◎「ぬるし(温し)」(形ク)

「ぬゆるし(ぬ緩し)」。「ぬ」は完了の助動詞になっているそれであり(→「ぬ(助動・完了)」の項・4月28日)、客観的な認了が動態として表現される。「ゆるし(緩し)」は弛緩していることを表現し、「ぬゆるし(ぬ緩し)→ぬるし」すなわち、客観的な認了が弛緩している、とはどういうことかというと、事象の客観的認了が確固たる、安定したものではなく、動揺したいい加減なものだ、ということ。事象の変化が他と比較してゆるやかであったり、温度が他と比較し刺激的に高くなかったり、低くなかったり、人の、ものごとに対する姿勢がいいかげんであったりする。

「「上瀬(かみつせ)は是(これ)太(はなはだ)疾(はや)し、下瀬(しもつせ)は是(これ)太(はなはだ)弱(ぬる)し」とのたまひて…」(『日本書紀』)。

「琴酒(ことさけ)を 押垂(おしたり)小野(をの)ゆ 出づる水 ぬるく(奴流久)は出でず 寒水(さむみづ)の 心もけやに 思ほゆる…」(万3875)。

「宮をば、今すこしの宿世及ばましかば(私のさだめが今少しそれに及ぶほどのものであったなら)、わがものにても見たてまつりてまし。心のいとぬるきぞ悔しきや(こころが弱くなさけなかった)」(『源氏物語』)。

「後には、長袖のぬるき立ちふるまひを見なれて…」(「仮名草子」『昨日は今日の物語』:「長袖」は僧侶や医師その他を意味しますが、ここでは僧か。稚児がその「長袖」の「ぬるい(だらしない)」ふるまひを見慣れて鈍(ドン)になると言っている)。

 

◎「ぬるみ(温み)」(動詞)

「にゆるみ(煮緩み)」。「に(煮)」の加熱した状態の緊張感が無くなり弛緩した状態になること。温度的にはなま暖かくなる。ただ、弛緩する温度になることを言い、熱ければ温度は下がり、冷たければ適度に上がることを表現する。

「御身もぬるみて、御心地もいと悪しけれど…」(『源氏物語』:体温があがった)。

「もゆる火も泣く音(ね)にのみぞぬるみにし涙つきぬる今日のかなしさ」(『宇津保物語』:火がおだやかに冷めた)。