殺生石の真実 | 知っとうや2

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これまで、殺生石九尾の狐に関する記事を書いてきました。

<殺生石>

<稲荷神誕生の秘密②>

<アダムとイブ>

<九重と久住と九尾の狐>

<西国三十三観音と九尾の狐>

 

殺生石とは、日本では中世に、美女に化けて当時の権力者を惑わし、世の中を混乱させてきた九尾の狐を、12世紀に安倍晴明の末裔が、妖術によって巨石にしたとされる、那須湯本温泉にある巨石のことです。

 

ところが、九尾の狐は、巨石にさせられた後も、毒ガスを吐き続け、周りの住人や旅人に殺生石と恐れられたため、1385年に玄翁和尚によって打ち砕かれ、現在の大きさとなったようです。

 

打ち砕かれた巨石の一部は、九つに分かれて全国各地に飛び散っています。

 

殺生石①

 

殺生石②

 

九尾の狐とは、吉備真備が遣唐使の帰りに、中国から連れて来た霊獣だと伝わっています。

 

霊獣なので、本来は良い神様なのですが、どうもこの時連れて来た九尾の狐は、霊獣に成り済ました邪神だったようなのです。

 

出口王仁三郎によれば、地球上で暴れまわった邪神は数多くいるようですが、それを統率していたのは、三大邪神です。

 

八頭八尾の大蛇(やつがしらやつびのおろち)

六面八臂の邪鬼(ろくめんはっぴのじゃき)

金毛九尾の狐(きんもうきゅうびのきつね)

 

現在の序列もこの順位のようです。ちなみに、旧約聖書に登場する堕天使サタンは、高位の天使に、邪神である八頭八尾の大蛇が憑依したものです。

 

金毛九尾の狐は、元々は古代の中国やインドで暴れまわっていたようですが、前述のように遣唐使によって霊獣である九尾の狐に成り済まして、日本にやって来て、悪さをしだしたのです。

 

実際に、日本で、九尾の狐の伝説が残っているのは、平安時代から室町時代にかけてです。

 

1385年に、玄翁和尚に殺生石を砕かれてからは、九尾の狐の暴れる様子は伝えられていないようなので、殺生石は、邪神ナンバー3である金毛九尾の狐が、石にされたものであることに間違いないと考えていました。

 

ところが、話はそう単純ではなかったのです。

 

殺生石の結界はすでに解けていると考えていたのですが、最近になって私の脳裏に殺生石のことが浮かんできました。

 

私が初めて殺生石を訪れたのは2012年、6年前のことです。

 

気になったので、もう一度、殺生石を訪れよう考え、今年7月に再訪しました。

 

事前に那須湯本温泉の周辺を調べていたら、九尾の狐に関する伝説が、栃木県大田原市にある玉藻稲荷神社に伝わっていることを知り、殺生石を訪れるついでに行ってみました。

 

すると、驚きの発見があったのです。

 

玉藻稲荷神社は、人気がほとんどない田園地帯の奥、うっそうとした森の中にありました。

 

暗く、近づきがたい雰囲気でしたが、境内を歩いていると物凄い神気を感じ出しました。小さな社殿ですが、とても強い神気を発しているのです。

 

祭神は、食料の神である稲荷神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。

 

玉藻稲荷①

 

玉藻稲荷②

 

九尾の狐に関する伝説は、境内にある小さな池のほとりの案内板に書かれていました。

 

玉藻稲荷③

 

平安時代末期、朝廷は、三浦介に九尾の狐を追わせます。那須の殺生石の由緒版にも三浦介は登場します。

 

しかし、玉藻稲荷神社の由緒版では、三浦介は、逃げ隠れた九尾の狐が、蝉に化けて、当地の桜の木の枝に留まっていたところ、枝の下にある鏡が池に写った姿が、狐の姿であることを知り、当地で成敗したことになっているのです。

 

玉藻稲荷④

 

実際に、成敗された九尾の狐は、鏡ケ池のほとりの摂社に、祀られていました。

 

つまり、当地で九尾の狐が成敗されたのであれば、殺生石が九尾の狐であることと矛盾してしまうのです。

 

どちらが、正しいのでしょうか?

 

ここには、隠された謎があったのです。

 

どこにも書かれてはいないのですが、真実にたどりつくことが出来ました。

 

前述したように九尾の狐とは、本来、霊獣であり、良い神です。

 

しかしながら、邪神ナンバー3が九尾の狐に成り済ましたのです。

 

朝廷から九尾の狐の討伐の命を受けた三浦介は、当地で九尾の狐を発見し、成敗しました。

 

しかし、この成敗された九尾の狐は、邪神ナンバー3の金毛九尾の狐ではなく、この邪神に操られていた本来は霊獣の九尾の狐の一柱だったのです。

 

成敗後、そのことに気づいた三浦介は、当地に祠を建て、成敗した九尾の狐を丁重に祀ったのです。

 

そして、その後、本物の金毛九尾の狐を再度捜索します。

 

那須湯本温泉付近で、本物の九尾の狐の存在を聞いた三浦介は、朝廷に捕獲方法の検討を依頼します。

 

依頼を受けた朝廷は、陰陽師である安倍晴明の末裔に依頼します。その末裔は、妖術によって九尾の狐を石として封印することにし、実行します。(この様子は「玉藻の前」という本に書かれています)

 

そして、金毛九尾の狐を巨石に変えたのです。

 

その後、この巨石は、毒ガスを発生するようになり、1385年に前述のとおり砕かれるのです。

 

ところが、ここに落とし穴があったのです。

 

実は、この時巨石にされたのは、邪神ナンバー3である金毛九尾の狐ではなかったのです。

 

金毛九尾の狐は、巨石にされる寸でのところで、霊獣九尾の狐の一柱と入れ代り、難を逃れていたのです。

 

つまり、この時も間違って、霊獣である九尾の狐を成敗してしまったのです。

 

安倍晴明の末裔や三浦介など朝廷関係者はこのことに気づかず、金毛九尾の狐を巨石に封印したと安堵したのです。

 

一方、間違って巨石にされた霊獣九尾の狐はたまったものではありません。

 

冤罪を訴えるため、巨石にされた後も、毒ガスを吐き続けていたのです。

 

しかし、それでも真実に気づく人はおらず、毒ガスを吐いて危険ということで、約200年後に前述のように砕かれ、毒ガスすら吐くことが出来ず、それから現在まで、ずっと殺生石として那須湯本温泉に置かれていたのです。

 

これが殺生石の真実のようです。

 

本物の邪神ナンバー3、金毛九尾の狐は、この冤罪を利用して、九尾の狐としての姿を消し、その後は人間に転生して、熊襲トップとして悪事を働き続けたのです。

 

これが殺生石の真実です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

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