映画「花束みたいな恋をした」、2回目の鑑賞を終えた。
久しぶりに胸が熱くなり、カルチャーへの思いや、過去の恋愛の懐かしみ、そして何より坂元裕二作品に触れている、という実感を感じて、ディティールを確認したうえで、書かずにはいられなかった。
この映画は恋愛映画ではあるが、その恋愛には終始カルチャーの結びつきが強い演出で、文学やお笑い、そして音楽の話題がかなり具体的に、固有名詞を出して頻繁に登場する。

ネタバレありにならざるを得ない考察となる、ご了承ください。




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まず、坂元裕二作品の特徴として、「すれ違う」ことを会話と演出で表現する、というのが作風としてある。
よって、この2人は別れるだろうな、と予想していたし、実際そうなったわけだが、2人の展開の行く末よりも、趣味の盛り上がり方、生活を巡ってすれ違う心の動き、そういったものの描写が見事であったと思う。

さらに、坂元氏は「プロフェッショナル」にて「少数派のために書いている」と発言していた。
確かに「ながら見禁止」の連続ドラマばかりで、私のように熱狂的に真剣に見入るファンがいる一方、視聴率的には苦戦していたのが、坂元裕二作品を評価するうえでのジレンマでありもどかしさであり、さらに言えば魅力でもあった(わかる人にわかれば良い、と僕自身思っていた)
この映画自体は見やすくわかりやすいのだが、「少数派」への理解が炸裂したのが、本作に頻繁に登場する小説家、ミュージシャンなどの固有名詞たちだ。
いわゆる「サブカルチャー」と呼ばれるものをこよなく愛する二人が、共通の趣味で盛り上がるところから、この話はスタートしているのだ。


まず話は、お笑い「天竺鼠」のライブチケットを所有していた2人が、それぞれの事情で行きそびれ、終電を逃すところから始まる。
そこで出会った山音麦(菅田将暉)八谷絹(有村架純)は、もう1組の30代くらいの男女とともに、流れで飲み屋へ行く。
ここで麦は、飲み屋に偶然居合わせた押井守監督(本人)にびっくりし、絹も表情で驚いたリアクションを見せる。
麦は「神がいた」と発言するのだが、大人の男女には響かず、「ショーシャンクの空に」の話を出して盛り上がる。

ここの対比が絶妙に面白い。
「ショーシャンクの空に」をマイナーな映画として紹介する男と「聞いたことある」と食いつく女、麦と絹が押井守に出くわしたことに興奮する、映画のミーハー層とコア層、の隔たりを表現することに成功している
その後麦と絹は、別の飲み屋で複数のメジャーとは言い難い小説家の話で盛り上がり、カラオケ屋ではきのこ帝国のシングル曲ですらない「クロノスタシス」を歌ってる。
共通の趣味ではなくても、初デートは絹が行きたがってた「ミイラ展」であったし、麦はガスタンク巡りが趣味で3時間の映像にまとめて絹に見せている、つまり周囲に理解されがたいような、変わった趣味を持っている人たちなのだ

麦と絹の人生を想像するに、それまでは周囲の自分の趣味への理解がなかったか、もしくは隠してた可能性が高いのではないか、と思う。
彼らのサブカルチャーは、「サブ」であるがゆえ共通の趣味の人に出くわすことは普通に生活していてまずないので、周囲に合わせることもしながら自分だけの趣味を一人で追究し、理解されることは諦めマイペースに生きてきたのではないだろうか。
だとすれば、2人が「奇跡的な出会い」と感じ、惹かれあうのも必然であった

もうひとつ、面白いシーンがあった。
広告代理店に勤める絹の父と麦が会うシーンで、麦に対して「ワンオクは聴く?」と聴いたのに対して「聴けます」と答える。
おじさんが「ワンオク」を出していれば若者は食いつくと信じてやまないのに対して、あくまでサブカルチャー好きの麦はなびかず「聴けます」と、自分の趣味ではないことを示唆しつつうまくかわしている
この「聴けます」というセリフが個人的にすごく印象的で、とてもわかりやすく自分の立ち位置を示していると思う。
会話劇に定評がある坂元氏、流石である。


このように、2人を結び付けたのはサブカルチャーであるが、ここのところは坂元裕二氏が「サブカルチャーに対する理解」があったところが大きいのではないか、と思う。
前述したように、坂元裕二作品自体が、熱狂的なファンを抱えつつ視聴率が伴わない、というサブカルチャー的な存在であったことと無縁ではないような気がする。
少数派に向けて書いた作品づくりを意識していたがゆえ、サブカルチャーを愛する主人公2人の物語、というのはとても坂元氏らしいと思う。

また、本作のように「趣味」という共通点で惹かれあい始まるラブストーリーは、あまりない切り口である。
さらに言うと、出会いから別れまで、恋敵は一切現れないのもとても珍しい。
それゆえ、その後対峙する「現実」を通しての心の摩耗、それによるすれ違い、私たちの心にリアリティをもって響く。
この「花束みたいな恋をした」は、ありそうでなかった切り口を用いた、新たなラブストーリーの魅せ方を示したと言えるだろう




話を続けると、絹と麦の愛の盛り上がりは最高潮を見せた中で、「現実」「生活」という避けられない壁と向き合っていくこととなる
調布から徒歩30分の多摩川がよく見える部屋で同棲を始めた2人は、勢いのまま大学を卒業しフリーターとなる。
しかし、麦の父から仕送りを断られることを発端として、麦は就職活動を始め、後に運送会社に就職する。
いっぽうで絹も簿記の資格をとり事務の仕事を始める。
趣味の話で盛り上がった2人は、この資本主義社会に摩耗し、次第にすれ違っていく

このすれ違いのやり取りは坂元裕二の得意とするところであり、演出は安定的に見事だ。
麦と絹を取り巻く仕事に対する意識の違いは、世の中の男性と女性の仕事に対する向き合い方でありがちである内容でもあった。
麦は、スーツに身をまとい残業三昧、絹との約束も守れなければ、かつて趣味だったものに心を惹かれず、資本主義社会に染まり仕事人間となってしまっていた
一方で女性である絹は、好きなことを仕事にしたいと、給料は下がるもののイベント会社に転職する。
麦は資格までとって就職した仕事を手放し好きなことを仕事にした(学生気分に見える)絹の行動が理解できず、絹はかつてのように趣味で盛り上がれないことを寂しく思い愛情を受けてないなかで麦が結婚話を持ち掛けてきたことに不信感を持ってしまう。
と、文で書くと淡々としてしまうのだが、ここのところは台詞回し以上に、2人の演技の上手さが光っているので注目してほしい


こんな感じで、サブカルチャーで結びついた2人は、逆にいえばその結びつきがほころんだとき、必然的に関係は破綻へと向かっていってしまう。
ついに別れ話をするファミレスのシーンは、本作最大のハイライト、泣き所ではなかったかと思う。

ファミレスで対峙する麦と絹は、別れることを決意しているが、言葉ではなかなか言い出せない。
笑って別れようと決めてたものの心は揺れ動き、麦は「別れたくない」と言いだしてしまう。
混沌とした空気にトドメを刺したのは、清原果耶と細田佳央太演じる、知り合ったばかりの若い男女の会話だった

ロックバンド羊文学のライブで知り合った2人は、長谷川白紙崎山蒼志の話で盛り上がり「BAYCAMPで会ってたかもしれないですね」と、これまたコアな邦楽の趣味の話に花を咲かせるのだった。
自分たちの過去と重ね合わせる二人、そして残酷なまでに「そのときの感情が2人に宿っていない」ということを突き付けられ、2人は静かに涙を流す。
本作最大の、美しく、切なく、心を揺さぶられるシーンであったと思う。


とはいえ別れた後も話は続き、その演出は非常にポップで軽やかである。
別れた後にばったり会った2人は、互い別の恋人と一緒にいるが特に会話を交わすわけではなく、静かに後ろ向きに手を振る。(これもお気に入りのシーン)
坂元裕二氏はここのところ一貫していて、すれ違うし上手くいかないけれども、決してそれを否定しない
それぞれ大切な思い出、必要な時間として受け止めたうえで、時間は進む(生きてゆく)ことを強く肯定してくれる
今回はラブストーリーが題材であったが、2人の別れを見届けてポップな音楽にのせたエンドロールが流れて、改めて坂元裕二作品に触れている、という実感を感じるのであった。



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坂元裕二作品の作家性、といえば2010年の「Mother」で確立したと言われており、「それでも、生きてゆく」「最高の離婚」「カルテット」など、多くの名作を生みだしてきた。
同じ主演でいえば、有村架純主演の「いつかこの恋を思い出して泣いてしまう」があるが、こちらは映画とは対照的に、主人公に不遇な生い立ちの背景を与えていて最後に小さな希望を示して終わるラブストーリーだったので、本作と真逆の物語を期待される方は、こちらがおすすめである。

坂元裕二初のオリジナル映画である本作を見て、連続ドラマとの違いも感じていた。
連ドラで視聴率が芳しくなかったのは、設定として登場人物に不遇な環境を与える、というのも要因としてあったと思う(「anone」があんな名作なのに失敗作扱いされているのはとても悔しい。。)
それに悔しい思いをしていたので、商業的に坂元裕二作品が受け入れられた点については、坂元ファンとしてとても嬉しいことである。
連ドラも内容的に「ながら見禁止」であることからも、ドラマより映画の方が向いているのかもしれない、と、本作が高い評価を得ていることも加味したうえで思ったりもした。

ただし、正味2時間強という尺で、坂元裕二作品の良さが伝わったのかが怪しい
今回、作風上の都合であろう、主人公には不遇な環境や生い立ちを与えなかった。
それが悪いと言っているのではない。
坂元作品を「それでも、生きてゆく」(2011年)以降ずっと見続けているファンとしては、ずっと「生きる力」みたいなものをもらってきたし、「花束みたいな恋をした」を見た人にも、これをきっかけとして、ぜひ坂元作品の連ドラに触れてみてほしい、「生きる力」みたいなものを感じてほしいと、強く思った。
コロナ禍で生きる力をそがれ、しばらくSTAY HOMEを強いられる昨今では、なおさら連ドラ視聴を強くおすすめしたい。

ちなみに春から、久しぶりに坂元裕二脚本のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」がスタートする。
これも楽しみだ。


個人的な坂元裕二作品ベスト5を、最後に紹介。

1位「それでも、生きてゆく」(2011、フジテレビ)
2位「最高の離婚」(2013、フジテレビ)
3位「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(2016、フジテレビ)
4位「カルテット」(2017、TBS)
5位「anone」(2018、日本テレビ)

 

 

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