赤い公園津野米咲(つのまいさ)さんが亡くなった。
29歳という若さで。



赤い公園(左から2番目)


訃報を聞いてから心のざわつきが収まらないので、落ち着くために彼女のことを書いて頭を整理している。
今日はそんな主旨の記事だ。


まず、申し上げたいのが、僕は「赤い公園」の、とりわけファンというわけではなかった。
だから、フェスで時間があったときに見た程度で、曲もさほど知っているわけではない。
(そういう温度差であることを言わないと、本当のファンの人に申し訳ない)

が、彼女が音楽業界で一目置かれ、楽曲提供など多彩な才能を発揮していることは知っていた。
それこそ、2013年にSMAPの「Joy!」の楽曲提供をしたとき(当時21歳)に、なんて若い女の子が素敵な音楽をつくるのだろう、と興奮したものだった。


そして、僕が津野米咲がベテランのミュージシャンに信頼されている存在である、と認識し尊敬を覚えたのは、ビバラロックフェスの「ビバラアンセム」のメンバーに、キーボードおよびギターとして堂々たる振る舞いで参加していたのを見たときである。
ビバラアンセムとは、ビバラロックに参加するボーカリストが、過去の名曲を歌う名物企画である。
SHISHAMOの宮崎朝子のaiko「カブトムシ」、BiSHアイナジエンドによる椎名林檎「本能」などなど、キーボードやギターを弾いていたのは津野さんだ。
このビバラアンセムの、他のメンバーがすごいのだ。

Ba:亀田誠治
Gt:加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)

Gt&Key:津野米咲(赤い公園)
Dr:ピエール中野(凛として時雨)

このメンバーの中で、紅一点、最年少、20代で参加している。
他にも名プレイヤーはいる中で、敢えての彼女、だったのだ。


それから、クリープハイプの「愛す」のRemixバージョンを頼まれたり、KANA-BOONの谷口鮪とwasabiというユニットを組んで曲を出すなど、邦ロック界隈では先輩後輩問わず、津野米咲はリスペクトされる存在となっていった。
YUKIに楽曲提供したことがあるが、それはYUKI自身からのオファーだったそうだ。

楽曲提供では、SMAPのほか、モーニング娘。などハロプロに提供することが多かったようだが、アイドルに詳しくなかったのでこれは知らなかった。
それらの曲を聴いて驚くのが、SMAPの「Joy!」もそうだったが、歌い手を意識して、その人に見合った曲づくりをするのがとても上手い
良い意味で我が強くなく、奇しくも先日亡くなった筒美京平さんのようにメロディの引き出しが多く、さらに彼女は作詞もするので、詞も歌い手にあったものをつくっていた。

とはいえ芯がなかったわけではもちろんなく、津野米咲の「変態性」と音楽通は呼んでいたようだが、赤い公園の音源やプレイで魅せるギターの歪ませ方、アレンジは結構個性的なものがあり、自分の音楽性というのもしっかり持ち合わせていた
だから、赤い公園で魅せる個性的なギタープレーは魅力的でかっこよくもあり、一方で彼女の作り出すメロディはキャッチーで耳なじみが良く、そのバランスのアレンジをバンドでも楽曲提供でも中心的に行える人、それが津野米咲だった。だから彼女はすごいのだ。


そんな天才ではあったが一般的な知名度はお世辞にも高いとは言い難い。
それは何故か、と考えたときに、まず赤い公園がこれから知られていくであろう可能性を持った段階だった、ということがある。
ボーカルの佐藤千明が脱退(17年)、19歳の石野理子に交代するなど紆余曲折があり、それでも新体制として発売した「THE PARK」は、オリコン最高位の13位を記録するなど、可能性の塊のようなバンドになっていった。
石野理子の歌唱力は透明度があり元アイドルというルックスもありテレビ向け、タイアップ向け、これからの飛躍はタイミング次第だった
必ずや、赤い公園は、津野米咲という名前は、広くお茶の間に知れ渡る、そんな可能性に満ちた段階での、訃報だったのだ。
これを、音楽業界の大きな損失と言わずして、何と言おう。

 

 

 

 

 

 


もうひとつ、津野米咲が何故活躍に反して有名にならなかったか、といえば、彼女がさほど前に出るタイプではない、ということもあるかもしれない。
赤い公園のMVでも、彼女が作詞作曲しておりリーダーであるにもかかわらず、映像のカット割りはメンバー平等で、ボーカルが歌い手として目立っている。
バンド内で最年長であることも意識してか、他のメンバーが活動しやすい雰囲気づくりができるように、一歩引いて自分だけが目立たないように人間的な気配りができる方だったのでは、と様々なエピソードから感じる。
もっと有名になりたい、音楽業界で目立ちたいという我は、彼女はほとんどなかったのだろう。

 

 

佐藤千明時代の代表曲

 


リスナーという立場からすれば、彼女が望む望まないにかかわらず、もっと世間的な評価をされるべき人だった
SMAPの「Joy!」をつくったのが世間的に知られた大仕事だったが、これからももっと名曲、名演奏を、いろんな人に届けられるであろう人だった。



それが、僕が津野米咲を失った音楽業界の喪失、悲しみは大きい、と感じるゆえんである。



単純に、一般層に認知されることなく、ムーブメントを起こすこともなく、静かにこの世からいなくなってしまったのが、悲しくて悔しくてやるせないのだ。
僕も彼女について、知らなかったこと、知らなかった音楽がたくさんあった。
もうこうなってしまった以上、津野米咲の音楽を知らなかったところをもっと知ってみたいし、知らない人にも触れてほしいと思った。
津野米咲という天才音楽家が確実に存在し、人々の心をとらえていたことを、僕はずっと心に留めていたいと思う。

赤い公園は、まだ未発売の曲が発売される予定がある。
まだ終わってない。
これからも続く津野米咲のワークスを最後まで見届けたい、そう思った。



最後に、津野さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
そして、赤い公園のメンバーの心が、癒されますよう願っております。

僕らも食いしばるので、ミュージシャンの方も生きててくださいね。