「うねへ(うね経)」。「うね」(その項)の経過ということですが、「うね」は「うなり(唸り)」にもなっているそれであり、高まり(強まり)そして去りいき、高まり(強まり)そして去りいきという動態を表現する(擬態「うねうね」や名詞「うね(畝)」にもなっている)。「うねへ(うね経)」はそれが経過していることを表現する。「うねへ(うね経)→ね(音)」たる「うね」は物的上下左右ではなく、音の強度や音質の変化を表現する。原点は風が自然発生する音響でしょう。つまり、「ね(音)」の起源は自然音響であり、それは音(おと)の変動であり、その影響や作用を意味する。音源は無機的な物体もあれば生命体もある。たとえば「しほね(潮音)」もあれば、虫の羽根の持続的擦過音や鳥の鳴き声も「ね(音)」になる。

「天飛(あまと)ぶ 鳥(とり)も使(つかひ)ぞ 鶴(たづ)が音(ね:泥)の 聞(き)こえむ時(とき)は 我(わ)が名(な)問(と)はさね」(『古事記』歌謡85)。

「海原(うなはら)に霞(かすみ)たなびき鶴(たづ)が音(祢)の悲しき宵(よひ)は国辺(くにへ)し思ほゆ」(万4399)。

「朝に行く雁の鳴く音(ね)は我がごとく物思ふかも声の悲しき」(万2137)。

「鈴が音(ね:祢)の早馬駅家(はゆまうまや)の堤井(つつみゐ)の水を給へな妹(いも)が直手(ただて)よ」(万3439)。

「剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹を取り見がね音(ね)をぞ(哭乎曽)泣きつる手児(てご)にあらなくに」(万3485:「ね(音)を泣(な)く」は、泣声がでる状態で泣く)。

「…朝鳥(あさとり)の 哭(ね)のみ泣きつつ(啼耳哭管) 恋ふれども 験(しるし)をなみと…」(万481:「ね(音)のみ泣く」は泣く動態が「ね(音)」をめぐりそこから離れないような状態になることであり、泣声を発し続け、そうしなければ耐えられない状態で泣く)。