【世界観ブログ・わたし史秘話ヒストリアのリンク集 】
(1)わたし史秘話ヒストリア ① 自分語りは恐いし苦手だけど、敢えてやってみよう
(2)わたし史秘話ヒストリア ② 幼稚園から始まったイジメに堪える。
(5)わたし史秘話ヒストリア⑤ 女性たちに伝えたい身の護り方
(7)わたし史秘話ヒストリア⑦ 死にたくても死ねない運命(さだめ)
(10)わたし史秘話ヒストリア⑩ 不幸はその名の通り幸いの中に。
(13)わたし史秘話ヒストリア⑬ 醜形恐怖症(コンプレックス)
過去の自分と向き合うと、結構、自分自身がエグくなりますね。
まるで嘔吐下痢症のような症状。
上から下から吐いて出しても
延々と続くかのような。
すみません、汚いお話(笑)。
今でも正直あんまり筆が進みませんが
他人から見たり聞いたりしても
大した話ではない場合があります。
読んでてキツい方は、
無理して読まん事です。
ただ、私は数名の方の世界観や
過去の自分を晒け出している記事を
読んだのですが、
すっかり、その人の事が
好きになりました。
むしろ、私は
えー、この人、そんな人生ば
送ってきたんやね、と。
あ、別に好きになって欲しくて
書いてませんからね(笑)。
そんな想いをしてきたのは、
私だけやないんやな、とか
なんや、ゆみさんって
あまり立派な人やないんやな、
などと
私という人間の人生について
垣間見て感じて頂けたら
幸いだと思って書いております。
さて、今日はお金がないという
思い込みについて、です。
今考えると、うちには充分
お金があった家庭でした。
だけど、私には
うちは貧乏ったれ!!
贅沢してはいけない
節約しなくてはいけない
という思い込みがありました。
うちを引っ越したからと言って
私は人間関係がグルンッと
良い方向へ変わりましたが
それは転居の環境変化からであるし
私の心がけ次第もあったと思います。
西長住にいた時みたく
もう人なんか怖ぇぇねぇぜ!
と、いう心がけが
出来ていたからなんですね。
が、私には兄妹の不良時代の影響で
自分の希望とは違う高校に入る事になり、
家族の存在を恨んでいた時期がありました。
兄は太宰府中学に転入して
普通の学生生活送ってきたと思いますが
高校に入ってからが、また
ビーバップを絵に描いたような
不良に戻りました。
(懐かすぃ~、大好きでよく観に行ってました)
そんじょそこらの、
可愛いヤンキーではなく
モロ不良です。
中学でパンチや角刈りな兄が
太宰府中学で坊主となり、
やっと真面目になったかと思いきや
久留米では喧嘩三昧だったようです。
西長住の時は、あと一回
何かしでかしたら、
確実に鑑別所行きだと
家庭裁判所から
通告されていた兄。
父も母も、せっかく家を買ったのに
買った途端、父の会社が倒産しました。
家のローンもあるわ、
兄の私立高校通学にはお金かかるわ、
なのに兄はろくに高校は行かず。
母は元々、家を買う頭金も貯めたくて
朝昼夜働いてました。
そして、太宰府に越しても
朝昼夜と働いていました。
祖父祖母にお金を借り、
必死で働いてました。
当時、私は美大に行きたくて
高校も私立の芸術コースのある
美大に行くにはそこ、といった
芸術部のある高校があったのです。
中学の担任が美術の先生で
私なら大丈夫だろうと、
私はろくに勉強もせず、
ただ美術の成績だけは5で良く
数学1、あとは2や3の成績。
そんな私に両親から
「多分、〇〇(妹)も
私立に行く事になるやろう。
あんたは頼むけん
公立高校行ってくれんかいな。」と。
そう聞いて本当は、私が兄や妹よりも
一番グレたいと思いましたが、
当時はとても良い子だったのです。
親を護りたいと思った私は
うん、今から頑張るよ!と言いました。
あの時、グレていたら、
私はどうなってるでしょうね(笑)。
が、ここで、負けず嫌いで
ええかっこしいの私。
公立高校へ行くからには
高校くらい自由に生きたい!!
と、校則の厳しくない
電車通学が出来る
学校にしようと
猛勉強しました。
そのためには
偏差値38~42をウロウロしていた私は
せめて58にしないと合格できない
ラインだったのです。
次回に続きます。
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運命星アロマカウンセラー 横山裕美(ゆみ)