写真で振り返るよしだの歴史
はじめましての方もいらっしゃるかも知れませんが以前とは少しテイストを変えブログを綴ることにしましたまずは自己紹介自称生まれたときから生きずらいひとこの写真なんにも考えてない至って普通な赤ちゃんそうそれがあたし凛々しいお顔男の子っぽいですねこの時が一番よかったかなぁ⁉️こんなあどけない日もあっただれしも昔があったそしてお次が前髪の一部伸びた妖怪ではなくもうちょっと成長したあたしなんか座敷わらしみたいですねこれね家族で行った富士急ハイランド唯一の旅行じゃないかな姉が横にいて二人で写ってるのですが姉、つまらない顔してるのねこの辺りで家族の雲行きが怪しくなってるんだよねいつも母はイライラしてた多分父親との中が小さい頃から悪かったんだよねこの旅行の写真一枚も母は笑ってないんでぇすよくね市川のアパートに住んでたときに四畳程度の畳の部屋で四人で寝るのだけど母は父のことが心底嫌いだったらしく父の横で寝る母は寝るときに、『ねぇ?場所変わってくれない?』って私に漏らしていた私も父のこと、恐くて苦手だったからお断りしてたんだけど(笑)ほんといつも母は怒ってた正確には、怒りやすかった私が風邪をよく引いてたんだけど薬が飲めない私は、いつもぐずっていて母は、『なら仕事行くからね!ひとりでいな!』みたいに言って怖がらすから泣きながら、オエオエえづきながら薬を飲もうとするんだけど、結局飲めなくて…でも怒られるから、飲んだふりしてたなぁでも、結局風邪治っちゃうから薬いらなかったんだろね働かないもしくは低収入だった父の変わりに看護師の仕事を毎日してくれただけど、後から聞いたらほんとは看護師の仕事嫌々やってたんだってで、夜勤と称して、夜帰ってこない日が結構あったんですよ父もいない日があった姉とふたり夜を過ごすことが何度もあったことを振り返りますおとなも大変だったんでしょうねうちは授かり婚で、母が18歳で姉を生んだ母は高校から准看の学校に行ったんだけど好きで行ったのではなく祖母に進路を決められてなんです親元を離れ寮生活だったらしい好きではなかったけど結婚してから、看護師の資格があったからわたしらは助けられた母はほんとはどんな気持ちで働いていたんだろうほんとはどんな人生を歩みたかったんだろうとか想いを馳せるなんか人生ってどこでどう繋がってるかわからないいいとか悪いとかではない今にいのちを繋いでもらっていたことに気づく日々母はいつもイライラしてわたしらのことを見ているようで見ていなかったし物とられ妄想があって姉にその罪をなすりつけ暴力をはたらいていた私は恐くて、姉をかばうことすらできずなにも言えずにただ、黙っていた金銭管理もずさんだったから毎月の光熱費がまともに払われたことはない電気がまず止められ次はガス、水道いつものことだから止められると、まずは水道のコックをひねり(どうすれば開通するか知っていたわたし)次はガス屋に電話して、ガスを開通させてもらい、そのガスの灯る明かりで、電気の検診票に記載された電話番号を確認し、『明日払うのでお願いします』と言って電気を着けさせてもらっていたただ、銀行振込の手続きをするだけなのにそれができない母給食費払わないひとが体育館に集められ、お説教されるんだけど、子供に言ってどうするんだ?って子供ながらに思ってました(*´Д`)💦でも子供って慣れるからそれが日常になって以外と悩んだりはしないわたし自体も幼稚園から団体行動に全くなじめずいつもどっかあっちやらこっちやらそっぽを向いていたどこか上の空所在なさげであるあもっと前からそうだったこのファミリーを選んできたというのにいつもつまらなそうな顔をしているなんかねぇ~あるひとに聞いた話でこれは作り話かもしれないけど私はこの家族を笑わすためにこの家族を選んだんだっていまは母はいないし家族はバラバラだけど私は笑わすことができたかな?笑顔にさせてあげれたかな今日はそんなとこ