◎「ささげ(大角豆)」
「ささあかくれ(細・小赤暮れ)」。「あかくれ」が「あっくれ」のような音になりつつR音が退行化しつつ「あげ」になり「あ」も消音化した。「ささあかくれ(細・小赤暮れ)→ささげ」は小さく細かな、赤く、その赤が暮れたような印象のもの、の意。これはあるマメ科植物の名ですが、植物としてはその種子、人としてはその部分を食べるその実(豆:マメ)、の色の印象による名。細かく小さな暮れたように赤いもの、ということ。その植物もその種子たる豆も「ささげ」と言う。豆の印象は小豆(あづき)によく似ています。しかし、小豆(あづき)は日本には起源がわからないほど古くからありますが、ササゲの栽培はそれより新しく、平安時代(900年代)の文献に「大角豆」と書かれつつ登場します。「大角」という表記はこの豆に大きく角ばった印象があるからということでしょう。現代の中国語ではこの豆は「豇豆(チャントウ)」という。「ささぎ」とも言いますが、これは「ささぐり(細・小栗)」か。その実(豆)がふと細かな栗(くり)に見えるということ。
「大角豆 崔禹錫食經云大角豆 一名白角豆 和名散々介 色如牙角故以名之…」(『和名類聚鈔』:ここで『崔禹錫食經』と書かれる書に「大角豆」があるそうです(この書は散逸している)。これを「ささげ(散々介)」と言っているわけですが、「一名白角豆」は別名というわけではなく、その白いものをそういうということでしょう。ササゲには白色種もある。英語名の、Black-eyed pea、は白色種の印象によるものでしょう)。
◎「ささげ(捧げ)」(動詞)
「さしあげ(射し上げ)」。この「さし(射し)」は、日が射(さ)し、などにあるそれであり、情況変動感のある自動表現→「さし(射し・差し…)」の項。「Aを射(さ)し上(あ)げ→Aをささげ」は、Aを、Aが情況変動を生じさせ(Aが日となり周囲に光を放つような状態になり)、上げる(認知表面化する)。それが神仏や権威上者への供え・奉りや献上も意味するのはそれが(下から上へと)「上(あ)げる」行為であり、それを「射(さ)す」ものとする特別感によるものです。
「吾が背子がささげて持てるほほがしは(厚朴:朴(ほほ)の木)あたかも似るか青ききぬがさ」(万4204)。
「釈迦(さか:舎加)の御足跡(みあと)石(いは)に写しおき敬ひて後の仏に譲りまつらむささげ(佐ヽ義)まうさむ(申さむ)」(『仏足石歌』)。
「むとく(無徳)なるもの。…おほきなる木の風に吹き倒されて、根をささげ横たはれ臥(ふ)せる」(『枕草子』:根が、その無残な存在を世に主張するような状態になった)。
「人としてわが誉(ほまれ)をささぐる時は人の憎みをかうむりて…」(「仮名草子」:誉(ほまれ)を、自慢するというか、それが特異的に目立つ状態にすると、ということ)。
「幣帛(神前に献ずる物)をささぐる人もなし」(『平家物語』)。
「おとど御声をささげて泣きののしり給へど…」(『栄花物語』:声をひと際張り上げるような状態になった)。