◎「ささき」(動詞)
「ささ」は人を促しはやす発声。S音の動感とA音の情況感により情況的に動的に働きかける効果が生じる。その「ささ」の動詞化「ささき」は、人をはやし、沸き立たせることを意味する。『万葉集』の歌にある表現。人の気持ちを湧き立たせれば、それは、誘うこと、も意味する。
この「ささき」という語は、一般に、語義未詳とされている。
「かくのごと(如是) 所為故為 いにしへ ささきし(狭狭寸爲)我れや はしきやし 今日やも子らに いさにとや 思はえてある かくのごと(如是) 所為故為…」(万3791:「いさにとや 思はえてある」は、「いさ(不知)」は「さぁ…」と曖昧に何かをごまかすような表現であり、(昔もてはやされた自分が)、なんなんだあれは…、といった目で見られるような惨めな状態になっている、ということ。「いにしへ ささきし(狭狭寸爲)我れや」は、その昔、人々の心を誘い、惹き、もてはやされた私だろうか、ということ。「如是 所為故為」は「かくのごと せらえしゆえし」と読み、受け身と解することがそうとうに一般化している(さもなければ読みは放棄されている)。そう読みそう解した場合、もてはやされたからこんな惨めなことになった(もてはやされなければよかった、あるいは、もてはやした世間が悪い)、という意味になる。この部分の読みは、「かくのごと(如是) なすはゆえなす (爲すところのことはなにごとかの故(ゆゑ:原因・由来)を為(な)す・故(ゆゑ)となる) 」ということだろう。つまり、爲(し)たことはすべて何かの故(ゆゑ:原因)になりそれにより結果があるのだ、ということであり、意味は、自業自得、因果応報、に似ている。これは当時の諺(ことわざ)のような慣用表現なのかもしれない。つまり、この歌で言っていることは、花やかな人生もすぐに老いる、お前たちもそうなるぞ、ということ(※))。
「毛の末には金(こがね)の光(ひかり)しさヽきたり」(『竹取物語』(武藤本))。
※ この万3791の長い歌は「いにしへの 賢(さか)しき人も 後の世の 堅監(かたみ:形見:模範)にせむと 老人(をいびと)を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり」で終わるわけですが、これは、『令集解』(平安初期(800年代後半)の書)に引用される中国の書『孝子伝』にある話であり、父に命じられ原穀が、泣く泣く老いた祖父を乗せてこれを捨てに行った手車をもって帰り、なぜそんな不吉なものを持って帰った、と父に叱られ、「父を捨てるときにも使うから」と言いい、父は反省した、という話のこと。
「謂孝子伝云。孝孫原穀 穀原作谷… 者楚人也。父不孝之甚。乃厭患之。使原穀作輦。扛祖父送山中。原穀復将輦還。父大怒曰。何故将此凶物還。穀曰。阿父後老復棄之。不能更作也。頑父悔悟。更往山中迎父還。朝夕供養…」(『令集解』)。
◎「ささくれ」(動詞)
「さささくれ(笹決れ)」。「さくれ(決れ)」は「さくり(決り)」の自動表現。「さくり(決り)」の項参照。(特に指先背部が)笹の葉のような細い状態で決(さく)れた状態になること。