◎「ぬれ(濡れ)」(動詞)
「ぬふれ(ぬ触れ)」。「ぬ」は完了の助動詞になっているそれであり、均質動態を表現する→「ぬ(助動・完了)」の項(4月28日)。「ふれ(触れ)」は感覚的な、発生の気づきを表現する→「ふり(触り)」「ふれ(触れ)」の項。「ぬふれ(ぬ触れ)→ぬれ」は、均質動態にあるなにかの発生が気づかれること。他動表現「ぬり(塗り)」(5月15日)。使役型他動表現「ぬらし(濡らし)」(下記)。「水にぬれ」(自己と均質動態にある水の発生がきづかれる)という表現が多い。
江戸時代以降のことでしょうけれど、男女の情交を「ぬれごと」と言い、芝居におけるそうした場面を「ぬれば(ぬれ場)」と言ったりするのは、汗だのなんだので、そうした行為に、身体が濡れる印象があるからでしょう。それが浸みた衣が「ぬれぎぬ(ぬれ衣)」であり(雨に濡れたりした一般的な意味の「ぬれぎぬ(ぬれ衣)」という語はもちろん別にある)、「ぬれ衣(ぎぬ)を着せる」は、情交関係などないのに、あるかのような印象にしてしまうこと。さらには、やってもいないのに、やったかのような印象にしてしまい、罪を負わせること。
「時(とき)に口持臣(くちもちのおみ)雪雨(あめ)に沾(ぬ)れつつ、日夜(ひるよる)を經(へ)て、皇后(きさき)の殿(おほとの)の前(まへ)に伏(ふ)して避(まかりさ)らず」(『日本書紀』)。
「家づとに貝を拾(ひり)ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ(奴礼奴)」(万3709)。
「是(こ)の矢(や)は、昔(むかし)我(わ)が天稚彥(あめわかひこ)に賜(たま)ひし矢(や)なり。血(ち)、其(そ)の矢(や)に染(ぬ)れたり。蓋(けだ)し國神(くにつかみ)と相戰(あひたたか)ひて然(しか)るか」(『日本書紀』)。
◎「ぬらし(濡らし)」(動詞)
「ぬれ(濡れ)」の他動表現。濡れた状態にすること。男女の情交を「ぬれごと」と言ったりするが(→「ぬれ(濡れ)」の項)、その影響で「ぬらし」が、相手をいい気分にさせる、その気にさせる、のような意味で言われることもある。
「朝戸出(あさとで)の 君が足結(あゆひ)を 濡(ぬ)らす露原(つゆはら) 早く起き 出でつつ我れも 裳裾(もすそ)濡らさな」(万2357:五七七五七七の旋頭歌。「あゆひ(足結ひ)」は袴を上げ、膝の下あたりで結びとめること・もの)。
「骸骨及髮在處縱横 血流れて泥と成りて其の地を霑(ヌラシ)汚(けが)せる」(『金光明最勝王経』)。
◎「ぬれ(解れ)」(動詞)
「ぬふれ(ぬ振れ)」。「ふれ(振れ)」は「ふり(生り・振り・遊離り)」(その項)の自動表現であり、この場合は遊離することを表現する。「ぬ」は完了の助動詞になっているそれであり(→「ぬ(助動・完了)」の項)、客観的な認了が動態として表現される。「ぬふれ(ぬ振れ)→ぬれ」は、「~ぬ」と表現される動態の完了が遊離する、ということであり、その完了たるその構成が遊離崩壊していくような動態になる。完成的に形成されていたものが解(と)けたり崩れたりする。
「たけば(まとめて整えれば)ぬれ(奴礼)たかねば長き妹(いも)が髪このころ見ぬに掻(かき)入れつらむか」(万123)。
「嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我が髪結ひの漬(ひ)ちてぬれけれ(奴礼計礼)」(万118:「ひち(漬ち)」は濡れることであるが、これは、濡れて濡れた、と言っているわけではない)。