全的認了による呼びかけの「ね」がある→「な(助・副)」の項、その「・全的認了による呼びかけ」。これは、なにごとかを想する、祈るような願望表現になる。この「ね」は「ねぎ(祈ぎ)」の「ね」になる。
「…家聞かな 告(の)らさね(根)」(万1)。
「あしひきの山飛び越ゆる鴈(かり)がねは都に行かば妹に逢ひて来(こ)ね(祢)」(万3687)。
◎「な(助・副)」(部分再記)
N音の客観的認了とA音の全的完成により全的完成感のある認了(環境との均質)が生じる(表現される)。
・全的認了による呼びかけ
客観的な全的認了(環境との均質)が相手への呼びかけ・意思的働きかけとして作用する。これは相手に均質感を働きかけそれを作動させようとする。相手に何かを勧めたり促したりする。
「家聞かな」(万1)、「妹(いも)がり(妹のもとへ)行かな)」(万2257)といった表現がある。この「な」は「~むな」。「む」は意思・推量の助動詞たるそれであり、消音化している。つまり、動詞に意思・推量の助動詞「む」がつきそれに助詞の「な」がついている。「~むな」は、意思・推量された動態を「な」により客観世界へ(相手へ)働きかけることが勧誘・勧め・促しや自分の意思の表明になる。「家聞かな」は「む」が推量なら「お前は聞くだろうな(私は言おう)」であり、意思なら「私は聞こうな(言いなさいな)」です(この『万葉集』冒頭の歌はそういう構成になっている)、「妹(いも)がり(妹のもとへ)行かな」は、推量であり「私は行くだろうな(行こう)」である。「今は漕ぎ出でな」(万8:漕ぎ出なさいな)、「恵み給はな」(万3930)、「(梅の花を)かざしにしてな」(万820:髪飾りにしなさいな)。たとえば「行かな」は、「行こうな」や「行こうね」のような表現(「行こう」は「行かむ」の変化)。この「な」は助動詞「む」がつく場合と同じ変化が生じている動詞につく。つまり動詞の未然形につく(外観としてそうなる)。
N音の認了感による呼びかけはE音化し外渉感が増し、「ね」でも起こる→「妹に逢ひて来(こ)ね」(万3687:妹に逢ってきなさいな(逢ってくればいいのに:空を飛ぶ雁に言っている)。「名告(の)らさね」(万1:名をお言いなさいな:告(の)り、の尊敬表現、告(の)らし、に、ね、がついている)。この「ね」も、「な」のように、「~むね」。この「ね」は、そうなればいいのに…、という想を表現する希求・願望表現になる→「今替(かは)る新防人(にひさきもり)が船出する海原の上に波なさきそね」(万4335:荒い波が立ちませんように)。