知っとうや(真実を求めて?!) -38ページ目

知っとうや(真実を求めて?!)

⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

奈良の大和三山の一つに、天香久山(あめのかぐやま)があります。古代から歌に詠まれるなど、太陽信仰と関係してきたとも伝えられ、天岩戸神社もあることから、天照大神の岩戸隠れの場所ではないかとも言われています。

 

また、天孫降臨の地とも伝えられる宮崎県高千穂地方にも、天香久山と同じ読み方の天香山があり、この近くにも天岩戸神社があり、当地が天照大神の岩戸隠れの場所ではないかと伝えられます。

 

天岩戸神社と呼ばれる神社は、他にも全国各地に複数あり、それぞれの各地に岩戸隠れの伝承の地が残っています。

 

しかしながら、どこが、本当の天照大神の岩戸隠れの場所なのかは良く分かっていません。

 

神話は遠い昔のことですが、これだけ天岩戸の痕跡が残されているとういうことは、どこかに真の該当場所があるはずです。

 

その答えの鍵を握るのが、先代旧事本紀大成経です。

<真の歴史書(続)>

 

先代旧事本紀大成経には、天香久山が同じ読み方で天隠山として登場します。

 

天照大神が隠れた場所であるから天隠山と書くのが正しいようで、先代旧事本紀大成経では、飛騨一宮水無神社がある位山(岐阜県)が天隠山であることが明確に書かれています。

 

位山

飛騨一宮水無神社③

 

位山は、古代より霊山として崇められてきた山で、天孫降臨や天岩戸の伝承もあるようです。また、鬼神である両面宿儺の伝承の場所でもあります。

 

位山の麓、高山市の市街地南方に、飛騨一宮水無神社があり、位山をご神体として祀っています。

<WIKI:飛騨一宮水無神社>

 

飛騨一宮水無神社の主祭神は、御歳大神であり、他に天照皇大神、豊受姫大神、大己貴命等14神が配祀されており、併せて15神が祀られている珍しい神社です。

飛騨一宮水無神社①

 

飛騨一宮水無神社②

 

 

飛騨一宮水無神社が何のために位山を守護しているのは良く分かっていません。おそらく、熊襲にとって大変都合が悪いので、歴史の途中で消されているのです。

 

先代旧事本紀大成経に書かれていることは、ほぼ正しいようですから、位山が天隠山ならば、天照大神の岩戸隠れの場所はこの位山ということになります。

 

ちなみに、岩戸に隠れた天照大神は、その後の天津神の岩戸開きにより、岩戸から出て来たことになっていますが、実際には隠れた天照大神とは別の神が成り済まして出て来ているようで、未だ、当時の隠れた天照大神は出て来ていないようです。

<天の岩戸開きの真実>

 

それと、位山には、モンデウス飛騨位山という、スキー場と道の駅が一体となった民間娯楽施設があります。このモンデウスというのは、ギリシャ語の造語で、マウント・ゼウスから付けているそうです。マウント・ゼウスとは、『ゼウス(神)の山』という意味になります。名付けた人は天佑によって付けたのでしょう。ギリシャ神話のゼウスと位山は全く関係ないようであっても、天はこのように天佑を与えて、歴史の真実のヒントを残しているのです。

 

日本各地ある古来からの地名は、このようにして天佑によって付けられています。

 

ゼウスは、ギリシャ神話の最高神です。

 

ギリシャ神話が、何故位山と関係あるのか?

 

神話は、地球の神話ですから、神の名は違えど、同じ神を現しているのです。

 

ゼウスが、御歳大神や天照大神と同じであっても、何ら不思議ではないのです。

<オリンポス13神>

 

飛騨一宮水無神社に連なる15柱の神々は、オリンポスの神々、もしくはその魂と言っても過言ではないのです。

 

世界中の神話は、日本とリンクしており、天隠山である位山に、神話は封印されている可能性が高いのです。

 

次回につづきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

前回の続きです。

<大村湾の真実①>

 

転生直前の魂は、転生準備をするために大村湾に集められ、金毘羅権現に守護されながら、転生先に連れて行かれ、人間の赤ちゃんとして生まれるのです。

 

大村湾から転生する魂は、人間以上の高次の魂だと思われます。

 

しかしながら、大村湾の役割りはこれだけではないのです。もっと奥が深い、驚くべき仕組みが用意されているようなのです。

 

大村湾を取り囲むように、金毘羅山(岳)という名の山が、幾つかあると前回記事で書きました。

 

ところが、大村湾の周辺にあるのは、金比羅山だけではなかったのです。

 

大村湾周辺には、少なくとも虚空蔵という名のつく山が4つあります。一番有名なのは川棚町にある虚空蔵山で、他にも佐世保市(針生島)、諫早市、西海市にあり、その頂上付近には小さな神社や祠があります。ちなみに西海市の虚空蔵山の頂上には、金毘羅系の琴平神社が祀られています。

 

佐世保市針生島の虚空蔵山頂上

虚空蔵山(針尾島)①

 

佐世保湾(写真)と大村湾の間の針生島にある

虚空蔵山(針尾島)②

 

大村湾を挟んで反対側には川棚町の虚空蔵山が見える

虚空蔵山(川棚)①

 

川棚町の虚空蔵山山頂

虚空蔵山(川棚)②

 

山頂から見る大村湾。霞が深く、素晴らしい波動だ!

虚空蔵山(川棚)

 

 

虚空蔵とは、仏教の虚空蔵菩薩のことです。大村湾が、虚空蔵菩薩の名を冠した山によって囲まれている理由は何のでしょうか?

 

虚空蔵菩薩とは、明けの明星の化身であり、人々に知恵を授けてくれる菩薩だと言われていて、空海が信仰を広めたとも伝えられています。

<WIKI:虚空蔵菩薩>

 

大村湾は、これから転生する人間以上の魂が集まる場所でした。

 

これらのことから、大村湾での虚空蔵菩薩の役割りは、これから人間に生まれる魂に、知恵の素質(元)を与えていることだと考えられます。

 

輪廻の転生では、人間の上に、神や菩薩、佛がいます。

 

しかし、現在の地球では、人間中心の文明となっているため、神や佛はそのままの姿では姿を現すことが出来ません(佛はそもそも姿を見せません)。人間中心文明の地球では、神や菩薩の魂も、人間として誕生していて、隠れて人間を助けているようなのです。

 

人間と、その他動物の大きな違いは、知恵のレベルです。

 

大村湾は、神や菩薩の魂も含めた人間以上の魂が、人間としてこれから転生していくために集められる場所なので、転生する各魂に対して、それまでの各魂の前世での修業状況を考慮したうえで、虚空蔵菩薩によって、今回の転生に際して新たな知恵の元が授けられる場所だったのです。

 

もっと平易に言うと、これからの人生のおおまかなプログラミングが与えられる場所なのです。

 

この虚空蔵菩薩から授かるプログラミングのことを、運命と呼んでいるのです。虚空蔵菩薩が明けの明星の化身と言われる由縁は、ここにあるのでしょう。これから新たな人間として誕生するからです。

 

全ての人間には、転生前に大まかな運命が授けられます。成功する人もいれば、病気で亡くなる人、事故にあって亡くなる人もいて、人の人生は千差万別で、それは運命とも言えます。

 

しかしながら、運命は、プログラミングとはいえ、その人の努力によって軌道修正することが可能なのです。

 

世の中の成功者が、努力なしに成功している訳ではありません。裏では、相応の努力によって知恵の素質を開花させているはずです。

 

一方、一時的な成金のような成功者は、多くは邪神との契約によってなされているものであり、良い状態は長くは続きません。いつかは凋落します。邪神との契約を解消するのも、運命を変える軌道修正だと思われます。

 

病気や事故でなくなる人は、前世の行いからそのような運命になっているのですが、それは生前の努力で軌道修正が出来ます。しかし、多くの人がそのことを知らないのです。昔の日本人は知っていたはずです。

 

授けられる知恵の元(プログラミング)は、それまでの各魂の修業の状況によって、新たに与えられるので、転生ごとの一過性のものではなく、その魂の輪廻転生に継続性があるのは間違いありません。この輪廻転生の継続性のことを、カルマと呼ぶのだと、私は考えています。

 

いずれにしても、大村湾には、霊的にはもっとも重要と言える、魂に知恵の元を授ける仕組みが隠されていたのです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

大村湾について記事を書いてきました。

 

この記事では、大村湾は日本全国に広がる霊的な大水道に、(魂を含んだ)海水を供給するポンプの役目をしていると書きました。

<神国日本の仕組み②>

 

その2年後の記事では、大村湾の役割りが追加され、これから転生する前の魂の一時待機場所であるとを書きました。

<大村湾の役割>

 

また、大村湾が本来の諏訪であり、現在の諏訪湖は霊的にはレプリカのようなものだと書いてきました。諏訪とは、「魂が集まって協議する場所」です。もっと分かりやすく言うと、「次の転生先を決める場所」なのです。

<諏訪の真実>

 

このように大村湾は、魂を浄化する神国日本の仕組みの中でも、最も重要な場所の一つだったのです。

 

この霊的に重要な大村湾を、守護している場所が、今回のテーマです。

 

まずは、大村湾を取り巻く金毘羅系神社です。

 

金毘羅神社と言えば、愛媛県にある通称「こんぴらさん」と呼ばれる金刀比羅宮が有名です。金刀比羅宮は、全国にある金毘羅系神社、琴平系神社の総本宮です。

<WIKI:金刀比羅宮>

 

金毘羅神社は、海上交通の守り神とされており、漁師、船員などの海事関係者に厚い信仰があります。金毘羅宮は、島々が点在する狭い水道がたくさんある瀬戸内海に面する位置にあるため、海上交通の守り神とされたのかもしれません。

 

しかしながら、海上交通の守り神というのは、あくまで人間が作りあげた信仰です。元来、金毘羅宮が主として守護しているのは、海上の水道であり、魂の流れなのです。魂が、きちんと輪廻転生の手続きを行えるように守護しているのです。

<参考:埋立地は崩壊する運命>

 

従って、転生前の魂の一時待機場所として、最も大きな場所(他にも一時待機場所は幾つかあると思われる)である大村湾の周りには、数多くの金比羅系神社があります。

 

長崎市琴海町にある琴平神社

 

琴平神社(西海市)

 

西海市の八人ケ岳にある金毘羅神社から望む神秘的な大村湾

金毘羅神社(八仁ケ岳)

 

西海市北部にある金毘羅神社

金比羅神社(諫早)①

 

金比羅神社(諫早)②

 

これらは一例ですが、いずれも小さな祠ながら、物凄い神気を放っていました。

 

このような金比羅系神社が、大村湾の周辺を十数か所取り囲み、長崎市方面と島原・有明海方面にも連なって点在しています。

 

また、大村湾の東南側には多良岳山系があり、ここには空海と関係が深い金泉寺があります。古代は修験道の山として信仰を集めていたようです。

 

 

また、大村湾周辺や長崎市には、金毘羅山や金毘羅岳、琴平岳など、金毘羅信仰と関係した山がたくさんあります。これらのことは、私がこれまで主張して来た、大村湾が霊的に大変重要な場所だということの証だと考えています。

 

寿命を終え、あの世で、生前の反省をし終え、次の転生の準備のために一時待機するために大村湾にやって来た魂は、金毘羅系の神によって、次の転生の地へと導かれていくのです。

 

大村湾から長崎湾へ導かれるのが高位の女性の魂であり、大村湾から諫早を経由して有明海に導かれるのが高位の男性の魂ではないでしょうか。

<広島と長崎の謎>

<広島と長崎の謎(続)>

 

長崎市に原爆が落とされ、有明海の一部である諫早湾が閉め切られたのは、高位の魂の転生を妨げようとする邪神に操られた熊襲の仕業だったのです。

 

次回に続きます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

先日、関西方面を襲った強力な台風21号は、大きな被害をもたらしました。特に、関西国際空港の被害は甚大でした。

 

まさか、関空が、高潮で水浸しになると想像できたでしょうか。

 

それと、航空機燃料補給用のタンカーが、流されて関空との連絡橋に衝突し、道路、鉄道が使えなくなったことは衝撃でした。

 

さらに、台風21号の翌々日には、北海道で大きな地震が起き、全道が停電するという事態も生じました。自然の力には驚異を感じるしかありませんが、これは天の警告でもあると私は感じています。

 

自然の営みとは、神の行いでもあります。人間が間違った行為を続けていると、どこかで天は、地球を守護させている神々を使って、人間に警告を発するようです。

 

このことを、我々人間は、自然災害と呼んでいるのですが、現代人は天の存在を理解出来ていないため、近年は次から次へと世界中で災害が起きているのだと考えています。

 

少なくとも、古代の日本や朝鮮半島では、天の存在を認識していたのです。現代の日本でも、たくさん神社があって、神を祀っているにも関わらず、神の信仰は形骸化しています。

 

天が災害を起こす理由は、いろいろな人間の悪い行為にあると思われますが、典型的なのは、人間が開発によって霊的水道を侵すことにあると考えています。

 

世界中には、人間だけでなく、動物・植物等、無数の魂が、輪廻転生の一環で巡っているのです。人間の目には見えませんが、皆さんの周りだけでも物凄い数の魂が存在しているのです。

 

これらの魂の主な通り道は、海、河川、湖沼、地下水脈であり、これらの流れのことを、水道と呼ぶようです。水子の霊と良くいいますが、水子とは水道を流れて行く魂のことを指しているのです。

 

我々人間は、水道と言えば、上水道、下水道などの人工的な水道を思い浮かべますが、それは人間が造ったものであり、本来の水道とは神々が創った霊的な水道を呼ぶのです。

 

特に、神国日本の水道は、魂を浄化する場所なので、大変神聖なものです。従って、日本の海、河川、湖沼、地下水脈等を開発することは、基本的ご法度(神の許可を得れば良い)なのですが、江戸時代以降、どんどん開発によって、これら水道は変えられて来ました。

 

特に近代になってからの開発によって、神国日本の水道は著しく変えられました。元の流れを保っている川は、ほとんど存在しないでしょう。埋め立てられなくなった湖沼。湿地もたくさんあります。

<埋立地は霊的水道>

 

これに対して、天は台風や洪水、地震によって人間に警告を与えてきたのです。

 

しかしながら、現代人は、何故、自然災害が起きるのかを全く理解していないのです。

 

従って、そのことが分かるようになるまで自然災害は止まらない、という悪循環に陥っているのです。

 

冒頭で、関空の浸水被害、連絡橋の被害について述べました。これらが生じたのは、関空が完全な埋立地だからです。関空は世界初の、完全な人工島による空港です。

 

関空が造られた大阪湾南部は、淀川から流れて鳴門まで繋がる、重要な水道上にあります。

 

従って、天は、今回、台風21号によって警告を与えたのです。

 

関空の後、中部国際空港や神戸空港など人工島による空港が出来ましたが、これらの空港も、今後自然災害に遭う可能性があります。

 

空港だけでなく、海、河川、湖沼などを埋立てた場所、湿地を犯した場所は、同様に自然災害の被害に遭う可能性があります。北海道地震によって札幌市清田区の一部が液状化現象によって家が傾いていましたが、これも元は清田と呼ばれる元は湿地帯だからだと思われます。

 

今、地球は、生れ変る大変動の直前にあり、人間によって侵略された水道を元に戻そうと動きつつあるのです。そのための天の警告が自然災害です。

 

そう遠くない将来、地球は本来の理想の地形に戻ります。その際、埋立地は本来の姿に戻されるので、埋立地等に現存する建造物は無くなっているはずです。

 

今後、自宅を購入しようと考えている方は、埋立地や元の湿地帯、湖沼・河川の跡でない場所を検討すべきです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

前回の続きです。

<因幡の白兎の真実②>

 

本来の稲荷神は、白狐神ではなく、白兎神ではないか、というのが前回記事の趣旨でした。

 

今回は、さらにこのことを突き詰めようと思います。

 

白兎神社は、昔の因幡国である鳥取市西部の白兎海岸にあります。

 

ところが、白兎を祀る神社は、鳥取県内陸部の八頭町にもありました。

<WIKI:内陸部の白兎神社>

 

4月に白兎神社に行ったついでに、八頭町の白兎神社を巡ってみました。

 

八頭町には3つの白兎神社があったようですが、そのうちの2つは他の神社に合祀されていて、名称は残っていませんでした。唯一残っている福本地区の白兎神社に行ってみました。

 

神社といっても、社殿は随分前に壊れているようで、鳥居と祠しかなく、田園地帯の中にあり、ほんど訪れる人もいなさそうな、とても荒れた神社でした。

 

素兎神社②

 

しかし、神気はとても強かったです。本家白兎神社以上でした。間違いなく本物の白兎神を祀っています。

 

由緒を見て驚きました。祭神が、白兎神ではなく、素兎神(しろうさぎのかみ)となっていました。

素兎神社①

 

これが何を意味しているか分かりますか?

 

白兎神ではなく、わざわざ素兎神と別の漢字を当てられているのは、白兎神が、白兎海岸において、シャチ(ワニ)によって毛皮をはがされた素肌になった状態の兎を意味しているからだと思われます。

 

つまり、大国主によって助けられた白兎神は、毛皮がなくなった素肌の状態になった後、この八頭町にやって来て、本来の目的である人間に食料を与える役割を始めたのではないでしょうか。従って、後世の人々が当地に白兎神(素兎神)を祀ったのでしょう。

 

他にも、因幡の白兎が単なる兎ではないことが分かる手掛かりがあります。

 

因幡は、古くは「稲羽」とか「稲葉」の字が当てられていたようです。

<WIKI:因幡国>

 

古事記では、因幡の白兎のことは、「稲羽の素兎」と表記されています。

<WIKI:因幡の白兎>

 

稲羽の「羽」は、白兎のことを指しています。兎の数え方は「匹」ではなく「羽」ですよね。兎は飛び跳ねるので、鳥と間違われたため数え方が羽になったのでしょう(古代の兎はもっと高く跳ねていたようです)。

 

また、稲葉とは、その名の通り、稲の葉を指しています。

 

「稲羽」と「稲葉」の両方とも、最初に「稲」が付いているのは、白兎が食料(農業)の神である証なのです。

 

つまり、稲作を日本に伝えたのは、この白兎神なのです。

 

昔から月には兎がいて、餅つきをしている姿に見える、と言われてきました。これは偶然にそう見える訳ではありません。

 

稲作を人間に伝えた食料の神、農業の神である白兎神を称えるため、天が、地球から見た月が、兎の姿に見えるようにしたのです。

 

しかし、その後、邪神によって白兎神はだんだん地球から排除され、熊襲の悪狐である白狐神に変えられていったのです。

 

それが現在、日本中にある稲荷神社です。稲荷神社は邪神が造ったものなのです。

 

前述した八頭町の白兎神社では、鳥居の表札が外され、次のようになっていました。

素兎神社③

 

まるで素兎神が、磔にされているかのように感じました。これも熊襲の仕業に違いがありません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

日本神話に、有名な因幡の白兎の説話があります。

 

<WIKI:因幡の白兎>

 

何故、日本神話に白兎が登場するのか、非常に不思議な説話だなと以前から感じていました。

 

しかしながら、調べてみると、大変奥が深い謎解きを示唆した説話であることが分かってきたのです。

 

因幡の白兎の謎を解くために、説話の舞台である因幡国、現在の鳥取市の白兎海岸に行ってみました。

 

まず、白兎を祀る白兎神社に行ってみました。

 

大国主と白兎

白兎神社②

 

白兎神社①

 

白兎神社④

 

白兎が皮を剥がされた身体を癒したと伝わる池。強い神気を感じた。

白兎神社③

 

白兎神社は、白兎海岸のそばにあり、休日ということもあって多くの観光客が訪れていました。

 

神社の神気は強く、白兎の神が実在することを確信しました。とくに、白兎が身体を癒したと伝わる池の神気は強かったです。

 

次に神社の前に広がる白兎海岸に足を運んでみました。砂浜が広がる海岸ですが、海岸沿いに一つだけそびえる巨岩が目立っていました。

 

白兎海岸①

 

近づいてみると、巨岩の上には鳥居があり祀られています。巨岩の前後には、水面から頭を出しただけの細長い岩が連なっていました。

白兎海岸②

 

実は、この巨岩は、因幡の白兎説話に登場するワニが、大国主の神通力によって巨岩にされた伝わっていると、現地の歴史資料館に書かれていました。

 

古事記では、白兎は隠岐の島から当地(白兎海岸)から渡るために、ワニ(鮫とされている)を騙したことになっています。騙されたことに気づいたワニは、怒って白兎の皮を剥いで報復します。

 

皮を剥がされた白兎は、通りすがりの八十神たちの「海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい」という言葉に騙され、さらに傷を悪化させます。

 

そこへやって来た大国主が、「水で身体を洗い、その水門の蒲の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えてくれたので、そのようにしたところ回復します。

 

この古事記の情景の場所が、白兎海岸、白兎神社に比定されているのですが、さらに当地には、その後、大国主がワニを懲らしめて岩にしたのが、白兎海岸にある巨石と前後に連なる岩、とされているのです。

 

このような白兎の説話は、多くの人がフィクションだと思っているでしょうが、神話や童話といった昔から伝わる話は、多くの場合が事実に基づいているようなのです。

 

大国主と白兎の説話も事実のようです。

 

それでは、何故、白兎と大国主の話が神話として伝承したのでしょうか?

 

それは、白兎が、人間のために食料を与える神であり、国造りに大変重要な役割をしていたからなのです。

 

白兎神社に祀られている白兎神はまさしく、人間を助ける兎の身体を持った神だったのです。

 

古代、人間が文明を持つ前の神代の時代、今から数百万年以上前の時代は、天が人間を助けるために、いろんな種類の神を地球に派遣していたようです。

 

その中で、食料を与える中心の神が、実は白兎神だったようです。白兎神は、大陸でひと通り役目を終え、次に日本に渡る際、現在の隠岐島を経由したのでしょう。隠岐島からワニを使って白兎海岸に渡ろうとしたのです。

 

説話では、白兎がワニを騙したことになっていますが、これはウソで、実際にはワニが白兎を騙したのです。

 

ワニとは、サメとされていますが、実際には現代のシャチの祖先にあたる動物だったようです。今のシャチよりも巨大で凶暴だったようです。本来のシャチは、である善の神だったようですが、邪神側に堕ちるとワニ(和邇)と呼ばれていたようです。

 

何故、ワニが白兎を騙したのかといいますと、邪神は、人間のために食料を与える白兎神を良く思っていなかったのです。邪神は、食料をコントロールして人間を支配しようとしていたからです。

 

邪神の命を受けたワニは、白兎に、対岸まで運んであげると提案し、白兎が海岸まで渡り終えた直後に襲ったのです。

 

その後に登場した八十神も邪神に操られていて、さらに傷を悪化させるように助言したのです。

 

しかしながら、その次にやって来た大国主が白兎を助け、さらにワニを成敗したということのようです。

 

大国主は、天より地球の国造りを任された神だったので、白兎神の危機を知ってかけつけたのでしょう。

 

現代で、食料の神と言えば、白狐神を眷属とする稲荷神ですが、実は本当の食料の神は白兎神だったのです。

 

次回に続きます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

これまで、殺生石九尾の狐に関する記事を書いてきました。

<殺生石>

<稲荷神誕生の秘密②>

<アダムとイブ>

<九重と久住と九尾の狐>

<西国三十三観音と九尾の狐>

 

殺生石とは、日本では中世に、美女に化けて当時の権力者を惑わし、世の中を混乱させてきた九尾の狐を、12世紀に安倍晴明の末裔が、妖術によって巨石にしたとされる、那須湯本温泉にある巨石のことです。

 

ところが、九尾の狐は、巨石にさせられた後も、毒ガスを吐き続け、周りの住人や旅人に殺生石と恐れられたため、1385年に玄翁和尚によって打ち砕かれ、現在の大きさとなったようです。

 

打ち砕かれた巨石の一部は、九つに分かれて全国各地に飛び散っています。

 

殺生石①

 

殺生石②

 

九尾の狐とは、吉備真備が遣唐使の帰りに、中国から連れて来た霊獣だと伝わっています。

 

霊獣なので、本来は良い神様なのですが、どうもこの時連れて来た九尾の狐は、霊獣に成り済ました邪神だったようなのです。

 

出口王仁三郎によれば、地球上で暴れまわった邪神は数多くいるようですが、それを統率していたのは、三大邪神です。

 

八頭八尾の大蛇(やつがしらやつびのおろち)

六面八臂の邪鬼(ろくめんはっぴのじゃき)

金毛九尾の狐(きんもうきゅうびのきつね)

 

現在の序列もこの順位のようです。ちなみに、旧約聖書に登場する堕天使サタンは、高位の天使に、邪神である八頭八尾の大蛇が憑依したものです。

 

金毛九尾の狐は、元々は古代の中国やインドで暴れまわっていたようですが、前述のように遣唐使によって霊獣である九尾の狐に成り済まして、日本にやって来て、悪さをしだしたのです。

 

実際に、日本で、九尾の狐の伝説が残っているのは、平安時代から室町時代にかけてです。

 

1385年に、玄翁和尚に殺生石を砕かれてからは、九尾の狐の暴れる様子は伝えられていないようなので、殺生石は、邪神ナンバー3である金毛九尾の狐が、石にされたものであることに間違いないと考えていました。

 

ところが、話はそう単純ではなかったのです。

 

殺生石の結界はすでに解けていると考えていたのですが、最近になって私の脳裏に殺生石のことが浮かんできました。

 

私が初めて殺生石を訪れたのは2012年、6年前のことです。

 

気になったので、もう一度、殺生石を訪れよう考え、今年7月に再訪しました。

 

事前に那須湯本温泉の周辺を調べていたら、九尾の狐に関する伝説が、栃木県大田原市にある玉藻稲荷神社に伝わっていることを知り、殺生石を訪れるついでに行ってみました。

 

すると、驚きの発見があったのです。

 

玉藻稲荷神社は、人気がほとんどない田園地帯の奥、うっそうとした森の中にありました。

 

暗く、近づきがたい雰囲気でしたが、境内を歩いていると物凄い神気を感じ出しました。小さな社殿ですが、とても強い神気を発しているのです。

 

祭神は、食料の神である稲荷神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。

 

玉藻稲荷①

 

玉藻稲荷②

 

九尾の狐に関する伝説は、境内にある小さな池のほとりの案内板に書かれていました。

 

玉藻稲荷③

 

平安時代末期、朝廷は、三浦介に九尾の狐を追わせます。那須の殺生石の由緒版にも三浦介は登場します。

 

しかし、玉藻稲荷神社の由緒版では、三浦介は、逃げ隠れた九尾の狐が、蝉に化けて、当地の桜の木の枝に留まっていたところ、枝の下にある鏡が池に写った姿が、狐の姿であることを知り、当地で成敗したことになっているのです。

 

玉藻稲荷④

 

実際に、成敗された九尾の狐は、鏡ケ池のほとりの摂社に、祀られていました。

 

つまり、当地で九尾の狐が成敗されたのであれば、殺生石が九尾の狐であることと矛盾してしまうのです。

 

どちらが、正しいのでしょうか?

 

ここには、隠された謎があったのです。

 

どこにも書かれてはいないのですが、真実にたどりつくことが出来ました。

 

前述したように九尾の狐とは、本来、霊獣であり、良い神です。

 

しかしながら、邪神ナンバー3が九尾の狐に成り済ましたのです。

 

朝廷から九尾の狐の討伐の命を受けた三浦介は、当地で九尾の狐を発見し、成敗しました。

 

しかし、この成敗された九尾の狐は、邪神ナンバー3の金毛九尾の狐ではなく、この邪神に操られていた本来は霊獣の九尾の狐の一柱だったのです。

 

成敗後、そのことに気づいた三浦介は、当地に祠を建て、成敗した九尾の狐を丁重に祀ったのです。

 

そして、その後、本物の金毛九尾の狐を再度捜索します。

 

那須湯本温泉付近で、本物の九尾の狐の存在を聞いた三浦介は、朝廷に捕獲方法の検討を依頼します。

 

依頼を受けた朝廷は、陰陽師である安倍晴明の末裔に依頼します。その末裔は、妖術によって九尾の狐を石として封印することにし、実行します。(この様子は「玉藻の前」という本に書かれています)

 

そして、金毛九尾の狐を巨石に変えたのです。

 

その後、この巨石は、毒ガスを発生するようになり、1385年に前述のとおり砕かれるのです。

 

ところが、ここに落とし穴があったのです。

 

実は、この時巨石にされたのは、邪神ナンバー3である金毛九尾の狐ではなかったのです。

 

金毛九尾の狐は、巨石にされる寸でのところで、霊獣九尾の狐の一柱と入れ代り、難を逃れていたのです。

 

つまり、この時も間違って、霊獣である九尾の狐を成敗してしまったのです。

 

安倍晴明の末裔や三浦介など朝廷関係者はこのことに気づかず、金毛九尾の狐を巨石に封印したと安堵したのです。

 

一方、間違って巨石にされた霊獣九尾の狐はたまったものではありません。

 

冤罪を訴えるため、巨石にされた後も、毒ガスを吐き続けていたのです。

 

しかし、それでも真実に気づく人はおらず、毒ガスを吐いて危険ということで、約200年後に前述のように砕かれ、毒ガスすら吐くことが出来ず、それから現在まで、ずっと殺生石として那須湯本温泉に置かれていたのです。

 

これが殺生石の真実のようです。

 

本物の邪神ナンバー3、金毛九尾の狐は、この冤罪を利用して、九尾の狐としての姿を消し、その後は人間に転生して、熊襲トップとして悪事を働き続けたのです。

 

これが殺生石の真実です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

地球は自転しています。太陽系の惑星も同様です。

 

また、地球を含む太陽系の惑星は、太陽の周りを公転しています。

 

さらに、夜空に輝くほとんどの星も自転しているようです。

 

何故、宇宙に存在する星は、自転や公転を行っているのでしょうか?

 

その正解は、天にしか分からないのですが、一つの理由としては、宇宙が栄え続ける、弥栄し続けるためには、常に動くことが必要だからだと思われます。

 

星の動きが完全に止まってしまうと、おそらくその星は崩壊するのでしょう。地球の自転が止まった時のことを考えれば明白です。

 

古事記・日本書紀の冒頭には、地球誕生前の宇宙が泥海だった頃の状態が少しばかり書かれています。

 

また、先代旧事本紀大成経には、銀河系が創造されていく様子が、より詳しく描かれています。

 

いずれも、天地開闢前の宇宙は泥海だった、となっています。

 

この泥海は、我々が想像出来るような流れがある泥海ではなく、宇宙に浮かぶ全く動きがない泥海だったはずです。

 

このように宇宙一帯が泥海だった時代でも、すでに魂を持った存在は無数に存在していたようです。これらの存在は、大きく3つ(日系、月系、地系)に分かれていて、各グループを率いるトップの存在は、自分たちのグループに属する仲間(これを眷属(けんぞく)と呼ぶ)のために、、喜びがあり、かつ楽しみのある世界を与えたいと考え、天と地を創造しようと考えたようです。

 

そして、3つのグループのトップが力を合わせ、創ったのが現在の銀河系のようです。その3つのグループのトップのこおとを、銀河系創造主と呼ぶようです。

 

銀河系が創造され、3グループの各眷属は、神や天使などと現代人が呼ぶ存在として生まれ変わります。これが、記紀に書かれている神産みでもあります。

 

その後、邪神が発生し、宇宙にいろんな問題が生じます。

 

さらに、はるかに長い時代が流れて、現在の地球に至るようです。

 

しかしながら、宇宙の根本的な考え方は変わっていないようです。

 

それは、宇宙の中では、弥栄するためには、常にリズミカルに動き続けなければならない、ということです。不規則に動くのではなく、規則性を持って動くことが重要なのではないでしょうか。

 

従って、冒頭で述べたように、宇宙に存在する星は、自転したり公転したりしているのでしょう。

 

前置きが長くなりましたが、弥栄するためには、常にリズミカルに動き続けなければならない、ということは、地球に存在する生命体も同様であると考えられます。

 

『リズミカルに動き続ける』というのは、ずっと永遠に動き続けることではありません。人間の生活で例えるなら、朝起きて仕事をし、食事をして、疲れたら休憩し、仕事を終えたら趣味を楽しみ、夜になったら寝るという、規則正しい生活リズムを続けることです。それによって、人生が弥栄、繁栄して行くのです。

 

動物は、生きる目的、子孫を残すために、常にリズムのある生活を行っていますよね。

 

人間の場合は、そこに人間関係という複雑なコミュニケーションが存在し、考えるという行動が追加された上で、日々、リズミカルに行動しています。

 

それによって、喜び、楽しみ、悲しみ、怒りという人間のみ持つ豊かな感情が生まれ、努力・反省・前進という行動を繰り返すことで、精神的に成長していきます。このように精神的な成長が、人間と他の動物との大きな違いです。

 

しかしながら、人間社会で失望し、堕ちて行く人も少なくはありません。失望し、生活するやる気をなくし、自殺する人もいます。命を絶たないまでも、廃人のように行動できなくなる人もいます。理由はともあれ、リズミカルに動かなくなると、その人の弥栄は止まり、地に堕ちて行くのです。精神的だけでなく健康的にも悪化していきます。負の循環が始まります。

 

人生のいろいろな場面で壁にぶつかるのは人間の宿命です。壁にぶつかっても、現実逃避せず、解決のために考えることが重要なのではないでしょうか。そして、次の行動を考えるのです。

 

対応策を考えず、そこで諦め逃避し、人生をリズミカルに進まなくなると、人生も停滞してしまうのではないでしょうか。

 

停滞していては進歩はありませんし、弥栄もないでしょう。

 

遠回りしてでも動いていくことが人生は重要なのだと思われます。

 

人間も宇宙も同じのようです。この仕組みを考えたのが創造主です。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

今回の記事は、前回の日本の条坊制と関係する内容になります。

<四神相応と日本の条坊制>

 

平安京は、四神相応の思想で造られた条坊制であり、四神相応の痕跡が吉田神社の摂社に祀られているという内容でした。平安京より古い平城京や藤原京も、おそらく同じく四神相応で造られた都であり、かつては四神相応の痕跡があったのかも知れません。

 

ところが、平城京、藤原京は、熊襲によって破壊され、都が京都に移されたのです。

 

また、以前、<太宰府の真実>という記事を書きました。

 

この記事では、太宰府は、平城京や藤原京より古い都だったのではないか、と書きましたが、これは間違いないと確信しています。

 

その後分かったことなのですが、太宰府が日本の都の中心として出現したのは、記事の中で触れた藤原京より数十年古いというレベルではなく、少なくとも五百年くらいは古いことになりそうです。信じられないでしょう!

 

ここに、古代日本の消された歴史があるのです。邪馬台国もしかりです。

 

私は太宰府の近くに住んでいますが、太宰府についても四神相応の痕跡は見つけられません。太宰府天満宮内に、四神相応と関係している麒麟の像があるくらいです。

 

ところが、もう少し視野を広げて四神相応を捉えると、だんだん見えて来たのです。

 

太宰府の条坊制の跡である大宰府政庁跡の北側、つまり太宰府京の背後には、四王寺山があります。

 

四王寺山には福岡県民の森があり、展望台もあって、そこから太宰府市街地の全貌を見ることが出来ます。

 

太宰府市街

 

四王寺山と呼ばれる由縁は、構造的に大城山・岩屋山・水瓶山・大原山という四つの山で構成されており、それぞれの山を仏教の四天王として祀った四王寺という寺院があったことに起因しているようです。

<WIKI:四天王>

 

その痕跡は、今でも残っています。

 

四王寺山に登ると、増長天を祀っていた寺院跡があります。

 

四王寺山②

 

四王寺山①

 

他にも広目天を祀っていた寺院跡もありました。

 

また、四王寺山を連なるように三十三観音が祀られています。

 

そして、最高峰の大城山山頂には、かつて大野城という朝鮮式山城が築かれていたようで、その痕跡が残っています。太宰府市の隣に大野城市があるのは、この大野城跡から付けられたものです。

 

四王寺山③

 

大野城跡には、現在でも四天王の一柱である毘沙門天を祀った毘沙門天堂が残っていて、今でも信仰されています。

四王寺山④

 

四王寺山⑤

 

四天王とは、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)ですから、四王寺山を北側にしてかつて広がっていた太宰府の条坊制の都は、四方を四天王に守護されていたのではないか、と推測できるのです。

 

ここから、四神相応の四神=四天王となるのではないか、と私は考えています。

 

つまり、古代の中国や朝鮮半島では、四神として扱われている聖獣は、日本では四天王という仏教の神として信仰されていたのではないでしょうか。

 

四天王は、東大寺を初め、かつて全国に国分寺があったことから、日本全国で祀られていたようですし、今でも四天王を祀っている寺院は数多く残っています。

 

従って、聖獣である四神は、日本に伝わった時は四天王になったのではないでしょうか。

 

日本は神国ですから、聖獣の姿をした四神も日本に来たら人間の姿をした四天王に変わったのかも知れません。

 

いずれにしても、太宰府と四王寺山の関係から、太宰府は古代九州を治めていた条坊制の都だったのです。

 

しかし、現在では、この歴史を隠すために、太宰府は、単なる筑紫国の地方行政機関として歴史が改竄され、それが後世に伝わったのです。

 

邪馬台国の問題も、太宰府京と関連しているのに間違いありません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

-追申

 8月20日の記事はお休みします。

 

中国・朝鮮半島には、四神相応(しじんそうおう)という地勢・地相・風水に関わる考え方があります。

<WIKI:四神相応>

 

古代の中国・朝鮮半島の都は、背後に山、前方に海・湖沼・河川が配置された背山臨水の地形が末永く続く良いであるとされていたようです。

 

そして、都の中心から四方を四柱の聖獣で守護させていたようです。

 

北(背後の山)を玄武、南(前方の水)を朱雀、東を青龍、西を白虎が位置しています。

 

四神と聞くと中国のイメージが強いですが、元々は朝鮮半島の方が古いようです。歴史的には、古代から中国が中心のように言われていますが、それは勝者の歴史によって改竄されたもののようです。

 

韓国の時代劇ドラマに、ペ・ヨンジュンが主演した太王四神記がありますが、これを見れば四神相応の考え方が良く分かります。

<WIKI:太王四神記>

 

韓国のソウルは、四神相応の考え方で造られた都であり、現在も世界有数の経済規模を持つ都市として栄えているのは、四神相応の効果なのでしょう。

 

さて、日本においては、朝鮮半島・中国から伝わったとされる条坊制の都である平安京が、この四神相応の考え方で造られたと考えられています。

 

北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とするものです。

 

現在では、巨椋池が完全に埋め立てられてしまったため、四神相応の関係が曖昧になっていますが、現在でも南側に鴨川、宇治川が流れていることから四神相応の地相を満たしているのは間違いありません。巨椋池が、近代に入って埋立てられたのは、熊襲が、京都の波動を下げるためだったのでしょう。

 

しかしながら、平安京が四神相応で造られたと言いながら、守護神である四神が前面に出てきません。京都市内に四神を祀っている場所が見当たらないのです。

 

日本での四神と言えば、飛鳥時代の古墳である高松塚古墳及びキトラ古墳内部の壁画に、四神が描かれていることが有名ですが、それ以外では、四神はほとんど残されていませんし、何故、これらの古墳に四神が描かれていたのかも解明されていません。日本に置いて、四神がどのような役割をしたのかは、未だに謎なのです。

 

平安京が四神相応の概念によって造られた都であるならば、京都にその痕跡が残されているはずなのですが、見当たらないのは不思議でなりませんでした。

 

ところが、今年5月に、たまたま訪れた吉田神社に、四神の痕跡を見つけることが出来たのです。

 

吉田神社は、二十二社の一社である日本を代表する大規模な神社の一つで、京都市の北西にある吉田山をご神体にしています。

<WIKI:吉田神社>

 

吉田神社の大きな鳥居をくぐると、すぐ左側に今宮社という摂社があります。この摂社には、四神石として青龍石、白虎石、玄武石、朱雀石を祀っていたのです。

 

吉田神社摂社

 

亀の形をした玄武石

吉田神社摂社

 

白虎石

吉田神社摂社

 

青龍石

吉田神社摂社

 

朱雀石は内陣にありと書かれていることから、摂社の中に存在するのでしょうか?

 

この四神石は、『方位を護る霊石』とされています。

 

ここからはあくまで推測ですが、この四神石は、元々は、平安京の四方を司るそれぞれの方位の場所に置かれて祀られていたものなのではないでしょうか。

 

ところが、後に、熊襲が、平安京を崩壊させるため、四方の四神石を祀る神社を破壊したのではないでしょうか。

 

しかしながら、四神石を護りたい当時の朝廷の命によって、吉田神社の境内に移管したものが、この今宮社の四神石ではないかと感じています。

 

日本の条坊制の都は、藤原京⇒平城京⇒長岡京⇒平安京のように、移転してきました。そこには、間違いなく熊襲の破壊行為があったはずです。

 

熊襲は、条坊制の都を守護する四神を祀る神社から破壊して行ったはずです。各地に、四神を祀る神社が見当たらないのは、熊襲が徹底的に四神の痕跡を破壊したことが原因ではないでしょうか。

 

いずれにしても、古代、日本でも四神相応が機能していたことが、吉田神社に行ってみて分かりました。これから四神が復活していくのではないでしょうか。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。