満開♪☆彡もう、400年も続いてる!市川「まま山」の枝垂桜。麓にある手児奈の井戸
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真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)境内にて
様々な諸説のある枝垂れ桜。
樹齢400年以上経つこの桜は、
いつ誰がつけたのか「伏姫桜(ふせひめざくら)」と呼ばれている。
(千葉県市川市真間4-9-1/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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祖師堂(そしどう)と仁王門(におうもん)
祖師堂は、宗祖日蓮大聖人・開基伊予阿闍梨日頂聖人・第二祖富木日常聖人(常忍公)をお祀りしているらしい。
平成22年に、宗祖日蓮大聖人御報恩・開基日頂聖人第七百遠忌記念事業として多くの檀信徒からの浄財を頂き、建設された。
総ヒノキによるもので、前部は方形造り・後部は入母屋造りであり、堂内は約80坪(正面5間・側面9間)の広さを有する。
特に屋根瓦は、當山ゆかりの行基菩薩が考案したとされる「行基葺き」を取り入れ、素朴にして重厚な荘厳となっている。
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真間山弘法寺が明治の大火の際、被害に遭わなかったのが「仁王門」と「鐘楼堂」であり、その仁王門に掛かる「真間山」の額は空海が記した物と伝えられている。
(千葉県市川市真間4-9-1/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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赤門(あかもん)
正式には、朱雀門(すざくもん)と呼ばれる。
旧弘法寺本堂(現在真間道場)の正面に位置する。
真間道場・大黒堂・里見龍神堂の入口にあたり、現在残る弘法寺の建物の中でも最も古く推定500年位ではないかと云われている。
(千葉県市川市真間4-9-1/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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鐘楼堂(しょうろうどう)と、土塁
仁王門」とともに、真間山弘法寺が明治の大火の際、被害に遭わなかったのが「鐘楼堂」であり、真間山では、朝6時と夕方6時に山務員による「打鐘」が行われる。
また、新年には限定108名で、「鐘つき」を一般公開している。
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ここに土塁がある地形上の特徴から、諸説あるが、戦国時代の「市川(市河)城」は国府台ではなく、この弘法寺の位置ではないかとも言われているようだ。
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真間山弘法寺の境内には、徳川家康の次男である結城秀康の五男として誕生した、松平直基という江戸時代初期の頃に生きた大名の墓がある。
この墓の形態が「駒形」であるのが特徴的。
(千葉県市川市真間4-9-1/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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石段途中の「涙石(なみだいし)」
正面石段の下から27段目にある石。
多くの石がある中、この石だけが涙を流しているように濡れ続けている時が多い(撮影日は乾いていたが、、、)。
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涙石の由来
江戸時代、作事奉行の鈴木修理長頼が日光東照宮の造営のために使う石材を伊豆から船で運ぶ途中、市川の根本付近にさしかかった時、どうしたことか船が動かなくなってしまいまった。
長頼は「近くの弘法寺に仏縁あり」と思い、積んでいた石を勝手に近くの弘法寺の石段に使用してしまった。
長頼は幕府から責任を追求され石段で切腹。
その時の無念の血と涙が染み込んでいるという伝承がある。
(千葉県市川市真間4-9-1/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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真間山の「山下」
真間山弘法寺は、737(天平9)年に行基菩薩が建立して求法寺と称し、のちに弘法大師によって伽藍が造営され弘法寺と改められた。
881(元慶5)年に天台宗になり、更に1276(建治2)年に法華経寺の開基日常上人の義子である日頂によって日蓮宗に改宗された。
(千葉県市川市真間4-9-1/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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JR市川駅からの位置関係
・白丸囲み=真間山弘法寺
・黄い四角囲み=手児奈霊堂、亀井院「真間の井」
(「アイ・リンクタウン」の展望施設より本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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市川駅南口
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手児奈霊神堂(てこなれいじんどう)
伝説上の女性「手児奈」を祀る霊堂。
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今から1300年ほど前、真間の井(亀井院・・・後述)に水を汲みに行く一人の女性がいた。
名前は手児奈(てこな)。
身なりは粗末だったが、とても美しいと評された。
多くの男性から結婚を求められたが、「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」と悩み、海に行く(当時は真間山の下は海だった)。
そのころ、日没になろうとしていた。
「そうだ、あの太陽のように。」と思って海に身投げしてしまった。
これを悲しんだ人たちは、手児奈霊神堂を建てて祀ったのだそうだ。
(千葉県市川市真間4-5-21/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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亀井院(かめいいん)の「真間の井」
亀井院の境内にある「真間の井(ままのい)」は、万葉集にも詠まれた真間の手児奈が水を汲んだ井戸として伝えられている。
但し、現在は未使用で、非公開。
(2019年3月24日開催「第4回・市川街歩きの会」で特別に許可を得て撮影)
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井戸の滑車が陶器製であるのが特徴的。
(千葉県市川市真間4-4-9/本ブログ管理者2019.3.24撮影)
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井戸の前に、今日も清水が湧く
亀井院は、1638年頃、弘法寺の第十一世住職である日立が貫主の隠居寺として建てたという。
古くは清水が湧いていたことにちなんでか瓶井院、瓶井坊とも呼ばれ、真間山弘法寺の子院のひとつであった。
(千葉県市川市真間4-4-9/本ブログ管理者2019.3.24撮影)