<殺生石>
<稲荷神誕生の秘密>
もう一度整理します。
事の発端は、那須湯本にある殺生石の伝説を知ったからです。
<WIKI:殺生石>
(那須湯本の殺生石)
この殺生石の正体が、歴史上、古くは天竺から中国の殷の時代、日本では平安時代以降、美しい女性に化けて時の権力者トップに近づき、その妖艶ぶりによって権力者トップを堕落させた、真の正体は、妖怪のような金毛九尾の狐が石にされたものでした。
ちなみに、金毛九尾の狐は、現在でも阿修羅界の№2的な立場にいます。
平安時代終盤の鳥羽天皇の時代、1100年代、悪事を働いていた九尾の狐は、安倍晴明の子孫の妖術(法力)によって、那須湯本で石にされてしまったのです。
しかし、敵もさるもの。石にされた後も、毒ガスを吐き続け、周辺の動物や通りがかりの人々を犠牲にしていったのです。そこでこの石に殺生石という名がついたのです。
時代は下り、室町時代。源翁心昭(げんのう しんしょう)という法力を持った僧侶によって、この殺生石は砕かれ、全国各地に飛び散ったとされています。
砕かれた後の状態が、前掲の那須湯本の殺生石です。今では殺生石自体がガスを出すのではなく、温泉地の地獄の硫黄臭となっています。
砕け散った殺生石の欠けらは、遠くは、西の岡山から東は茨城、北は会津まで飛んできた伝説が残っています。
私は、その中で本物の欠けらと思われる8カ所を巡り、金毛九尾の狐の呪いを解いてきました。
九尾なので、那須湯本の本体から8つが砕け飛びちり、本体を含めて九尾が9つの殺生石に分かれて砕け散ったと考えていたのです。
そして、九尾の狐の呪いは完全に解けた、と思い込んでいたのです。
ところが、今年になって、大分の九重に、殺生石なるものがあることを知ることになります。
最初は「(九重の殺生石は)偽物ではないか?」と思ったのですが、すぐに九重という名称が気になりだしました。
九重は、「くじゅう」と呼ぶ、九州本島最高峯の九重山系がある高原のことです。また、九重高原には、九重町(ここのえまち)という地名もあります。「九尾」と「九重」。
(九重高原)
何故、九重(くじゅう、ここのえ)という地名なのかと考えた時、九尾の狐が浮かぶのは自然ですよね。
「九重とは九尾の狐のことを指しているのではないだろうか?」
「そこに殺生石があるのであれば、これは本物に違いない」と。
また、九重町の九重山系を挟んで反対側(東側)には、久住町(くじゅうまち)がります。九重山系の第2高峰は久住山と書きます。
(久住神社)
「九重」と「久住」。何故、同じ読み方で、何故2つの漢字があるのだろうか?
「九重」は「ここのえ」とも読みます。九尾の狐のことを指すのではないか?
そして、「久住」は「くじゅう」と読みますが、漢字の意味は「久しく住む」。
これは遠い昔、神代の頃から、当地に金毛九尾の狐が住んでいたことを示唆しているのではないだろうか?
そう考えた後、実際に九重にある殺生石を見学することにしました。
九重山系は、阿蘇山の隣にある全国でも有数の火山地帯。九州には阿蘇、桜島、九重、霧島、雲仙と活火山が集中しています。九州は火のラインの出口でもあるのです。
九重の殺生石は、九重山系の麓、飯田高原の筌(うけ)の口温泉付近にありました。
当日は朝から強い雨が降っていました。筌の口温泉に着く直前は本降り状態で、とても見学できそうにないような天候でしたが、到着した頃には小雨になりました。
殺生石を探しますが、なかなか案内板が見つかりません。筌の口温泉を少し登っていったところに、やっと小さな案内板を見つけました。
その案内板にそって歩いていきます。すると、なんと空き家になった家の裏にある幅50センチあるかないかの道になりました。
「本当にこんな場所にあるのだろうか?」というような小道です。
その道を登ると、また別の空き家となった古民家に出くわします。どこにも殺生石は見当たりません。
その家の横に、かろうじて一人入れるくらいの隙間がありましたので、そこから民家の裏側に回ってみました。すると、忽然と大きな石が目の前に現れたのです。
これが殺生石なのです。
次の写真です。草やこけに覆われて石には見えにくいです。
しかし、強烈な邪気を放っていました。
この殺生石は、簡単には見つからないように意図的に隠されているような感じを受けました。
この強烈な邪気を放つ殺生石を祓うと、今まで降っていた雨も突然止み、周りが急速に明るくなり、日が射しだしました。
間違いなく、本物の殺生石です。
この殺生石は、おそらく神代、九尾の狐が住んでいた九重の地を目指して飛んできたのだと思われます。
一般的には、そんなことは信じれないでしょうが、波動を低くされた現代こそが洗脳社会であり、不思議な真実を信じることができないようにされているのです。
ともかく、神代から古代から悪さをしてきた九尾の狐の呪いはこれで解けました。
また一歩、本来あるべき世の中にに進んだと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。