◎「ね(嶺)」
「ねへ(寝重)」の一音化。「へ(重)」は「へ(辺・重)」の項参照。「ねへ(寝重)→ね」は、横たわり独立存在的経過感を示すもの、の意。独立存在的経過感があるとは、それは何かを隔てるということです。行く手を隔てるように連なる連山です。「みね(峰・御嶺)」「をね(尾根・緒嶺)」といった言葉もある。
「高き嶺(ね:祢)に雲のつくのす我れさへに(弱い私でさえそうであるように)君につきなな高嶺と思ひて」(万3514:東国の歌。「のす」「なな」はその項)。
「我が面(おも)の忘れむしだは国はふり嶺(ね:祢)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ」(万3515:「しだ(之太)」は、そのとき、のような意。「はふり(波布利)」は、あふれわきあがり、のような意。嶺(ね)に湧き立つ雲、それが私のあなたへの思いです、ということ)。
「ふしのねの(富士の嶺) 煙のすゑは 跡なくて もゆる思ひそ 身をもはなれぬ」(『続千載和歌集』)。
◎「ね(寝)」
「いね(寝ね)」の「い」の無音化。「いね(い寝)」はその項参照。「い」は進行感を(睡眠動態に入ること、そしてそれが持続していることを)、表現する接頭語のように受け取られ「ね」のみで睡眠動態に入ること、入っていること、さらには、客観的一般的に睡眠動態にある体勢になること(ただ体を横たえることこと)を表現するようになった。そしてさらにここに睡眠動態を表現する「い」が付され睡眠動態にあることが(深い眠りにあることが)強調され「いをね(睡眠を寝)」「いもね(睡眠も寝)」といった表現もなされた。終止形「ぬ」、連体形「ぬる」、已然形「ぬれ」。
「今造る久迩(くに)の京(みやこ)に秋の夜の長きにひとり寝(ぬ)るが苦しさ」(万1631:「久迩(くに)の京(みやこ・恭仁宮)」は、天平12(740)年、聖武天皇による都(京都府木津川市))。
「ま愛(かな)しみ寝(ぬ:奴)れば言(こと)に出(づ)(世間の噂になる)さ寝(ね:祢)なへば心の緒ろに乗りて愛(かな)しも」(万3466)。
「粟島の逢はじと思ふ妹にあれや安寐(やすい:夜須伊)も寝(ね:祢)ずて我が恋ひわたる」(万3633)。