先日、那須に行ってきました。目的は、那須湯本にある殺生石を見るためです。
殺生石とは、平安時代に妖怪、九尾の狐の化身である玉藻の前(たまものまえ)と呼ばれる絶世の美女が、あの有名な天才陰陽師阿部晴明の末裔である阿部泰親らによって捉えられ、石にされたものなのです。
何故、殺生石と呼ばれるのかと言いますと、石にされた後も、亜硫酸ガスなどの毒ガスを吐き続け、近づいた人や動物がたくさん死んだという伝承があるからのようです。
その後、1385年に源翁心昭(げんのう しんしょう)という僧によって打ち砕かれ、その欠片が全国に飛び散ったとも言われています。その残りの大元の殺生石が、那須湯本にあり、観光名所となっています。
何の変哲もない大きな黒い岩ですが、周りは硫黄臭が強く立入禁止区域となっています。
当地は、温泉地獄の場所であるため、そこから出る硫化水素や亜硫酸ガスの影響によって、人や動物が死ぬことがあって、それが殺生石の伝説になっているのかと思っていたのですが、実は九尾の狐は実際に存在していたようなのです。
九尾の狐の伝説は、平安時代の日本だけでなく、古くは中国の殷の時代や古代インドの天竺の時代にもあり、絶世の美女に取り憑いて、時の権力者トップに近づき寵愛されていきます。殷の妲己(だっき)や天竺の華陽夫人がそれにあたります。
そして、この絶世の美女の虜になった王は、ことごとく堕落していき、その国は滅んでゆくのです。その九尾の狐が中国から、遣唐使に乗って日本にやって来て、鳥羽上皇の時代に玉藻の前となって現れ、それが殺生石にされたというのです。
実は、玉藻の前という女性は、鳥羽上皇の妃である藤原得子(ふじわらなりこ、美福門院)だったのです。そう、実在の人物。今風に言うなら、藤原得子が九尾の狐にウォークインされてしまったものなのです。
実際に見た殺生石は、予想ほどの強い邪気は感じませんでした。
ただ、そのそばにある、おそらく源翁心昭と思われる石碑や、周りにある地蔵群は強烈な邪気で囲まれていました。
たくさんのお地蔵さん。
邪気をお祓いすると不思議な光が写りました
この2枚には波動が高い光が写っていますが、それ以外に拡大写真を見てみると、雪が降っているように白い点や線がたくさん空中に写っています。
これは、おそらく、たくさんの霊が写ったものなのでしょう。殺生石とともに封印でもされていたのでしょうか。
ところが、天気雨のように小雨が降っていました。
これは、どうも「狐の嫁入り」という現象のようです。幾つかの地方では、天気雨の日の夜には、狐火の列が見られたといいます。それは、狐の霊が結婚式のお祝いをしていると伝えられ、これから天気雨のことを狐の嫁入りとも例えるようになったようです。
九尾の狐とたくさんのお地蔵さん。そして天気雨に飛んでいる様子が写ったたくさんの霊。これは狐の嫁入りと関係が深そうです。
-追申
殺生石を見学した一週間後、たまたま京都に行く用事がありました。真如堂に殺生石の破片で作られた鎌倉地蔵が安置されることを知り、ついでに行ってきました。
こちらが、鎌倉地蔵。最初は大変な邪気を感じましたが、お祓い後は、このようにオーブが写りました。やはり九尾の狐伝説は本当なのです。
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