした」が1月に公開されると、高評価、ロングヒット、となり、坂元裕二ファンとしては非常に嬉しかったわけです。
この映画には主題歌はありませんが、インスパイアソング、としてAwesome City Club「勿忘」が起用され、音楽番組でたくさん流れ、ライブに引っ張りだこ、紅白出場、と大ブレイクしました。

このブレイクには大変驚きました。
というのも、昨年10月のBAYCAMPにて、Awesome City Clubを生で見ていたのです。
そのときはシティポップでとても素敵な音楽だな、と思いましたが、BAYCAMP自体がサブカル的なミュージシャンばかりが出ていたので、まさかその数か月後にこんなことになるとは!と思いました。
良い音楽はその都度発掘していくのは大切ですね。

 

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「花束みたいな恋をした」~音楽好き&坂元裕二ファンの考察

 

 

 




6位:Hakubiというバンドと出会う~メジャーデビュー

個人的な趣味のランクインです。
今年は、Hakubiというバンドと出会い、心が揺さぶられた年になりました。
今後聴き続けるにあたって、Hakubiとの音楽との出会いは、僕の人生にとってとても大きいターニングポイントになりそうな予感さえあります。

9月にアルバム「era」でメジャーデビューしたわけですが、新人、バリバリ若手、というタイミングで好きになったアーティストって今までいなかった気がしますし、そういった意味で、バンド発掘の醍醐味を感じました。
過去記事で彼らの魅力については書き尽くしているのですが、やはりVo.片桐さんの苦しさを正直に歌にする、というのは胸が熱くなるものがあります。

将来有望、そして多くの人の心を救うであろう音楽を奏でるHakubiというバンド、ぜひ覚えておいてください。

 

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生きづらさに正直である"Hakubi"というバンドの魅力

 

 

 

 

 

 

 



5位:アイナジエンド1stAL~ソロライブ活発化

BiSHの中で、非常に表現力豊かで歌声に魅力のあるアイナちゃん
かねてよりソロデビューを切望していましたが、今年ついに待望の1stアルバムがリリースされ、ソロコンサートも開催、行ってまいりました。

彼女は楽器があまりできないそうなのですが、それでも「金木犀」「きえないで」と、心に染みる歌がつくれるのですから、元々歌づくりのポテンシャルがあるんだと思うんですよね。
あまり自信なさそうなコメントが気になるのですが、全力で歌の世界に憑依するパフォーマンスは非常に魅力的で、自信もってもっと音楽活動で才能を開花させてほしいですね。

 

 

 



4位:宮本浩次は小林武史プロデュースでベッタリ、中年の底力を魅せる

Mr.Childrenのプロデュースを離れ、いろんなアーティストのプロデュース業を転々と(?)していた小林武史さんですが、今はエレカシの宮本浩次さんのプロデュース業に専念しているようですね。
コバタケファンとして要注目なのですが、どちらかといえば宮本さんの方が小林さんを信頼しきっている印象があります。

そして、今年ついに気づいてしまったのです、彼の魅力に。。。


小林武史プロデュースといえば、Mr.Childrenしかり、音楽性的にはオーバープロデュースではないか、という賛否両論がつきものでした。
しかし、彼の歌を聞いていると、確かにコバタケサウンドだなぁとは思うんですが、サウンドを凌駕する


「宮本浩次」個人が放つ力


ビブラートを使うことなく歌われるその歌声は、オーバーと言われていたコバタケサウンドを圧倒し、さらになりふり構わず転げまわりながら歌うその姿は、


まさに中年男性の希望


であり、歌詞も力強いことも相まって、すごく魅力的に感じました。
世間一般的に疲れているイメージが強い50代男性、このタイミングでの再ブレイクには、とても意味があることなのではないかと思うわけです。
僕も中年世代に差し掛かってるわけで、まさに男の希望ですね。力をもらえます。

今年も紅白出場!流石見てる人は見てますね。

 

 

 



3位:Official髭男dism、安定的ヒットも「Cry Baby」で唸らせる

Official髭男dismは、今年も安定的なヒットを飛ばしました。
先日横浜アリーナでのコンサートに行ってきたのですが、短期間でpretenderをはじめ多くのヒット曲を量産し、メンバーの優等生感をはじめ、幅広い世代に受け入れられたバンドって、

Mr.Children以来ではないか!!??

とふと思いました。
ミスチルの94~97年あたりの「なんでも売れる」現象は、今のヒゲダンの売れ方と重なるわけです。
もちろん、セールスで人気の指標が図れる時代だから比較は難しいですが、きっと90年代だったらミリオンを量産していたはずです。

そして、今年こんなに高順位にしたのは、


Cry Baby


という楽曲の登場でした。
人気は安定していたとはいえ、それなりのイメージが確立していたヒゲダンを、ここにきてぶち壊しました。
この楽曲は、音楽ファン、もっと言えば音楽のコード解析に詳しい人たちを唸らせ、困惑した人もいたかもしれません。

転調につぐ転調、思いつくのが難しいメロディとコード進行、どうしてこれが思いつくのか。
そしてタイアップとなったアニメ「東京リベンジャーズ」と雰囲気がマッチしており、アニメファンからも高評価。

できれば紅白で披露してほしかったんですが辞退してしまいましたね。。

 

 

 


2位:赤い公園解散

昨年10月に津野米咲さんが逝去され、それでも昨年末のCDJ出演(結果的に中止)に意欲を見せるなど、バンドの動向が注目されていた

 

「赤い公園」
 

とうとう春に解散を決意し、5月に解散コンサートをすることに。
このコンサートは配信で見ましたが、「寂しい」というより「悔しい」と思いました。

「津野米咲のない赤い公園は、もはや赤い公園ではないのではないか」

メンバーの発言は一理あるかもしれませんし、メンバーの意向は尊重したいと思いますし、これで仕方がなかったのだとも思います。
ですが、コンサートを見た後、「赤い公園はポテンシャルのあるバンドだった」ことを再認識してしまい、「なんでこうなってしまったのか、、」と、津野さん逝去を悔やむところに戻ってしまいました。

そして3名の仲が良いわけだし、新曲はつくることはできなくても


1夜限りの再結成


などは、今後あってもいいのではないかなぁ、とちょっと思いました。
あと、石野理子さん、このまま音楽業界で埋もれてしまうのは、もったいないなぁ、とも。。

関連記事
津野米咲を失った音楽業界の喪失、悲しみは大きい

 

 

 







そしてそして、これは世間的にはそんなホットではなくても、個人的にかなり燃え上がったこちらが1位です。








1位:B'z × Mr.Children 世紀の対バンが実現



先日、この歴史的対バンについての考察を記事にしたのが記憶に新しいところです。
(熱く語らなければ気が済まなかった。。。笑)

 

B'z × Mr.Children UNITE~すれ違い続けた30年間を考察

 

90年代を知っている者として、


これは

ありえない共演で、

歴史的な共演で、

かなり心を熱くさせた共演だった



と、強く言いたいです。
CDセールスに勢いがあった90年代、2組のヒット曲は他のアーティストより群を抜いていて、ともに黄金期と呼ばれる時代を過ごしていました。
そして、B'zとMr.Childrenは、そんな状態にいながら、置かれた状況が異なっていたこともあり、両者がともにステージにあがることは、想像ができなかったのです。(詳しくは記事を見て、、)

ミスチルの桜井さんは、稲葉さんの対談において

「トーナメントの反対側にいる(くらい接点がなかった)」

と表現してましたが、まさにその表現がその通りだなぁと思っていて、2組とも人格者で素敵な大人で敵対してないのに、縁がなくすれ違っていたんだなぁ、と。
そして、時を経て共演が実現したこと、なんと感慨深いものだったでしょう!

稲葉さんが「Everything」を桜井さんが「さまよえる蒼い弾丸」を、歌う??
大人の事情もあるかもしれませんが、これは円盤化希望したいですねぇ。。

あと、無事開催できたこと、配信があったこと、これが何より良かったです。
ちなみにB'zの対バン企画はもう1組、GLAYとの横アリ公演があったのですが、こちらは元々交流が昔からあったので意外さはありませんでした。。
(あ、GLAYがどうこうではなく、あくまでミスチルとB'zという組み合わせが衝撃的だと思った、という意味です^^)

 

 

 

 

 

 



今年もコロナ禍の一年で、何故か今は少し落ち着いてますが、昨年に続き異常な一年が続きましたね。。
でも、エンタメ界の影響に関しては、楽観はできないけどやや希望も見えつつある?のではないかと。

たまに長文コラムを2か月に1回のペースで執筆する、というこのスタンスにも慣れてしまって。
他ブログに引っ越しも考えたけど、まぁ面倒だし、このままでいいかと(笑)

んな感じで、大変なこともありますが、時には音楽に癒されながら引き続き頑張っていこうかなと。
少し早いですが、お疲れ様でした。



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2021年マイベストアルバム

1.THE END /アイナジエンド
2.縦横無尽 / 宮本浩次
3.era / Hakubi
4.夜行秘密 / indigo la End 
5.ぐされ / ずっと真夜中でいいのに。
6.THE BOOK / YOASOBI
7.Editorial / Official髭男dism
8.odds and ends / にしな
9.FIZZY POP SYNDROME / 秋山黄色
10.WHO? / いきものがかり


次点
scent of memory / SEKAI NO OWARI
55 STONES / 斉藤和義
FOREVER DAZE / RADWIMPS


特別賞
松本隆作詞活動50周年トリビュートアルバム「風街に連れてって!」



 (EP、ミニアルバムを除く)

去る9月18日と19日、大阪城ホールにて、とある歴史的なコンサートが行われた。


B'z presents UNITE #01


と題し、


B'z × Mr.Children


という2大ビッグバンドによる対バンが行われたのだ。
そしてその模様は10月4日より配信され、鑑賞した後、あまりにも心が震えるほどの感動を覚えたのでこれを書いている。
(今回も敬称略でお届けする)

 

 

 



この夢の対バンの実現には伏線があった。
稲葉浩志による「en-zin対談」という企画で、Volalist対談にMr.Childrenの桜井和寿がゲストに迎え入れ、1時間強、興味深い会話を繰り広げていたのだ。

 

 

 


その中でコロナ禍によるコンサート実施に双方とも迷っているようで、どちらもワンマンライブを実施することにはその時点では消極的のようだった。
そしていよいよ動き出すにあたって、B'z側が「やるなら是非一緒に」とMr.Chidren側にオファーした、という流れだったと推察するし、Mr.Chidrenが快諾したのはとても自然な流れだったように思う。
だから対談から対バン発表はさほど驚きではなかったが、この30年間の歴史を改めて振り返ると、

「ありえない共演」

であり、それが実現したことに非常に胸が熱くなったのだった。
よって、こうしてすれ違いの歴史を考察してみたくなった次第である。


それほどまでに、B'zとMr.Chidrenは、すれ違い続けた30年間だった。
この2組は絶対に敵対などしていないし、メディア側も敵対させてた記憶もなく、本当に縁がなく、ただただすれ違っていただけの2組だったと感じる。

まず誰もが思いつくのが「音楽性の違い」であろう。
一言でいうなら、


ロックで大衆に受け入れられたB'z

ポップで大衆に受け入れられたMr.Chidren


松本孝弘の非常に激しくダイナミックなギターと稲葉浩志によるシャウトを交えながらの熱唱は「ロック」日本代表の立ち位置を揺るぎないものにしていた。
一方で、桜井和寿作詞作曲による優しい日本語、主張しないギターと、時に強く時に優しいボーカルは「ポップ」日本代表、という立ち位置で間違いなかった。
だからこそ、2大ロックバンド、と誰もが認める位置にいながら、音楽性としてお互いの良さを殺してしまいそうな予感さえあったため、あまり共演を望む声は聞かれなかったように思う。

しかし、音楽性以外にも、お互いの歴史を紐解けば、すれ違うのは必然と思えることが沢山出てくる。
いくつかの項目に分けて、振り返っていきたい。



①変わった売れ方をした2組~流れに身を任せたB'zと、小林武史に導かれすぎたMr.Chidren

この2組の共通点のひとつは、変わったブレイクの仕方をした、ということがある。

B'zについては、元々TM NETWORKのサポートギタリストとしてプロで活動していた松本孝弘が、歌手志望だった稲葉浩志と出会い組んだ、いわばスカウト方式で急遽組むことになった即席ユニットである。
出会って4か月後に1stアルバム「B'z」をリリースすることになるが、あまりに制作時間をかけることができずにお世辞にもクオリティは高いものとは言えず、本人たちもその苦労を認めている。
経験を積む中で音楽性は洗練されていくわけだが、稲葉の声質の変化の著しさ、ポップからロックテイストへの変化、など、音楽性の変化がめまぐるしかった。

このようにB'zは、現在のロックの音楽性にたどり着くまでに、ポップに寄ったり、洋楽から影響を受けてみたり、歌詞にインパクトをもたせるのを試してみたり、かなりそのときの試行錯誤が音楽に反映されていると感じ相当な紆余曲折があったことがうかがえる
B'zはユニットとしての在り方を模索している中でブレイクし、売れ続けながら音楽性を確立させていた印象がある
ポップかつ打ち込み主体の「BE THERE」「太陽のKomachi Angel」などは、今聴くと別人が歌っている、あるいはつくっているかのような錯覚を覚えるほどに、音楽性が今と違う。
初期のB'zの音楽は、ポップな音楽を好む方はハマるかもしれないので是非聴いてみてほしい。


Mr.Childrenについては、インディーズバンドとして活躍していたところ、当時サザンオールスターズのプロデュースを手掛けていた小林武史氏が「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」というところから見いだされデビューに至る。
小林武史氏の手腕については、レミオロメンやback numberなどブレイクのきっかけをつくり続けておりプロデューサーやアレンジャーとしての才能については言及するまでもない。
ただ、Mr.Chidrenほどプロデューサー小林武史氏が介入したバンドは他にはないのもまた、事実である。

たとえば2ndアルバム「KIND OF LOVE」から4rdアルバム「Atomic Heart」までは、作詞作曲で桜井和寿と共作の曲が多く、Mr.Chidrenをメガヒットに導いた一方で、相当多くのダメ出しをされ、バンド内でも迷いがあったのだと推察する。
だからこそ、1996年の「深海」でダークサイドのアルバムをつくったかと思えば、「歌うべき言葉さえも見つからない」(Everything)と1997年には人気絶頂の中活動休止してしまう。
1998年に活動再開するも、小林武史氏との距離の取り方に苦労し、迷走に迷走を重ねていたのが実情であった。

このように、Mr.Chidrenを語るうえでは「小林武史」という存在は欠かせず、「あまりにも一緒にやりすぎた」「しかしそれで売れてしまった」という複雑な事情を持った形のブレイクであった。



②ミリオン連発の90年代~黄金期のB'zと、苦しんだMr.Chidren

CD売上が人気の指標ではなくなっている昨今であるが、B'zとMr.Chidrenを語るうえで欠かせないのが、CD売上全盛期の90年代である。
90年代を終えた時点で、CDの売上がB'zが1位、Mr.Chidrenが2位、という状況であった。
さらに2組には、Mr.Chidrenは94年の「Atomic Heart」で、B'zは98年ベスト盤「Pleasure」で、それぞれ当時のCD売上日本記録を更新している、という共通点がある。(現在は宇多田ヒカル「First Love」が1位)
ミリオンセラーを連発し、その数が非常に多かったことからも、2組は群を抜いて「メガヒットバンド」という認識をされていた。
ところが、内情に目を向けると、B'zとMr.Chidrenでは、CD売上全盛期の裏で抱える思いが異なっていたように思うのだ

B'zは、前述した通り音楽性を変えながらも、91年から96年までのシングルはすべてミリオンセラー、まさに黄金期と呼ばれる期間を過ごしていた。
作詞稲葉、作曲松本、と制作作業が固定していたことも、1人にプレッシャーがかからず良かったのでは、と感じる。

Mr.Chidrenはそこのところ、ソングライターでありバンドの顔である桜井和寿一人に大きなプレッシャーがのしかかっていたと思う
プロデューサーの小林武史氏との距離感の取り方もよくわからないままに、孤独や厭世観を感じ、それを容赦なく歌詞に反映させていく。

栄冠も成功も地位も名誉も、たいして意味ない「es」(95年)

今は死にゆくことにさえ憧れるのさ「深海」(96年)

自分に嘘をつくのがだんだん上手くなってゆく「Prism」(98年)


結局のところ、セールス的に成功をした後、桜井和寿は過剰なプレッシャーを抱え込んでしまい、無表情に音楽を奏でており、とても苦しんでいた状況であった。

B'zとMr.Chidrenはお互いをどう思っているのか、あるいは交流することはあるのか、この頃は特に興味を持っていた。
だが、今思い直すと、前述した背景により、Mr.Chidrenに自分たちのことで余裕がなさすぎて手一杯、B'zと接点がなかったのも必然であったと思える。



③2000年代以降~常に安定していたB'z、紆余曲折もようやく落ち着いたMr.Chidren

CD売上全体が減少した2000年代以降は、2組ともそれぞれベテランの域に達したことで落ち着くところに落ち着いていた。
ただ、明らかに音楽性が異なる方向へ向かっており、ここでもすれ違いは続くのである。

B'zはコア層に支えられ、90年代後半にロックテイストの音楽性も確立したこともあって、常に安定していた印象がある。
特記すべきは、サポートメンバーにシェーンガラス(ドラム)など外国人ミュージシャンを加えたり、2002年にはエアロスミスと共演するなど、どちらかといえば外国人アーティストとの交流が活発であった
2007年にはハリウッドロックウォークにアジア人として初めて殿堂入りしたり、松本孝弘個人としては2011年にソロ活動でラリーカルトンと共作したアルバムでグラミー賞を受賞、稲葉はソロ活動においてスティーヴィーサラス(ギタリスト)INABA/SALASというユニットで活動、明らかにJ-POPと呼ばれるジャンルから距離を置き、世界水準の活動をしていく。
実際にB'zとしても、全英語歌詞のアルバムを発売し、アメリカやカナダでツアーをまわったこともあった。

一方、90年代にメガヒットを連発しながらも疲れ切っていたMr.Chidrenであったが、2000年代初頭に迷走した後、ようやくポップバンドとして落ち着きはじる。
転機は小林武史氏とともにBank Bandの活動をはじめ、ap bank fesを開催したことである
自分以外の曲をカバーしたり、自分以外のミュージシャンとの共演がよほど嬉しかったのだろう。
コンサートで笑顔を頻繁に見せるようになり、気取った歌い方から優しい歌い方へ、声質が明らかに変わっている。
(稲葉×桜井対談によると、脳梗塞後に喉の手術をした、とあるのでその影響も大きいかもしれない)

さらにap bank fesがもはやMr.Chidrenのライフワークのひとつになっていたことで、プロデューサー小林武史との関係が非常に良好なものになり、2007年から2013年までサポートメンバーとして帯同するほどの、蜜月っぷりであった
よってこの頃のMr.Chidrenの音楽は、小林武史氏によるアレンジが非常に強めであり、ポップで爽やかなものが多く、まさにJ-POPのど真ん中を突っ走っていた印象がある。
2015年に小林武史氏によるプロデュースは終了しセルフプロデュースに移行するわけだが、近年もBank Bnadとしての活動は続いており、良好な関係は維持されているようである。

このように、2000年以降の20年間は、B'zは外国アーティストとの交流を深めMr.Chidrenは日本人アーティストの交流を深め、といった状況で、ビッグアーティストであり続けたものの、活動の状況がまるで正反対の状態で、すれ違い続けるのも必然であった。



④コロナ禍で急接近した2組~変化を余儀なくされたB'z、ひたすら迷ってしまったMr.Chidren

2組が急接近したのは、コロナ禍におけるB'z側の都合が大きいように感じる。
2019年にB'zはサポートメンバーを一新するが、それでも海外の若手ミュージシャンを起用するスタンスは続いていた。
ここにきて、新型コロナウィルスの直撃により、海外のサポートメンバーを率いての活動が難しくなってしまった
よって昨年B'zは5週連続配信ライブを開催したが、サポートメンバーを日本人で固めていた。
B'zとしては、思わぬ形で変化を余儀なくされたのである
海外アーティストとの交流を軸としていた活動から、J-POPの界隈に近寄ってきてくれた、と言い方を変えることもできるだろう

一方のMr.Chidrenは、コロナ禍においては「SOUNDTRACKS」というアルバムの制作を終えてから、2020年末の音楽番組への出演に至るまで、ひたすら沈黙をしていた。(桜井談「迷っていた」とのことである)
このタイミングで稲葉浩志から桜井和寿へオファーがあり、5月14日にアップされた歴史的な対談へとつながるわけである。

この対談の実現の背景には、稲葉桜井対談で、2015年頃のミュージックステーションで会話があったことがきっかけであることが明かされている。
その時点では濃密な交流までは至らなかったものの、対談したことで急激にお互いのコミュニケーションをとりやすくなったと推察する
そして前述の通り、コロナ禍のライブ開催に消極的な2組が、このタイミングで一緒の舞台にあがり共演する、ということになったのだった。

2組はビッグバンドすぎるがゆえに、ライブエンタメ業界の逆風が強い中、「日本の音楽業界の優等生でなければいけない」という立場も共通していた。
要は、ライブをすることで嫌われる立場になってはいけなかったのである。
(今年の夏は強硬開催されたフェス参加アーティストへの批判の声があがるなど、非常に厳しいものがあった)
だからこそルールが厳格に定められ、マスク着用大声禁止はもちろんのこと、日本で初めてワクチンパスポート(任意)が活用され、半分のキャパで大阪城ホールという2組の人気度合いからすれば考えられないほど小さい会場が選ばれ、行けない人のために配信も用意された。

このように、コロナ禍の両者の変化や戸惑いが、とても離れたところで活動をしていた2組を引き合わせたように思うのだ
コロナは絶対にない世界の方が良かったという思いは変わらないが、こうした思わぬ素晴らしい副産物があるのを目の当たりにすると、本当に悪いことだらけの世の中にも良いことはあるんだな、と実感する。




ライブの共演では、

桜井「こんなに馴染むと思ってませんでした」

稲葉「やってみるもんですね」

と語る場面があり、我々が「音楽的に違う2組」との認識は、当人同士にもあったようである。

ライブを見終えた後、「これを超える対バンはない」と確信してしまう自分がいた。
90年代から今に至るまで音楽シーンを熱くし続けた2バンド、それでも音楽性が真逆だと思われてた2バンド、思ってもいないきっかけで共演が急に実現し、思いが追い付かなかった。


夢じゃないアレもコレも


本当だ、稲葉浩志と桜井和寿が向かい合って歌う姿を見られるとは、なんという夢のような話だろうか。
これが「血管の中が沸騰するような異様な事態」なのだろうか。
B'zとMr.Chidrenという、とてもファン思いで優しい「心ある人」の支えの中でなんとか生きてる今の僕で

本当に、本当に、頑張ろうと思えた。
最高の対バンでした。
ありがとうございました。