太宰府京と四天王 | 知っとうや2

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今回の記事は、前回の日本の条坊制と関係する内容になります。

<四神相応と日本の条坊制>

 

平安京は、四神相応の思想で造られた条坊制であり、四神相応の痕跡が吉田神社の摂社に祀られているという内容でした。平安京より古い平城京や藤原京も、おそらく同じく四神相応で造られた都であり、かつては四神相応の痕跡があったのかも知れません。

 

ところが、平城京、藤原京は、熊襲によって破壊され、都が京都に移されたのです。

 

また、以前、<太宰府の真実>という記事を書きました。

 

この記事では、太宰府は、平城京や藤原京より古い都だったのではないか、と書きましたが、これは間違いないと確信しています。

 

その後分かったことなのですが、太宰府が日本の都の中心として出現したのは、記事の中で触れた藤原京より数十年古いというレベルではなく、少なくとも五百年くらいは古いことになりそうです。信じられないでしょう!

 

ここに、古代日本の消された歴史があるのです。邪馬台国もしかりです。

 

私は太宰府の近くに住んでいますが、太宰府についても四神相応の痕跡は見つけられません。太宰府天満宮内に、四神相応と関係している麒麟の像があるくらいです。

 

ところが、もう少し視野を広げて四神相応を捉えると、だんだん見えて来たのです。

 

太宰府の条坊制の跡である大宰府政庁跡の北側、つまり太宰府京の背後には、四王寺山があります。

 

四王寺山には福岡県民の森があり、展望台もあって、そこから太宰府市街地の全貌を見ることが出来ます。

 

太宰府市街

 

四王寺山と呼ばれる由縁は、構造的に大城山・岩屋山・水瓶山・大原山という四つの山で構成されており、それぞれの山を仏教の四天王として祀った四王寺という寺院があったことに起因しているようです。

<WIKI:四天王>

 

その痕跡は、今でも残っています。

 

四王寺山に登ると、増長天を祀っていた寺院跡があります。

 

四王寺山②

 

四王寺山①

 

他にも広目天を祀っていた寺院跡もありました。

 

また、四王寺山を連なるように三十三観音が祀られています。

 

そして、最高峰の大城山山頂には、かつて大野城という朝鮮式山城が築かれていたようで、その痕跡が残っています。太宰府市の隣に大野城市があるのは、この大野城跡から付けられたものです。

 

四王寺山③

 

大野城跡には、現在でも四天王の一柱である毘沙門天を祀った毘沙門天堂が残っていて、今でも信仰されています。

四王寺山④

 

四王寺山⑤

 

四天王とは、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)ですから、四王寺山を北側にしてかつて広がっていた太宰府の条坊制の都は、四方を四天王に守護されていたのではないか、と推測できるのです。

 

ここから、四神相応の四神=四天王となるのではないか、と私は考えています。

 

つまり、古代の中国や朝鮮半島では、四神として扱われている聖獣は、日本では四天王という仏教の神として信仰されていたのではないでしょうか。

 

四天王は、東大寺を初め、かつて全国に国分寺があったことから、日本全国で祀られていたようですし、今でも四天王を祀っている寺院は数多く残っています。

 

従って、聖獣である四神は、日本に伝わった時は四天王になったのではないでしょうか。

 

日本は神国ですから、聖獣の姿をした四神も日本に来たら人間の姿をした四天王に変わったのかも知れません。

 

いずれにしても、太宰府と四王寺山の関係から、太宰府は古代九州を治めていた条坊制の都だったのです。

 

しかし、現在では、この歴史を隠すために、太宰府は、単なる筑紫国の地方行政機関として歴史が改竄され、それが後世に伝わったのです。

 

邪馬台国の問題も、太宰府京と関連しているのに間違いありません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

-追申

 8月20日の記事はお休みします。

 

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