昨日から私の世界観、書き始めました。
序章は下記からご覧下さい^^
①わたし史秘話ヒストリア ① 自分語りは恐いし苦手だけど、敢えてやってみよう
4歳まで私たち一家は、埼玉県大宮市に住んでいました。
私の両親は、大分県玖珠郡出身です。
父は母と結婚してから、自衛隊を辞めてサラリーマンになりました。なので大宮は転勤で暫く住んでいたそうです。ずっと大宮にいる予定だったそうで、両親はここに落ち着こうと家を探していたそうです。
上記画像は埼玉に住んでいた頃だと思います。
この観音像は、恐らく大船観音像(鎌倉)でしょうね。
わたしの巨像畏怖はここから始まっているのかも(笑)。
母の背中に背負われているのが赤子の私で、母の隣は兄。
これは上野動物園に行った時の写真だそう。白いタイツが時代を感じます。
4歳の時、父が再度転勤となり、福岡へ引っ越しします。
その時は春日市というところに住んでいました。ローカルちっくな話ですみません(^^ゞ
その頃は毎日、同じマンションに住んでいたケンちゃんという男の子と幼稚園に通っていました。とっても仲がよく、毎日二人で手を繋いで登園していました。
ある日、ケンちゃんが迎えに来てくれたのですが、母から怒られて不機嫌だった私は、いつものように優しく手をとってくれたケンちゃんの手を振りきって
「もうケンちゃんとは一緒に行かない!!」と言ってしまい、何故かその頃から意地っ張りだった私は、一人で幼稚園に登園するようになりました。
そしてそれから少し経過し、我が家横山家は、また引っ越しする事になりました。ケンちゃんが最後にお別れにきてくれたのを思い出しました。
福岡市南区西長住というところに引っ越すのですが、ここに住んでいた約6年間は私にとって地獄の日々のスタートだったのです。
今となれば、この時期があったからこそ今の私が育まれたので、「有り難い」というべきかもしれませんが、当時は本当に闇の日々でした。
新しい幼稚園に転園したところ、ケンちゃんのような優しい男の子はいませんでした。
それどころか、ガキ大将に変に絡まれるようになり、いつも鼻の事を笑い者にされ、幼稚園に行くのが苦痛でした。
「お前の鼻は人間じゃない、ゴリラだ!」とあだ名をつけられ、ある体の大きい男子にいつも鼻をツマままれていました。
が、ここの幼稚園ではある女友達と仲良くなれたので、それが救いだったと思います。
その子とは小学校は別々となるのですが、近所だったのでよく遊びに行っていたんですね。
その子はいわゆるミッションという、エスカレーション制の私立女子小学校に通っていました。
その子のお誕生会へ招待され、心の中はワクワクでした。
でもその誕生会こそ、私にとって最初の人間不信を産み出したのです。
次回に続きます。
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