2022年になり、とうとうストリーミングサービス時代が主流になっていくことがほぼ確実な昨今であるが、自分の中で消化しきれない点がひとつあるので、こうして改めて語ってみたくなった次第である。
それは、


結局のところ、音楽業界の全盛期は90年代、だったのではないか?


と、いうことである。
自分が90年代をリアルタイムで経験しているから、そう言っているのではない。

まず大前提として、自分はどの時代においても素晴らしい楽曲、アーティストは出続けていると思っている
確かに90年代はCDセールス全盛期ではあったものの、2000年代以降においても過去曲を凌駕する素晴らしい曲はたくさんあると思ってるし、2020年代になった今もそうであると思う。
特定の世代の音楽が好き、ということがあるとすれば、そのときに流行した音楽が好き、という意味であって、これらは好みの問題である。
間違っても

「昔の曲、歌手のほうが良かった」

などと言うつもりはない。


そうは言っても、何故「90年代」が自分の中で忘れられないのだろうか。。。
それは単に、自分が年をとってしまって、回顧主義に浸りたくなってしまったなのか。。
実際のところ、90年代は僕にとって少年時代にあたる(83年生まれ)ので、多感な時期に知った音楽、ということで、回顧主義という一面も現にあるのかもしれない。
しかし、それを差し置いても「90年代は最強であったのではないか」という思いが拭いきれないのである。

驚くのは、90年代以降に生まれた若い人の中に、積極的に90年代の音楽を聴いている人が、少なくない、ということだ。
もしかしたら、自分が90年代をリアルタイムで経験していたことを差し置いても、本当に、誰から見ても90年代は音楽業界として最強だったのではないか、、そのような仮説、および疑問から、この記事を書いている。


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少し話は変わるが、2022年3月下旬、サッカーワールドカップカタール大会のアジア予選が行われた。
そして、結果として予選を勝ち抜き、本戦への出場を決めた。

しかし、出場を確定させたアウェイのオーストラリア戦は、DAZNの独占配信で地上波の放送がなかった。
私は代表戦見るくらいは好きなので一応契約して見たが、お金を払ってまで見る熱心な人は国民全体から見れば少数であり、多くの人が見ることなく本戦出場の知らせをニュースで目にしたはずだ。
いやそれだけではなく試合自体があったことも知らなかった人もかなりいたはずで、だとしたら本戦出場決定のニュースもいまだに知らない人も、いやワールドカップがいつどこで行われることも、知らない人も多いだろう。
お金を払ってまではサッカーなど見ない、興味がない人からすれば、こんなものではないだろうか。

ワイドショーではこの件について取り上げ、「ニワカファン」が大切であり、地上波放送がなかったことはサッカー界の損失だ、という主張をする人までいたほどだ。

話を戻す。
キーワードは「ニワカ」だ。


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サッカーでいう「ニワカファン」というのは、普段サッカー見ないくせにワールドカップだけ応援する、という人々のことを揶揄ぎみで示した言葉だと理解している。
だが一方で、ニワカファンがいなければ、代表戦の視聴率が50%を超えることなどできないはずで、ニワカファンへのアプローチこそ、業界の盛り上がりにとって大切なことだとも言えるだろう。


昨今の音楽業界にも、同様の現象がないだろうか。
つまり、90年代にたくさん存在した音楽ニワカファンが、少なくなってはいないだろうか。


90年代と現在の、比較である。


①音楽の聴き方

90年代
CDセールスの黄金期、録音媒体が音質の劣るカセットテープだったこともあり純粋な綺麗な音源であるCDを人々は求めた。
現在当たり前のようにあるインターネットがなかったことで、音楽に触れるにはテレビかラジオ、そしてCD音源以外になかった。
カラオケが流行したことも、音楽を当たり前のように求める要因になっていた感もある。

現在
インターネットの普及により音楽の配信方法が充実されていった。
よって、CDセールスは低調、それに伴いCDレンタル店舗も減少、ストリーミングサービス(サブスク)が主流になっている。



②音楽とテレビの関係

90年代
音楽番組がそれなりの視聴率をとっていた、ドラマやCMのタイアップ曲がミリオンセラーになることが多く、テレビと音楽の相性が非常に良かった時代と言える。

現在
音楽番組そのものが少なく視聴率は低調、昨年末の紅白歌合戦は歴代最低視聴率、ドラマやCMのタイアップで話題になることはあってもテレビの視聴率自体がとれない時代である。


③アーティストの活動場所

90年代
とにもかくにもCD売り上げが第一であり、そのためのテレビ出演、ライブは今と同じように行っていたがCD売り上げが動員に直結していた時代であった。

現在
CD売り上げ至上主義なのは某アイドルかジャニーズくらい、多くはライブ活動が主であり、コロナ禍であってもフェスの舞台は用意されている。テレビ出演など一切せずにフェスやライブの動員に繋げているアーティストもいるくらいである。

最近では、ライブ活動をしなくてもSNSで活動するミュージシャンも増えてるというから、昨今の活動方法の選択肢の多様化には驚くばかりだ。


④音楽のリスナーの違い

90年代
バブル崩壊後で決して景気は良くなかったものの、当時は40代の団塊の世代、および20代の団塊の世代ジュニアが、社会を動かしていたのは事実である。
CDを購入する余裕があったのも、この世代がお金を払う余裕があったから、という面があり、だからこそミリオンセラーが頻発していたのだろう。

現在
70代になった団塊の世代が、現在の流行歌に興味を持てないのも無理はないと思う。
そして、サブスクや音楽系SNSに触れるのは主に若者世代が中心であり、少子化の影響で絶対数が少なく、それこそTikTokで話題になろうとも上の世代を含めた国民的ムーブメントになるのは困難であろう。



このように、時代が全く変わってしまった、ということが比較しても一目瞭然である。
③でも述べたように、ライブやフェスなどを主戦場にしているアーティストも非常に多く、なおかつSNSやサブスクの影響で情報が手に入りやすいので、テレビに出ずとも活動の幅を広げることができる、あるいは活動内容について選択できる(顔出ししないなど)のが、現在の音楽業界の良いところである。
繰り返すが、90年代が良くて、現在が悪い、といった話ではない。


とはいえ、①~④の状態になった結果、



音楽「ニワカ」



が極端に減ったように感じるのである。

例えば、Mr.Childrenが配信限定で「永遠」を先日リリースした。
しかし、これを聴くためには、サブスクに入会するか、配信で1曲単位で購入する以外にない。
デジタルに不慣れな高齢者層に届くのはハードルが高いと言わざるを得ない。

また、B'z「FRIENDSⅢ」が昨年末に発売されたが、発売日の配信はなかった。(数か月遅れでサブスク解禁)
よって、発売日付近で聴くためにはCDを購入するか、レンタルをするしかない。
しかし、CDの購買意欲が国民単位で下がっているうえ、レンタル屋の相次ぐ閉店により、安価で音源を入手する手段がなくなってしまった。

思えば90年代は、たった2曲入り千円のCDシングルを当たり前のように購入していたし、レンタル屋でヒット曲CDをあさるのもよく見る光景であった。
ところが、CD売り上げの低下、サブスクの台頭、アーティスト活動の多様化、これを背景にして、潜在的にいたはずの


「ニワカ」音楽ファン

つまり、音楽はとりわけ好きではないけど、気分次第で音楽を聴いてみようかなー♪層 (勝手に命名w)


にとって、音楽に触れにくい状況が出来上がってしまったのである。
その結果、音楽が好きな層は積極的に音楽に触れ盛り上がる一方で、音楽に対して熱がない層に流行歌が届かない、二極化が進んでしまった、というわけである。

90年代のヒット曲であれば、そのとき生きていればほとんどの人が知っていた。
スピッツ「チェリー」「ロビンソン」は、歌詞にそのワードが出ないにも関わらず認知されているのだから、すごいものである。

最近でいえば、90年代にいればミリオンセラーであったであろうアーティスト、をあげるとすれば、あいみょんOfficial髭男dismだ。
あいみょん「マリーゴールド」髭男「pretender」は昨今のメガヒット曲として挙げて差し支えないとは思うが、これらはストリーミング再生で偉業を成し遂げたからといって、それはあくまで「ストリーミングを聴く習慣がある人の中で」であるから、そういったものに触れない層にとっての認知度が高いのかといえば疑わしい。
そもそもCD売り上げ〇〇枚、と比較して、ストリーミング再生〇億回、というのは、一般的にどのくらいすごいのかがイメージしにくい、といった側面もある。

もちろん、ヒット曲を出してから時間がある程度経過している楽曲のほうが、最近のヒット曲よりも認知度のうえで優位にある、といった面はある。
また、④でも述べたが、若者のあいだで流行している曲、とメディアが煽ったところで、少子高齢化の影響で人数そのものが多い団塊の世代や団塊の世代ジュニアには響いてない、といった社会的構図も、このような状況を生み出してる面もあるだろう。
ありとあらゆる現在の社会的な背景が、現在の音楽業界の状況を作り出してしまった、のかもしれない。



考察のまとめとしては、




手軽に音楽に触れられなくなった業界事情、少子高齢化を背景として若者ミュージシャンがムーブメントを起こしにくい社会的背景、



これらを原因として、



音楽熱が盛り上がらない社会的な構造が出来上がってしまった



と、いうわけである。
逆にいえば、90年代は、手軽に音楽触れられる状況がつくりあげられてたうえ、団塊の世代や団塊の世代ジュニアが社会の中心であったがゆえにCD売り上げに多大な貢献をしており、結果として一番音楽業界が盛り上がっていた、というわけである。

残念ながら今は、音楽があらゆる世代の流行をつくりだす、あらゆる話題の中心にいる、という状況ができそうもないのだ。
だからこそ、「90年代音楽業界最強」という思いは募り、ただの回顧主義ではなく、俯瞰に努めて考察しても結局は同じ結論が出るのである。


ここまで書いて、まさか「少子高齢化」「団塊の世代」というキーワードを出したことに自分でびっくりしており、大学時代に適当に書いて提出した文系のレポートを思い出している(笑)
「90年代音楽業界最強」という結論を導き出したところで、自分がすることは変わらず、昔の曲も聴くし、今の曲も楽しむ、それしかない。
ただ願ってやまないのは、年代で最強とまでは言えなくても、「国民的」と言われるような音楽、アーティストが、これからも出続けてほしい。
90年代と比べて、「みんなが知ってる曲が少ない」なんて、なんと寂しい限りではないか!


90年代をもう一度、とは言わない。




音楽の国民的ムーブメントを、もう一度。