年が明けて、1月も足早に終わろうとしていますね

前回投稿から日が空いてしまいましたが、

色々ごたごたありつつも

生きてます

ほんと、生きてると色んなことが起きすぎて、生きてるのって

それだけで奇跡の連続と思うのです

過去に交通事故で、左半身がめちゃめちゃになった

外傷性のくも膜下出血もしたけど、いま生きているしね

仕事もできて、御飯も食べれて、ヤバいですね( ´∀` )

 

私の看護師のお仕事は、いつも生と死をまじかに感じるお仕事ですが、

病をしたからといって、必ず病で死ぬということもなく、事故で亡くなる事もあれば、自ら命をとめる人もいる

命は尊いけど儚くもある

死ぬのが怖くないかといったらうそになるけど、

生まれたら誰しも死に向かっているのだと思うと、今日の生が輝いてみえるよね

予言者が、明日あなた死にますよ、なんて言ってきたものなら

どうするのだろう

慌てるのでしょうか

やれてないことをやるのでしょうか

あきらめるのでしょうか

誰かに会いに行くのでしょうか

 

昨年末に姉にご飯を食べに行かないかお誘いしたのだけど、

義理のお父さんが圧迫骨折で入院し、更に、義理のお母さんは認知症で目が離せない

状態らしく、お断りされた

タイミングなんだよね

もちろん正当な理由なのだから仕方ないのだけど

次があるかどうかなんてわからないんだよなと思う

タイミング~ってブラックビスケッツも唄っている

たまに間の悪さも大事なんだねタイミング~ってね

 

ほんと

そのタイミングがきっとあるから

待つことも必要なのかなと思う体験をいましてます

そればかり考えてもいられないけど考えてしまう

だけどすべては神さまの言うとおりなのかも知れない

必要で起きていると考えると、苦しみの考えから少し楽になります

 

自分でできる事はほんのわずかで

大いなるサムシンググレートの力で動かされている気がしてる今日この頃

 

西遊記の観音菩薩の手の平で動いている孫悟空のような気すらしています

 

今日は近況と感じている事をお話してみました

 

如意棒は自分の思いのままに動く如意からきているとするならば

本当は私たちもできないことはなくて、思いのままに生きれる

悟空の頭の輪っかなんか、私たちに本当はなくて、

閉めつけているのは、自分なんじゃないかと思ったりもします

見えない輪っかがあると思い込んでいるのやも知れませんね

ふふふ