「ぬえ(ぬ得)」。「ぬ」は完了の助動詞になっているそれであり、均質動態を表現する→「ぬ(助動・完了)」の項・4月28日。「え(得)」は帰属の自己認容に外渉的動態感が生じている→「え(得)」の項(2020年8月13日)。均質動態とは完了であり安定であり、「ぬえ(ぬ得)→ね」とは、完了・安定的に、外渉的に自己認容されたこと・もの、ということ。ことやものの外渉性(環境との相互関係性)の安定的完成であり、根拠・理由・現象の根元・根源を意味する。日常的な用いられ方としては、植物の発生、そしてその存続たる存在の基礎を感じさせるその土中部分の器官を言うことが非常に多い(「木の根。草の根」)。人間性では「性根(シヤウね)」。

「僕(あ)は妣(はは)の國(くに)根(ね)の堅洲(かたす)國(くに)に罷(まか)らむと欲(おも)ふ」(『古事記』:「堅洲(かたす)國(くに)」は、「堅巣(かたす)國(くに)」であろう。安定した確かな生活地たる国。「す(巣)」はその項・2023年2月21日)。

「纏向(まきむく)の 日代(ひしろ)の宮は ………竹の根(ね:泥)の 根(ね:泥)垂(だ)る宮 木(こ)の根(ね:泥)の 根(ね:泥)蔓(ば)ふ宮…」(『古事記』歌謡100:「纏向(まきむく)」は大和国城上郡巻向)。

「…岩が根(ね:祢)の 荒き島(しま)根(ね:祢)に 宿りする君」(万3688:「岩が根(ね)」は、岩の、環境との関係でそこに存在として完了させている部分。「島(しま)根(ね)」は島のそうした部分。これは、重篤な病者あるいは死者、の状態を表現している)。

「同じ花の名なれど(私も紅梅といわれるが)、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ(深い感嘆があり)。この宮(匂宮)などの(梅を)めでたまふ、さることぞかし」(『源氏物語』)。

「…お心安くおはなしなさらぬとこい(つ?)らはみんな根が下主(げす)でございますから…」(「滑稽本」『源氏物語』)。

「…、賄賂(まひなひ)薄きを根に持(もつ)て、恥(はぢ)しめたると知(しつ)たる故、…」(「浄瑠璃」『仮名手本忠臣蔵』)。