西国三十三観音と九尾の狐 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

仏教は奥が深く、その成り立ち、変化の全貌を知っている人は、世の中には誰もいないでしょう。

それに、現在は末法の時代。本来の佛の教えとはかけ離れたものになってしまったのが、現在に伝わる世界中の仏教です。

日本にもたくさんの宗派の仏教が存在し、いずれも自分達の宗派が正当であるかのように主張していますが、現代では誰一人として仏教の真実を知らないのです。これは、時代の流れから仕方がないことです。

ただし、近い将来、真の佛教の意味が分かる時が来ると考えています。

さて、その仏教ですが、日本においては、中世以降、庶民にも身近なものになっていきました。現在でもその名残りが、四国八十八カ所巡り、通称お遍路に見られますね。


そのお遍路に続く庶民の巡礼が、西国三十三観音です。三十三観音巡りでの中心でもあります。
<WIKI:西国三十三所>

西国三十三観音の始まりは奈良時代初頭に遡るようですが、何故、33カ所なのでしょうか?

これを理解するためには、観音様のことを知る必要があります。

観音様とは、仏教の菩薩の一尊であり、聖観音、千手観音、十一面観音など、幾つかの種類があります。

<WIKI:観音菩薩>

菩薩というのは、十界でいうと頂点の佛の下の2番目の界の存在で、「まだ悟りを開いていない修業段階の身」と定義されますが、観音様は悟りを開いていないのでしょうか?

否、そうではないのです。実は、観音様は佛なのです。

佛なのに何故、菩薩という称号が付くのかと言いますと、衆生(しゅうじょう)を救うためには、姿が(人間には)見えない佛よりも、肉体を持った菩薩になった方が都合が良いからなのだと考えられます。

そして観音様は、
本来の佛の姿以外に、32の姿に変化(へんげ)して地上に現れ、衆生を救うのです。

本来の佛の姿+32の変化身で、33。だから三十三観音なのです。

この三十三観音を祀っているのが西国三十三観音であり、時代を経るにつれ庶民に広まり、江戸時代には最も栄えたようです。そして、地域ごとに三十三観音が開場されて行き
、江戸時代には日本中で観音信仰が盛んになったようです。

しかし、観音信仰は、明治維新時の熊襲による廃仏毀釈によって、大打撃を受けました。

そでれも、次第に復興して、現在に至ったようです。

巡礼する人々は、いろいろな苦悩を持つ人であり、観音様に救いを求めているのだと思われますが、そもそも何故、西国三十三観音が作られたのか分かりますか?

これが今回のテーマです。

実は、西国三十三観音が作られた理由は、どこにも伝えられていませんが、九尾の狐と関係が深いのです。

<WIKI:九尾の狐>

九尾の狐については、何度かご紹介してきました。
<九重と久住と九尾の狐>

九尾の狐は、おとぎ話ではなく、実際に存在していたのですが、12世紀に那須において巨大な石にされ封印されました。

しかし、石にされてもなお毒ガスを吐き続け、周囲に殺生石として恐れられていたので、1385年に
玄翁和尚によって打ち砕かれ、日本中に九つの石となって飛び散ったのです。これが各地に残る殺生石伝説です。

1385年に砕かれて以降、九尾の狐として悪事を働くことはなくなったのですが、それ以前、約2100年前の第十代崇神天皇の時代に稲荷信仰の元が出来て以降、九尾の狐は日本において、増上慢の手先となって悪事を働き続けていたのです。

そこで、天は、九尾の狐を封印するためにある仕掛けを人間に与えたのです。

これが、西国三十三観音だったのです。

時の都、奈良を中心とした関西に、三十三カ所の衆生を救う観音様を祀るお堂を建てることにより、これが結界となって、九尾の狐を封じ込めたのです。結界の内側では、九尾の狐が悪さが出来なくしたのです。

これが、西国三十三観音の本来の意味なのです。

この名残りが西国三十三観音に残されています。次の地図をご覧ください。西国三十三観音の札所を順に結んだのが赤線です。

 

西国三十三観音

 

(クリック拡大)

赤線を結んだ図は、九尾の狐を描いた姿になっています。

分かりずらいかも知れませんが、兵庫県にかかる部分が頭で、27番書写山円教寺が狐の口先です。

33番の岐阜谷汲山華厳寺が前足、1番の那智山青渡岸寺が後足。華厳寺から2番紀三井寺、大阪南部にかかる辺りが九尾が広がった部分です。

九尾の狐がのけ反って吠えているようなデザインが、西国三十三観音なのです。

このデザインは、当時の人々が考えたのではなく、天の啓示が降りてきた人々が、指定された場所に33カ所の寺院を建立していったらこの形になったのです。全て天佑によるものなのです。

こうして、700年代初頭に西国三十三観音が確立し、九尾の狐は封印されたのですが、その後、時代を経ると忘れられ、寺院も荒れ九尾の狐を封印していた結界も解けていったのです。

そして、九尾の狐が暴れ出したので、12世紀の殺生石に繋がったのです。

西国三十三観音とは、観音様が守護している関西の大きな良い結界だということなのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。