✞ 風かおる丘で ~カトリック浅草教会・上野教会 入門講座ブログ~ ✞
  • 23Oct
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      【金昼】本来のその人になる

      今日の福音朗読箇所は、ルカによる福音12章54-59節。また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。(ルカ12・55-56)教誨師として、はじめてお話をした時に目の前でポロポロ泣いていた方の話から。『南風が吹くと暑くなるのを知っているように、私たちは、見分けないと。今、目の前に問題がある、困っている人がいる、弱い人が「助けてくれ」と言って、こっちを見ている。これが、神の国の入り口だと。ここにキリストがおられると。私は、この人に会うために生まれてきたんだ。この人の笑顔をつくりだせたら、死ぬに死ねる。神さま、出会わせてくれて、ありがとう。「しるし」なんです。それを見過ごして通り過ぎるならば、まあ、健康でどれほど長生きしても、安らかに最期の日、迎えることができますかね。永遠なる神の国に生まれていく準備を、毎日してまいりたいと。』そして話は、ある庭師の方のお話へ。詳しくは、昨日の記事で、Lisieux さんが書いてくださってますぜひお読みになってから、どうぞ↓『 「人を喜ばせること」っていうのが、やっぱり人のモチベーションの中で、最高のモチベーションになるってことです。金儲けしたいとか、なんか優勝したいとか、成績上げたいとか、あの人の愛を得たいとか、みんなそれぞれ、いろんな欲望を持ちますけども、「この人を喜ばせたい」と思うっていう、その気持ちが、人のモチベーションの中で、一番強くて、しなやかで、最もその人が、「本来のその人になる」、そういうモチベーションなんですね。人を喜ばせること。今の世の中、あんまり・・・人に構ってられないっていうか、まず自分が喜ばなくっちゃ、みたいな話になるけど、「たとえ自分が喜んでなくても」、なんですよ。彼は、店流されて、廃業して、本当に絶望の中にあった時に、「人を喜ばせることができた」ことで、立ち直った。ここがポイントだね。人を喜ばせるっていうことがモチベーションの一つになったら、人生が全然変わっていくんじゃないですかね。教皇フランシスコが、「なんのために生きるかじゃなく、誰のために生きるのか」と。その「誰」がいないから、なんのために生きているのかわからなくなっちゃうんですよね。人に関わるのはリスクがある。なるべく関わらないで、監視カメラつけて、鍵を二重にして、窓も割られないようにして、それでも詐欺の電話がかかってくるから撃退して、どんどん防御、防御になっていって、それで完全に防御できた。そこが、「牢獄」なんです。自分の牢獄をつくっている。牢獄から出て、リスクはあるし、イヤな思いもするんだけど、補ってあまりある人間関係がそこにあるんだから、「出て行け」っていうのは、教皇フランシスコの一番言ったことでしょ。「いいから、出て行け」「籠っているな、出て行け」と。この花屋の彼ね、まさに花束持って、出て行って、出会ったわけですよ、喜びの秘訣に。人間の中に、劣情っていう、劣った情念っていうのがある。秘められているんですよ。これ、なんかの環境が整うと、ワラワラと増えていく、カビみたいに。カビの胞子って、普段は出てこないけれど、なんだか湿気だか、栄養だか、ワラワラ悪いものが揃うと、はびこるじゃないですか。あんなふうに、悪い条件が揃うと、心の中の悪いものもワラワラ出てくるんですよ。だから、「いい人」だの、「悪い人」だのって、ぼくはいないと思う。環境がその人を、「そう」するんですよね。だから、いい環境に置けば、その人は本当に、神がお望みの「その人」として輝き始める。福音家族の考え方は、そういう環境をつくりましょって話ですよね。彼のつくる庭には、枯山水の白い砂利に、島宇宙のように里山がいくつかある。「あ、これ、いいなぁ」って思いましたよ、私、映像で見ながら。枯山水って、白い砂利の中に石が立ってるじゃないですか。で、苔がちょっと周りに飾ってある。その石と苔を里山にしてある。まあ、ヒューマンだし、あったかいし、飽きないし、なんかそこで、ほっこりするって感じなんじゃないかな。ほんのちょっとだけ水が流れてる感じとかね、良かったなぁ・・・。自分がそこで魂を解放できるような庭。ここで本当に安心して、喜べる庭。彼は、要するに、本当の意味で「人を喜ばせる庭」をつくりたかったんですよね。それは、成功しました。彼、繰り返し言ってましたけど、「自分は、人を喜ばせられれば、それでいいんだ」と。その原点を忘れちゃったら、何もかも失う。庭園で成功したから、庭園会社を大きくして、なんて始めたらね、また何か見失う。自分はどんな小さな仕事でも、心込めて、やっております、と。人の喜ぶ顔が見たい。なんか、つらい思いをしてたり、寂しい思いをしていた人が、花で、庭で、ちょっとあったかい気持ちになったり、やさしさを取り戻したりしてくれるんであれば、それで十分だ、みたいな。これ、いいじゃないですか。さまざまな困難から、本当にみんなの喜びが戻ってくるまで、なんらかのプロセスを経て、試練・苦難・困難をくぐり抜けて、そして闇から光へと。キリスト教はいつでも十字架から復活へ。死から命へ。さまざまな困難がそれで終わるものじゃなく、「その先」の喜びに必ずつながっているという信念のもとに、世界に関わる。人に関わる。そういう「道」なんですよね。どんなに困難があっても、人を喜ばせ合うことで、その困難を乗り越えていける教。』昨日、晴佐久神父さまのお誕生日だったことは、みなさん、ご存じだと思います。同じく昨日がお誕生日だった方がいらして、さらに「私は、今日が誕生日です」っていう方がいらして、今月14日がお誕生日だった方もいらして・・・ということが、講座が終わったあとにわかりまして、その場にいた方々と共に、神父さまが祝福のお祈りをしてくださいました。そうしたら、お祈りの最後が、なんと派遣の祝福でした。「主はみなさんとともに」「また司祭とともに」「全能の神、父と子と聖霊の祝福がみなさんの上にありますように」「アーメン」「行きましょう!主の平和のうちに」「神に感謝」今日は最後の最後まで、「出て行け」な講座だった印象です。父と子と聖霊の祝福のもと、誰もが本来の自分になれますように。Lydia

  • 22Oct
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      神父様のお誕生日

      Hallelujah昨夜は、🌠オリオン座流星群🌠 が夜空を覆い、大地に降り注ぎ、神様のお創りになった芸術の大スペクタクルに感動した夜でした神に感謝晴佐久神父様 お誕生日おめでとうございます💕お顔も立ち姿も、とても凛々しい愛の神父様温かい説教に勇気づけられ日々癒されています。これからもよろしくお願いいたします。ー 木曜入門講座一同 ー( 神父様のお話し)お誕生日のお祝いからはじまった本日の入門講座。良い香りのする薔薇の花束をご覧になり、感慨深げにある一人の男性の話しをなさりました。英チェルシー・ガーデニングショーで金賞を受賞した長崎出身の彼は、小さい頃から里山が大好きで、生け花教室に通っていました。ある日、先生から「筋がいいわねェ」と褒められます。「筋がいい」と言う言葉は最高の褒め言葉ですね~ 小さい頃から叱れて、叱れて育った彼は嬉しくて、よし‼花でやって行こうと決心をします。花屋をはじめた彼。好きな事をやるのは流行るんですね~ もともとセンスもあったのでしょうね。花屋が流行っていた矢先、長崎大水害が起こります。土砂災害で大勢の人が被害を受け、彼の店も廃業に追い込まれます。すっかり落ち込んだ彼ですが、花が好きなので知り合いの花屋でバイトをはじめます。ある日、店に一人の女の子がやって来て、「入院しているおばあちゃんに花を届けてほしい」と言うのです。綺麗な花を作って、「お孫さんからですよ~」と、病院へ届けると、そのおばあちゃんは花を見るなり、ぽろぽろ涙を流してとても喜びました。花を見ていたら心が明るくなったと。今まで落ち込んでいたが元気にならなくちゃと、思ったそうです。その様子を目の当たりにした彼は、人を喜ばす事が出来る花の力って凄いな~と改めて思い知らされ、一念発起し、また花屋をはじめて支店まで出すようにまでなります。やがて、バブル期に入り、東京の商社が彼の花屋に目をつけ、「全国展開」に漕ぎ出しますが、バブル崩壊し全てが消え去り8億円の借金だけが残りました。故郷の長崎へ帰って再出発に向けて一から頑張る彼の元へある日、「庭を作り変えて欲しい」と依頼が来ます。その作った庭が褒められ、評判も高まり、仕事の依頼も増えていくのですが、8億円の借金を返すには至りません。そんな矢先、社員が、英チェルシー・ガーデニングショー(王立園芸協会主催)に出展を提案します。豪華な薔薇の庭園に対抗するには、何を出展しようかと思案した彼は、子供の頃に遊んだ美しい里山を再現する事に致しました。枯山水の石の所を里山にし、見事銀メダルを獲得します。更に翌年には金メダルを獲得し、「名物庭師」として名を馳せるようになり、日本でも数々の大きな仕事をこなし、とうとう8億円の借金を返したのです。成功をし財を成した彼の原点は、あの女の子の花束でした。自分にも人を喜ばすことが出来るんだ‼ それが全てなのだと。金で解決しないで、時間と手足を使って、人を喜ばそうとする姿は、キリスト者を思わされます。人を喜ばせる事は、人間にとってとても本質的な事。神様は恐らく、他人を喜ばせる動物としてお造りになったのだと思います。人を喜ばせるって、時間も手間もかかるし、時には失敗もあるでしょう。リスクすらあることも。それでも、喜んでもらった時に、全てが報われるって事があるんですよそもそも花は何処から来たのか? 神様がお造りになったものです。「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」マタイによる福音書 6:28‭-‬30 新共同訳僕らがどれほど美しい存在であるかと言うことを、お互いに伝え合う事が一番喜ばせる事じゃないですか。𓂃𓈒🥀✯𓂃𓈒🥀✯𓂃𓈒🥀✯𓂃𓈒🥀✯𓂃𓈒🥀✯神父様いつまでも若々しくお健やかでお過ごしくださいませご健康をお祈り致しております感謝を込めてLisieux

  • 20Oct
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      耳をすませば

      カトリック生活11月号に、素敵な詩を見つけましたのでご紹介致します。◆祈りの風景耳をすます 詩人服部 剛誰かの話し相手になるときは選択の余白を、少し残しておくほうがいい" 内なる声 " を聴くように内なる声を聴くとは、心の耳をすますこと。まさに、今の自分の課題でもあります。" 傾聴ボランティア " として、たくさんの声に耳を傾けて来ました。相手と自分にも真摯に向き合って来ました。この冬からは、"傾聴セラピスト"へ、ステップアップの学びをはじめます。心の声がもっと聴きたくてレクリエーション介護士をしていた時、手話も少し、学びました。🖐耳が不自由な方の手の動きはとても速くて読み取れない🤘音のない世界で、手と顔の表情を読み取り、手と顔の表情だけで表現することはとても難しい。だが、言の葉には抑揚と余白がある声の色や温度を聴き分けることが可能である、と思っていた。だが、声にならない気持ち・・・裏腹な思いもあるだろうその余白を読み取るのもまた、難しい。長年の信頼関係が出来ていて、心と心が繋がっていれば、目を見ただけでも分かり合えるのかもしれない。けれど、神様じゃないから人間だから 失敗ばかり・・・それでも、誰かの心の声が聴きたくて心に寄り添いたくて今日も耳をすましてみる 私。🧸💫✨🧸💫✨🧸💫✨🧸💫✨🧸💫✨昨日、JR山陽線での痛ましい事故のニュースを知らされたもしも、明日に望みを託せなくなった時、知っていてほしい神様の目には、あなたはとても高価で尊いのだと言うことを(イザヤ書43:4)神様は、あなたを愛していると言うことを。たくさんの方が、神様と出逢えますように。神様の愛に満たされますように祈ります。✝🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁日光 "竜頭の滝" の見事な紅葉今が見頃↓↓↓Excellent‼山は冠雪して❄ 🍁錦の便りがあちらこちらから届いています。美しい日本の紅葉へさぁ~ 行こう*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶夏から秋へ 秋から冬へ季節は移ろいでゆきますが、皆さまどうぞ お身体 ご自愛ください。God be with you Lisieux

  • 19Oct
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      La campanella

      お告げの祈り主のみ使いのお告げを受けて、マリアは聖霊によって神の御子を宿された・・・アンジェラスの鐘の音は、霊を震わす荘厳な調べである嗚呼 🔔鐘の音とともに ゆっくりと… ゆっくりと… 父の御もとに誘われてゆく 至高の時🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶長崎の浦上天守堂で、はじめてアンジェラスの鐘を聴いた時、その美しい響きに 胸が熱くなりました。リストの "La campanella" が、今朝も胸に鳴り響く wake me up‼🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。 アーメンさぁ出かけよう‼今日もきっと良い日でありますように。シャロームLisieux

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      今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会10月22日(木)19時  休講10月23日(金)10時半(10時から週日のミサ)カトリック上野教会10月21日(水)19時10月22日(木)10時半(10時から週日のミサ)基礎疾患のある方、発熱等体調を崩している方は参加をお控えください。マスク着用、検温、連絡先記入、座席指定等にご協力いただきますよう、よろしくお願いいたします。初めての方もご遠慮なくいらしてください10月の教皇の祈りの意向:教会における信徒のミッション→「洗礼によって信徒となった人々、特に女性の信徒が教会の責任ある分野にいっそう参加することができますように」昨日(10/18)は、浅草教会で洗礼式が行われました。おめでとうございます以前のお話『 テロっていうのは、みんなを怯えさせるのが目的でしょ?みんなを恐れさせて、その恐れで、人を支配しようとする。何か、思うツボなことになっていくとしたら、それは、「恐れ」が効果を発したってことになるわけですね。人々の中に、恐れとか、恨みとかっていうのが、デフレスパイラルみたいに、どんどん、どんどん下降線を辿っていっちゃう。それに打ち勝つのが、キリスト教です。キリスト教は、身を捨てて、人々を生かすキリストの愛。その愛が宿って、一本の手をさし伸ばすキリスト者の愛。そういうものっていうのは、すべて、恐れを超えているんですね。逆に言うと、恐れによって、それができないでいる。神の愛を妨げている、最大のものは、恐れなんじゃないですかね。だから、その恐れに打ち勝つっていうことは、とっても大切なことで。「なにか、面倒じゃないか」「時間、取られるんじゃないか」「困ったことになるんじゃないか」・・・っていうのが、当然ある。あるんだけど、それを越えていく、仲間たちがいて、それを越えていったことで、体験する、聖霊の実り、喜びをね、教えてもらってるし。だから、キリスト者として、手を出す。恐れを越えるっていう、瞬間。これが、神の国が目に見える瞬間として、本当に、ぼくは尊いと思う。』Lydia

  • 18Oct
    • 居場所 あります!

         晴佐久神父様 木曜 上野教会入門講座のお話よりなぜ産後うつが発生するのか?これ諸説あるんですが。人間が群れとして生きている時代なら、調子くずしたお母さんを休養させてあげて、その間はほかのお母さんがおっぱいあげてくれたり、余裕のある人がお世話して、共同で育てるとことになる。赤ちゃんかわいいから、お母さんはひとりじめしたいけど、共同性のなかで育っていくことのできる子供は、結果としてゆたかな社会性を獲得していけるんですよね。僕は、産後うつというのは、遺伝子的に組み込まれた種としての生存戦略だ、という説に真実味を感じますねえ。お亡くなりになった女優さんも産後うつだった可能性が報道されていますが、まんまカフェ※みたいな場があれば・・と思うと本当に残念。世の中のうつ傾向が強くなってきているのをひしひしと感じています。このような時代にキリスト教の福音の明るさは本物の希望です。立派な人、素晴らしい人になろうとしなくていい。そのままのあなたを神様は愛しぬいているんだから。悪いことは必ずいいことにつながっていく。十字架が復活の喜びにつながったように。神様が引き合わせてくれた、その人がその人のままでいれる、そんなチーム、そんな場所が大事。この入門講座もささやかな家族的な試みですけれど、末永く大切にしてまいりましょう。             ※まんまカフェ 上野教会で行われている、赤ちゃんとお母さんのための育児サークル的な福音家族です。カトリック信者はなんと一人だけ!ほかの皆さんは口コミで集まった方たちです。          教会でけっこう話題に出るのが、教会に来る前は居場所がなくて本当に困った。というお話です。いったんなに事かあってダメージ抱えると、あっというまに居場所ってなくなる。人は優しいんですよ。でも、社会構造の変化で余裕がなくなっています。優しい友人がいても、その人のスケジュールも混んでるのがわかってるから、重い話にたびたびつき合わせるの気が引ける・・・、 ・・・こんなんで、どうやって回復しろつうの?かてて加えてコロナ問題です。気持ちが落ちてきてる方、本当に多いです。メンタルな問題だけでなく、仕事と住居、経済状態、皆さんは大丈夫ですか?難題山盛りですが、神父様の紹介してくださった産後うつについての仮説のように、私たちが新しい共同性を獲得していくためにいろいろな問題が起きているとしたら?これからは福音家族のような、血縁を超えた家族的コミュニティが各地で爆誕する、のか・・な??可能性あるかも???居場所、探している方。    あります。上野と浅草に。講座は水曜夜から金曜午前まで5回ありますので自分のご都合のよい講座に参加なさってください。連続して参加されても大丈夫です。感染症対策もばっちりやっていますのでご了承ください。本当は月に一度の一緒ごはんでおもてなししたいのですが今のところはお茶をお出しするのが限界・・淋しい・・・特にご相談やお困りごとがある方は神父か係のものにお申し出ください。つねに万全な対応はできないかもしれませんが、安心して生きていけるために一緒に考えていければ、と思います。子育ての悩みはまんまカフェ、精神的な疾患抱えた方には ここやし、ごごやしの会、とそれぞれの問題に対応した福音家族の集まりや、場合によっては専門家におつなぎしていくことも可能かと思います。また、コミュニケーションが苦手だったり、精神的な消耗が強くて話しかけられるのを避けたい場合は、その旨、係にメモなどお渡しください。その方がその方としてそのまんまいる事のできる場所にしていきたいと思います。従来どおり、カトリックに興味のある方、晴佐久神父にいろいろ質問してみたい方、なんとなく足が向いてしまった方、どうぞどうぞ!上野教会、浅草教会の入門講座に足をお運びくださいね。晴佐久神父様が福音語りまくってくれますが、この講座は勧誘や布教を目的とするものではありませんのでどうぞご安心ください。ここは強調するように神父様からご指摘あったんですよ~。洗礼はその人が受けたくなったときに受けるものだしなー、と私も思います。ひよこ

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      里山の風にのって

      先週、父の17回忌の法要が青梅市の霊園で営まれました。だが、父はれっきとしたクリスチャンである。プロテスタントなので霊名はない、なのに、戒名は、・・・何故かあるのだ‼16年前、父は臨終の数日前に、牧師から病床洗礼を受けて天国へ旅立った。天に召されるイメージは、私的にはミュージカル "CATS" で、天上へ昇るあの名シーンである。大勢の野良猫に見送られ、天国の階段を昇っていく。WAKWAKする瞬間だ。allez‼(さぁ はじめよう)葬儀の司式は、母教会の牧師が執り行ったものの、17回忌は、思いがけず仏式で執り行われた。何故? 理由は簡単‼ 4年前に亡くなった甥っ子(弟の長男)が、両親(祖父母)の墓に葬られたからなのである。墓を建立した時に、まさか‼ 自分の息子が先に入るとは…弟も想像しなかっただろう。弟はまだ、ノンクリスチャン。甥っ子の葬儀は仏式で行なわれたために、その流れで僧侶がもれなく加わり、このような形になってしまったのです。ローズピンクのモダンなキリスト様式の墓に塔婆も立っている。これも多様性の融合? なのだろう。キリストと仏教、これってハイブリッドな恵みと祝福なんじゃないかしら~、と、私は思わずにはいられない。天の父と、イエス様と両親の、温かい眼差しと微笑みが、秋晴れの空いっぱいに広がった。☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°春には🌸桜、秋には🍁紅葉、晩秋の里山に読経が響き渡る。私は十字を切り、心で祈り、賛美歌を歌う🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶風に舞う落ち葉とともに、裏山の雑木林がザワザワ~ と、唸った故人は、墓に眠っているわけじゃないからと、クリスチャンは墓参りをあまりしないようだ。だが私は、足繁く通っている。中学生の時に牧師に導かれて信仰告白をした甥っ子が、洗礼を受けずに逝ってしまったものだから、いま何処を彷徨っているのか? 心配で確認しに行くのだ。天国の両親が愛孫を導き、迎えている事は明白だと思えるけれど… それでも語りかけてしまうのは墓前になる。『 お父さん、お母さん、お姉ちゃん、叔母ちゃん(私)は、君の十字架を背負って生きていくから ジィジとばぁばと天国で幸せに暮らしていてほしい』、と…。2年後の夏には、甥っ子の7回忌が巡って来る。その時、私は… どのような生き方をしているのだろうか 背負った十字架の重さに押しつぶされてはいないだろうか里山の風にのってきっと君は、今日も近くまで来てくれているだろう。いつの日にか… 再会出来る希望があるから 私たちは生きていけるのかもしれない。「 再会出来るのなら 天へ召されるのもいいな~ 」、と、2児の母でもある若いクリスチャンの友人が、そっと、つぶやいた。グッジョブ‼Bonus laborイエス様明日もきっと良い日でありますように。シャロームLisieux

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      とにかく一緒に生きていくこと

       はじめまして。新米入門係のひよこです。おばさんですがひよこです。おもに上野教会でぴよぴよしています。どうぞよろしく!ここのところの神父さまのお話を聞いていて思い出したことがあるんで、ちょっと昔話です。20世紀の終わり頃だから古い話です。学生時代の後輩が牧師になったと聞いて、彼女の教会のホームページを見てみました。トップページは教会の写真に名称、住所と電話番号、というたいへんシンプルなもの。そしてひとこと 「とにかく一緒に生きていくこと」とありました。うーん。R、やるなあ!!かっこいい。諸事情ありまして、長いことキリスト教に対してアンビバレンツな感情を抱いていた私も、これには感服でした。神戸の大震災とオウム事件のあとの黒々とした不安が広がる時代のことです。若い人たちの自殺と自傷がものすごい勢いで増えていた頃でした。なんかもうね、四の五の言ってないで、一緒に生きていくこと。後ろに十字架があって自分の中に信仰があれば、大事なことは必ずつたわる。だから私はこれでいく!という気迫みたいなもんを感じましたよー。生一本、っていう感じですよね。自分が信仰持つようになるとはその頃ちーっとも思ってなかった私でさえ、なんだかほれぼれ。ここなら安心してやっていけるかも、と彼女の教会に行ってみた人、たくさんいたんじゃないかな?あれから20年以上たって、今度も過酷な事態だけど彼女は今なにを考えているんだろうな。ちょっと話をしにいってみたいですねー。この時代を皆が生きていくために、心を体を尽くしてくれている人が宗教や教派の違いを問わずにたくさんいるんですよね。そう思うとちょっと勇気がでてきます。とにかく、とにかく一緒に生きていきましょう。ひよこ

  • 17Oct
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      おうい雲よ

      羊が1匹… 羊が2匹… 羊が3匹…あれ? 密になってる~(笑)羊飼いがいないと、迷ってしまう子羊たち羊は、羊飼いの声を聞き分けます。主は羊飼い、私には何も欠けることがない(詩篇23:1)🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑🐑99匹の羊を残して1匹の羊を探しに行った話しを思い出しました。(ルカによる福音書15:1-7 )99人の正しい人よりも、1人の罪人が神のもとに帰ってきたときのほうが天に大きな喜びがあるのだと。Hallelujah神様の憐れみって半端ない🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶晩秋の空は、どこかもの悲しい。遠く 大海原を渡って、鳥たちがそろそろ 日本の空に帰って来る頃ですね…白鳥は かなしからずや 空の青海のあをにも 染まずただよふ  若山牧水『 秋風の 吹きただよはす白雲は 織女の天つ 領巾かも 』この作者 (不明) は、白雲が、七夕の "織女" (たなばたつめ) の領布 (ひれ) のようだと詠っています。わたくしは、ミサベールを想像しました。万葉の時代の雲は、いったいどんな形をしていたのでしょうね薄明光線(天使の梯子) を昇り降りする御使いたちの姿が、今日も目に浮かぶようでした。天の父に伝えて欲しい空を見上げる時は、いつも笑顔でありたい、と。もしも泣いてしまった時は、涙を拭いてください、と。アーメン今日の一日に感謝致します。明日もきっと良い日でありますように。シャロームLisieux#羊#羊飼い#雲 #天使の梯子

  • 16Oct
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      【金昼】それぞれの居場所

      今日の福音朗読箇所は、ルカによる福音12章1-7節。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。(ルカ12・6-7)ニュースになった、自死した方の話から。『 (不正に)泣きながら抵抗した。しかし、その同調圧力の中で、ついには自殺ですよ。他に、居場所がない。キリスト教を、なんとか広めなければならない、その一番の理由は、そこにある。自殺する必要はない。あなたは神の子であって、自由であって、あなたを滅ぼすことができる者はこの世にいない。たとえいたとしても、神が救ってくれるんだから、恐れることはない。しかも仲間がいる。神さまのみ前で、堂々と、福音を信じる者として生きているなら、なんにも心配はいらないんだよ。お互いに顔色窺い合って、生きるんじゃなくて、もっと広い広い、神さまが出会わせてくれた素晴らしい出会いのなかで、誇りをもって、福音を語れる者でありたいし、そうあってほしい。神のみ前で爽やかに胸を張って、周りからなんて言われようと、ビクビクしない。同調圧力に抗って、真っ直ぐに立つ。キリストがそうであったように。「恐れるな。」(ルカ12・7)って、この言葉をね、大切にしていただきたい。自殺するような人の現場に関わることが多い人生なんですよ、神父って。私は、身近に「もう死にたい」って言ったり、「もう今日で終わりにしたい」ってメールが入ったり、日常なんですよ。孤軍奮闘でもいいんですけど、このコロナの時代、自殺する方が増えているので、ぜひ、みなさんが関わってあげてください。神がついている我々は、聖霊がちゃんと働いてくれますから。別に、立派なこと言ったり、励ましたりする必要もない。話、聞けばいいんです。誰かが聞いてくれた。もうこれで十分です。「多分、大丈夫だろう」とか、「そっとしとこう」とかじゃなく、恐れずに、関わって。「話、聞かせて」とか、「大変だねぇ」とか、「祈ってるよ」とか、関わるだけで全然違うんです。素晴らしい家族も家も仕事も、全部持っているかのように見える人に、死を選ばせるほどの闇の力っていうのが、あるんですよ。恐いですよね。でも周りの人は、その闇の力に打ち勝つだけの、人と人のつながりっていう武器を持っているんです。キリスト者は、「関わる」というチャレンジをぜひしていただきたいと思います。さっきの同調圧力の話にも関わることなんだけど、災害のときでもなんでも「助け合う」ってことをするために、いろんな集まりをつくっていただきたいんです。それは、2021年のみなさんのチャレンジとして、強く主張していきたいと思っています。みなさんの特質とか、趣味とか、2人、3人でもいい、集まりを始めていただきたいんです。これは重要です。そういう、小さな集いをどんなふうに自分がクリエイトして、それを守り育てていけるかというのは、とてもこれから重要になっていくと思います。普通の人が、あるいは「自分なんかはそんなタイプじゃない」と思っている人が、寄り添って、ほんとに数人でもいいから、一緒に定期的にごはんを食べたりとか、一緒に美術館見て歩くでもいいですよ。何か、つながる方法っていうのを見つけて、家に招いて、話を聞く。2021年、ぼくはそれが必要になってくると思うし、そのために何ができるか、どんなふうに始めたらいいかっていうことを色々考えて、やったらいいと思います。今は、始められませんよ。なんで2021年って言うかというと、「集まれるようになったら」の話です。その意味では、「今はじっと」と言わずに、そろそろ工夫しながら、始動しなきゃならない。その始動の一番は、シンボリックに言うならば、「集まるな」と言われた2020年を越えていく、「集まる」っていう。ただそれが、教会に集まるってだけだったら、「元に戻る」じゃないですか。そうじゃなくて、教会で不特定多数が集まったら密でリスクも高い。感染したら、「誰がどこで」ってわかる。顔の見える、小さな集いをいっぱいやるっていうのが正解だと私は思っているんですよ。「どんな集まりができるかな?」っていうことを考えていただければ。天の父よこの激動の時代、コロナという恵みによって、私たちはやはり、変わろうとしているところです。回心を求められています。生まれ変わって、いっそうキリストの体になっていくように求められている時代です。このようなときに、どうかたくさんの祝福をお与えください。力をお与えください。特に、あさって洗礼を受けようとしている神の子に、惜しみなく聖霊を注いでください。あなたが選ばれたこの特別なとき、特別な集いによって、あなたの素晴らしさを深く知り、良い出会いの中で、あなたの栄光を仰ぎ見ることができますように、心からお祈りいたします。私たちの主イエス・キリストによって』アーメンLydia

  • 15Oct
    • 一期一会

      寒中の木の芽内村鑑三一、春の枝に花あり  夏の枝に葉あり  秋の枝に果あり  冬の枝に慰なぐさめあり二、花散りて後に  葉落ちて後に  果失せて後に  芽は枝に顕あらはる三、嗚呼ああ憂に沈むものよ  嗚呼不幸をかこつものよ  嗚呼冀望きぼうの失せしものよ  春陽の期近し四、春の枝に花あり  夏の枝に葉あり  秋の枝に果あり  冬の枝に慰あり内村鑑三の詩は、とても癒されます。二十四節気のひとつ、"寒露"を過ぎて晩秋に入り、街路樹は早くも冬支度をはじめています。あっ‼꙳★*゚ペガスス座とアンドロメダ座、見いつけた~!! ギリシャ神話の星々には悠久の浪漫を感じますね秋の星座を仰ぎ見ながら家路を辿ろう🎼.•*¨*•.•*¨*•.¸¸🎶もう 夜風は冷たいコロナ禍の中で、芸能人の悲しい報せを聞く度に思います。世の中、あまりにも冷たすぎる。神父様の仰るように、お互いに助け合い、フォローし合える温かい社会に生きていたら・・・きっと、助かった命かもしれない、と。あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、これは、日露戦争最大の激戦地に投入されたと思われる弟・籌三郎の生還を祈った与謝野晶子の詩ですが、現代社会に置き換えて声を大にして言いたい。わたくしも可愛がっていた甥っ子を4年前に自死で亡くしました。遺された家族のいのちの痛みは決して癒されることはない。とりわけ、親にとっては生涯消えることはない痛みだろう。人はみな、自分の十字架を背負って生きている。〈 故シスター渡辺和子さんの言葉 〉『 死にたいと思うほどに苦しい時、"苦しいから、もうちょっとだけ生きてみよう"とつぶやいてください。苦しみの峠にいる時、そこからは必ず下り坂になります。そして、その頂点を通り越す時に味わった痛みが、その人を強くするのです。』Hallelujah今がどんなに辛かろうと、神様の摂理は必ず良いものである、と信じて生きていこう。アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン明日もきっと良い日でありますように。シャロームLisieux

  • 14Oct
    • Ave Mariaの画像

      Ave Maria

       季節は巡り、早くも10月半ばとなり、夜が明けるのが随分と遅くなりましたね 。”彼は誰時 ”(かわたれどき) を毎朝ウォーキングしておりますが、だいぶ色づいて来た街にWAKWAKしながら歩いているわたくしです。額に刻まれた十字架と共に 今日も胸を張って、背筋を伸ばして さぁ 闊歩いたしましょう。Lets deambulatio.•*¨*•.•*¨*•.¸¸今月はロザリオの月♥ なのでいつにもまして丁寧に、熱心にロザリオを祈ります。 アヴェ・マリア‼  「レジオ・マリエ」 で頂いたオリーブの木のロザリオと、先輩姉妹に頂いたピンクのロザリオを交互に、ひたすら無心に繰ります。 ロザリオは、薔薇の祈り。薔薇の冠を編むように4つの神秘を黙想して祈ります。苦しみの神秘 ( 受難の神秘 ) で、イエス様の磔刑のお姿を想うと…いつも涙して先に進めない( ´ •̥ ̫ •̥ ` )四旬節の 「十字架の道行」 を今年は教会では出来ませんでしたが、家で黙想すると、第3留のところでいつも号泣してしまいました。イエス様の傷だらけの御身体に、さぞ、十字架は重かったろな・・・ ┗(;´Д`)┛お・も・た・い"ミケランジェロのピエタ像" のマリア様を想い、家族や友人、神父様と教会の先輩、兄弟姉妹の方々、同期生や福音家族の皆さま、わたしたちの愛する一人一人のお顔を思い浮かべて 薔薇の冠を今日も編みます。心に安らぎが生まれ、魂に喜びが溢れます。マリア様 全き平安をありがとうございます。שלוםשלום שלוםשלום 明日もきっと良い日でありますように。シャローム神のみ母よ「 Sub tuum praesiditum 」神のみ母よ、わたしたちはご保護を仰ぎます。いつ、どこでもわたしたちの祈りを聞き入れ、御助けをもってすべての危険から守ってください。アーメンLisieux

  • 13Oct
    • 【日昼】John Lennonが生きてたら

      (神父様)10月9日、何の日かご存じでしょうか?ジョン・レノン80回目の誕生日。ジョンが40歳で亡くなって、早かったなと思うけれど彼のやった事、本当に共感するし身近に感じます。平和のために働く同志、おこがましいけど「同志」として。ジョンのいたベトナム戦争の頃のような「わかりやすい悪」ではなく今は「わかりにくい悪」の時代。今ジョンが生きてたら、Love&Peaceのようなストレートな感じより、もっとこう普遍的な、みんながつながる道を造っているんじゃないかと思う。「そういいう悪」に負けない高次元の平和運動を今、求められているんだろうな、と。Beatles、素晴らしい音楽です。がジョンはBeatlesっていう、いうなれば偶像の中では本当の自分になれなかったのですね。本当の自分のままでいいんだと思える人との出会い、ジョンにとってはヨーコ。ジョンは撃たれてしまったけど或る意味間に合った。ついに見つけた。ヨーコと出会って愛を知って、とても身近でprivateであり合わせのもので自分をsimpleにストレートに表現する。その後のアーティスト達に凄く影響を与えたと思う。僕も今、自分が本当に感じた事を喋ってる。皆と共有したい。ある種自己表現。人が安心して語れる場で。我々も表現するために生きている。心の叫び、平和への想いも、表現しなければ。アーティストじゃないとか怖れとか自己規制とか、そんなモノがあるから僕らはちゃんとつながれない。弱さでも傷でも何でも構わない、本当に正直に自分と向かい合ってきちんと表現する。仲間と語り合ったり一緒に作業をしたり、受けとめあって、ここでは何を言っても大丈夫だという、この場所がそんな自己表現の場であってほしい。人間の弱さは、実は我々が本当につながって神の国に出会うための、ある種の恩寵のうちにある。「人が独りでいるのは良くない」神さまは言いました。創世記2章18神父様ご紹介「DOUBLE FANTASY John&Yoko」ソニーミュージック六本木ミュージアム10/9~2021/1/11開催tabita

  • 12Oct
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      Quando suona la campana del mio cuore(心の鐘が鳴り響く時)

      秋の洗礼式から一週間。受洗された皆様それぞれが余韻さめやらぬ中でお過ごしと思います。そんなお一人Lisieuxさんに初聖体そして巡礼の旅の新鮮な感動を語って頂きます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・満開の "金木犀" も、シャロンの薔薇の "ムクゲ" も、冷たい雨にうたれて何だか可哀想~ムクゲの花言葉は 「信念」 「新しい美」 。新しい生活様式、新しい教会へ美しく歩み出そうって咲いているみたい。寒い週末ですね~ 一気に冬になってしまったかのよう。ロザリオを繰る指も悴みそうな寒い日々がつづいていますね日曜日に転会式に与ってから 今日は4回目のご聖体拝領でした。「味わい、みよ、主の恵み深さを」 聖なるホスチアの味はどんな味?初聖体は、涙で塩っぱくて、何と恐れ多い事か イ・イエス様が私の中に・・・おられる? 何とも不思議な感覚なのでした。先月、日本二十六聖人の記念日のミサを捧げた翌々週から 九州へ行く機会が出来たので行ってまいりました、長崎へ。長崎港の汽笛を聴きながら、石畳の坂を登って行き、いざ、大浦天主堂へ 。「日本之聖母」像 マリア様が迎えてくださいました。嗚呼 御聖堂の素晴らしい事祭壇のステンドグラスに差し込む光がゆらゆら~ゆらゆら~と揺れて美しかった~ .•*¨*•.•*¨*•.¸¸流石に世界遺産だけあって観光客とおぼしき人の波… The・三密状態 クリスチャンは何処~? 胸の十字架、ネックレスを握りしめて目を閉じて "主の祈り" を唱えるも、観光案内の自動音声と観光客の声にかき消されてしまうのでした。そう言えば、熊本天草の崎津集落・崎津教会も観光地化されていましたっけ・・・世界遺産登録は嬉しいような、クリスチャンにとっては悲しいような・・・これじゃぁ ゆっくり礼拝出来ないかも~ なんて感じたわたくしでした。エスカレーター上がったグラバー園は工事していたので、気を取り直していざ、大浦天主堂が見つめる殉教の丘「西坂」、ザビエルが迎える 二十六聖人記念館へ。パパ様と同じ場所に立つ。聖パウロ三木と仲間たちが眠る殉教の地。ザビエル直筆の手紙 (実物) 日本キリシタンの至宝 「雪のサンタマリア」。そして、 "踏み絵" のレプリカが展示されています。正に日本の聖地。マリア観音に秘めた命懸けの信仰、血のにじむような "おらしょ" の美しい旋律が胸を貫きます。嗚呼・・・言葉にならない声なき声に、耳と心を傾けた尊い時間を ありがとうございました。感謝と祈りを込めて明日もきっと良い日でありますように。シャロームLisieux

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      今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会10月15日(木)19時10月16日(金)10時半(10時から週日のミサ)カトリック上野教会10月14日(水)19時 休講10月15日(木)10時半(10時から週日のミサ)基礎疾患のある方、発熱等体調を崩している方は参加をお控えください。マスク着用、検温、連絡先記入、座席指定等にご協力いただきますよう、よろしくお願いいたします。初めての方もご遠慮なくいらしてください10月の教皇の祈りの意向:教会における信徒のミッション→「洗礼によって信徒となった人々、特に女性の信徒が教会の責任ある分野にいっそう参加することができますように」(このブログにも新たなメンバーが参加してくださるそうです。楽しみパパさま、素敵なお祈りをありがとうございます)教皇の新回勅「Fratelli tutti」について東京大司教区 菊地功大司教→『教皇様の新しい回勅が公表されました』以前のお話『モヤモヤした気持ちのあるときって、何をやっても、気になる。そういう、検査の結果が出ないときとかね。「まあ、だいじょうだ」と思いながらも、なんだかこう気がかりで、時々最悪のことを想像してみたり、「もしもそうだったら、こうしようかな。ああするしかないな」とか、妙な覚悟を決め始めたりとか、まあ、何事もなかったんでスッキリして、それは良かったんだけど、でも、まあ、いつも気づかされること。キリスト教は、転んでもただは起きないところがある。だから、病気になっても、いろんなイヤなことがあっても、災害にあっても、これも摂理、神さまがなさっておられること。もちろん、直接、神が悪いことを起こしているというのは、あまりにも単純過ぎて、幼稚です。もっと、大きなことですね。ちっちゃい子にたとえて言うなら、子どもが靴履くのがイヤで泣いてるのに、「ちゃんと、履きなさい!」って言って履かせる。子どもは、裸足のほうが気持ちいいと思ってたのに、靴を履かされるっていうんで、すごくイヤな気持ちをするんだけれども、親はそんなこと、お構いなしですよね。それが結果的に、本当によいものに結び付くってわかってるから、神はそうするわけですね。個々の悪い事っていうのも、「それにしても、悪すぎる」って言うかもしれないけど、「それにしても悪すぎる」ことを、さらに超える恵みがあるっていう。キリスト教、負けなしなんですね。いつも、その先、その先を。十字架はまさにそう。悪いことのようでいて、その向こうに復活の栄光の世界が広がっている。手前の十字架は、向こうの復活の、しるしなんですね。入り口であり、恵み深い試練であり、生みの苦しみであり、くぐり抜けることを、本当に我々は喜びとして、その試練を越えていくわけですね。キリスト教は、いつも十字架とか苦しみとか罪だとか言っていて、暗くて、あんまり触れたくないって言う人がいた。それは誤解ですね。触れたくなくったって、人生、世の中、苦しみと災害に満ち満ちているじゃないですか。そこから逃れることは、誰にもできない。今回は事なきを得たけど、次回は本当に病気を宣告されて、闘病を始めなければならない、そういうこともあるでしょう。でもそんな時に、そのような十字架を、ただ「それ」だけを見るんじゃなくて、その先の復活を、ちゃんと見る。輝きの世界に行くっていうのが、我々の希望、信仰なので、むしろ、そのような、クヨクヨしたり、嘆かわしい気持ちになるような、情けな~いところをしっかりと自分でも受けとめて、他者のそのような弱さや迷い、恐れなどにも共感して、みんなで一緒に信仰を新たにしながら、復活の世界を目指しましょう!っていうのがね、必要かと思います。いつくしみ深い天の父よ私たちはいつも試練のうちにあり、さまざまな恐れ、モヤモヤ、病、災害を抱えておりますけれども、それらはすべて、大いなる完全、絶対、永遠なる、あなたのみ手のうちにあります。あなたが、愛である方、すべてを愛して、喜びの世界に導いておられる方であることを固く信じて、あらゆる試練を越えていきたいと、そう願っております。どうか私たちに信じる力を 新しい希望を見せてください。お互いに、弱さに共感し合いながら、ともに救いの道を進むことができますように。私たちの主キリストによって』アーメン。Lydia

  • 09Oct
    • 【金昼】Fratelli tutti

      今日の講座は、教皇が発表した新回勅「Fratelli tutti」についての、カトリック新聞の記事『教皇、新社会回勅を発表「きょうだいの皆さん」互いを大切によい世界を』を読みつつ、進みました。「新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)のような世界的な悲劇が起こり、すぐに私たち地球全体が一つの共同体だという意識が呼び覚まされました。私たちは同じ舟に乗っていて、そこでは一人の人の逆境が、乗っている全員に及ぶのです」と教皇は指摘する。「あらためて私たちが気が付いたのは、誰も一人では救われず、私たち皆が共に救われるしかないということです」トリクルダウン理論をぶった切ったお話も面白かったのですけど、「多様性が尊重される社会のほうが、どんな型のウイルスに対しても耐性が強いのです」という教皇の言葉から始まったお話が印象に残りました。『 いいね。多様であることは、すごく大事。柳澤桂子さんって、生命科学者。遺伝性の難病でね、すごく苦しまれている。ちょっと忘れちゃったけど・・・、その遺伝子を持っていると、そういう難病を発病する確率が一定数ある。非常につらい病気のようです。しかしこの遺伝子を持っている人は、何かのパンデミックの時に、それにかからない。そういう危険な時に、その遺伝子を持っている人が役割を発揮できる。多様な遺伝子があることで、お互いの、人類全体の、幸せにつながりますっていう。私が持っているその遺伝子は、何%かの確率で難病になることもある。私は、その遺伝子を持つという「役割」を受けた。だから、私はこの難病を引き受けますって、言った。それは、忘れられないね。多様性を、みんなで引き受ける。さっき話に出た、社会の中ではうまいこと適応できずに、排除されがちな、「おまえももっと頑張れ」「自己責任だ」って言われがちな人たち、こんな人たちが社会全体の中で、何か特別な意味を持っている。遺伝学だったら、「こういう遺伝子で、こういうふうに、役に立ちますよ」って言うんだろうけど、それがもっと目に見えない霊的な世界で、いろんな人が、いろんなかたちで、多様性の中で生きているからこそ、全体が幸せになるっていう、目に見えない遺伝子みたいなものが不思議に、ちゃんとつながっている・・・はずだ、と。私は、そう思う。「こんな特殊な人が、なんの役にたってるの?」って言われて、いちいち説明する必要もない。そんなこと、誰にもわからない。神のみぞ知る。ただ、こんなにも変わっていて、こんなにも特別で、こんなにも社会になじめないことには、とっても意味があることだと、やっぱり信じ続けることですよね。それを「摂理」という言葉で表現するわけですけども、神さまが特別なお考えをもって、何か、そうなさっておられるということを信じるっていう、そういう信仰ですね。摂理のすべてを知ることはできない。「神さまだけがご存じの」、わけ(理由)があるわけだから、あとは、「知っている神さま」に信頼して、お任せする。神は、必ずよいことをなさるから、問う必要がない。本当に我々にとって、神の子たちにとって、特に最も弱い立場にある人たちにとって、何かよい理由があって、そうしている。神さまだけがご存じの理由で、私たちは「そう」なっている。そのまんまでね、神さまは受けとめてくださって、むしろ、そんな「あなた」だから、わたしは愛しているんだ・・・と言わんばかりの、その神さまの大~きな親心の中で、この宇宙は、神の国に向かっているということを信じて、神の子たちは、安心して、成長してまいります。しかし、人間の人災を摂理だというのは、これは間違いです。人間には、神さまのみ心がどこにあるのかということは、全部はわからないけれども、イエス・キリストが教えてくれた道を大切にしながら、歩んでいくことで、大いなる神のみ摂理に向かっているんだと信じます。限りなくいつくしみ深い天の父よこの困難な時代、持続可能な社会を目指していても、貧富の差、格差社会の中で、さまざまな欲望、既得権益、権力、憎しみ、人間の弱さが渦巻いているこの世界で私たちは、キリストの福音に希望をおく者たちです。どうか、この教会を祝福し、希望を新たにしてください。特にこのコロナ時代に明らかになってきた、この世界の闇に、あなたご自身が聖霊の光を照らして、私たちの希望を新たにしてください。困難に負けることなく、真に平等な社会が生まれるように、私たちを遣わしてください。私たちの主キリストによって』アーメン。一つのキリストの体である、兄弟姉妹の一人ひとりに、神さまが与えた役割の恵みを信じて、自分が自分であることに安心しつつ、一人ひとりの存在の美しさに、目が開かれていきますように。Lydia

  • 08Oct
    • 【日昼】秋の初めの洗礼式

      (神父様)今日ここに、こうしてみんなで集まれて。半年前の復活祭、コロナが無くてあの時一斉に受洗していたら?このホールでpartyしてごちそう並べて大勢で。ワインなんかも出たかもしれない。それはそれで、楽しいですよ? 今日は一応の、お茶とお菓子。でもいいですか、欠けたところは何一つない。キリストの身体、小さなパンを戴いて水をかけられた。完全なしるし。病床で授ける事もありますよ。もう天に召される事が分かっている、緊急の洗礼ゆえ司祭以外の未受洗の人でも授ける事ができます。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を授けます。この言葉としるしがあれば、完全なんです。それはカテドラルの荘厳さの中で行なわれるものと何ら変わらない、秘蹟の美しさです。人の目には不思議に見える。今日のミサ朗読箇所にもありました。コロナ下なのでオンラインライブ、毎晩見ています。ほんとにさみしい。歌も演奏も、拍手ゼロ。誰もいないアリーナに向かって深々と頭を下げる。でも、ある意味おもしろいのはモニター前の人は間違いなく拍手してるんですよ。全国、もしかしたら全世界。アリーナはせいぜい2~3万人でしょ?実はアリーナに入れる人数より多い。オンラインならではのつながり、それはとても嬉しかった。なんだか気が滅入ったり、何か足りない。そういう気持ちを今日からやめて、前向きにコロナ君とやっていきましょう。マスク、めんどくさいったってしょうがない。私のメガネと一緒で、かけなきゃしょうがない。日常だから。余りあれこれ考えすぎずに。何かが欠けている。或いは、理想の自分じゃない。この気持ちが、人が陥る最大の罪。実は何も欠けたところが無いんだ。今日の箇所、マタイによる福音21章42。家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。家は石の積み方ひとつで崩れてしまう。最もポイントになるのが「隅の親石」。家造りが「こんなのは使えない」とポイと捨てた石を、神さまが親石として神の国を造りますよと。神さまが一人の人間を使って働く。司祭の叙階の秘蹟。洗礼の秘蹟。われわれには不思議に見える。tabita

  • 05Oct
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      今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会10月8日(木)19時10月9日(金)10時半(10時から週日のミサ)カトリック上野教会10月7日(水)19時10月8日(木)10時半(10時から週日のミサ)10月11日(日)12時基礎疾患のある方、発熱等体調を崩している方は参加をお控えください。マスク着用、検温、連絡先記入、座席指定等にご協力いただきますよう、よろしくお願いいたします。初めての方もご遠慮なくいらしてください昨日(10/4)は、上野教会で洗礼式&転会式が行われました。おめでとうございますそこで、晴佐久神父説教集Ⅱ『希望はここにある』(教友社)より、「神の誇り」からの抜粋です。******* 洗礼の準備をしている方が大勢おりますけれども、面接でその一人ひとりの話を聞いていると、感動いたしますし、何よりも、一人ひとりが、この「洗礼」という尊い出来事にたどり着くまでのプロセスに、神の誇りを感じます。この世界の根底には、神さまがきちんとなすべきことをなさっているという、神の誇りがあり、私たちもその神の誇りを共有する時に最高の喜びを知るのです。 入門講座へのご案内のプリントを信者全員にもち帰ってほしいと、去年の秋、入門講座が始まる頃に皆さんにお願いしたのを覚えていらっしゃいますでしょうか。全家庭に最低一枚ずつもって帰ってくれと。それはなかなか効果がありました。ある方は、奥さまがもって帰ってきたその案内書を見た瞬間、「ああ、時が来た」と、そう感じた。そうして、来年洗礼を受けようと思ったと。そういうことってほんの〇.五秒で決まることですね。その人の中に「時が来た」瞬間。入門講座自体は、一人の司祭の信仰告白にすぎません。けれども、ぼくは誇りをもって入門講座をしています。これは神がなさっていることだという誇り。そんな誇りがなければ「全家庭にもって帰れ」なんて言えませんよ。こんなプリント一枚でも、かならず神が働く。神は無から有を生み出せる方なんだから。そんな神さまの「誇り」をぼくは共有していたいのです。 そのご主人は、「ああ、時が来た」と感じてから入門講座に通い始め、もうすぐ洗礼を受けますけれども、この前の面接の時、「二十六年前、今度私が洗礼を受ける三月二十六日と同じ三月二十六日に、私たち夫婦はこの高円寺の聖堂で結婚式をしたんです」と教えてくれました。どうですか? 結婚式のときは思ってもみなかったけれども、二十六年後のちょうど同じ日に、同じ聖堂で洗礼を受けることになるという出来事。ぼくはそんなささやかな巡り合わせに、チラリと「神の誇り」を感じます。千年万年を貫いて、ご自分のわざを堂々となさっておられる神の誇り。なすべきことをなす神の誇りが、洗礼という特別な出来事の中に感じられませんか。*******今日は、「いつくしみのイエスのご絵」の聖ファウスティナ・コヴァルスカおとめの記念日(任意)です。固有のアレルヤ唱は『典礼聖歌』276(諸聖人) マタイによる福音11章28節。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)主イエス・キリスト、神のいつくしみ、私はあなたに信頼します。Lydia

  • 02Oct
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      すべてのいのちを守るために

      今日は「守護の天使」の記念日。福音朗読箇所はマタイによる福音18章1-5、10節です。これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。(マタイ18・10)以前のお話『 自ら命を絶つのは罪だとは教えますけれども、実際にそのように天に召されてしまった人を裁くことはできない。出来事に完全な悪、完全な罪、完全なあやまち、そんなものはないわけですから、何らかの、神さまのよいみわざが働いているに決まってるわけですよ。「完全に」神に逆らうことって、人にはゆるされていないんじゃないか。イエスの十字架。自らエルサレムに向かって、「わたしだ。この人たちは去らせなさい」って、弟子たちを逃がして、(cf.ヨハネ18・8)死を逃れるための、なんの弁明もせず、十字架を背負って、丘を登っていったわけじゃないですか。だけど、それが「神の望みだ」と。キリスト教には、そういうのがある。神が何を望んでおられるかというと、そのような、ある意味、「犠牲」によって、みんなが生きていく。それくらい、「人のつながり」というのは尊いもので、自分を削って、誰かを生かすっていう、十字架の神秘。十字架はそれを一番よく表しているわけでしょう?自分を捨てて、誰かを生かす。でもそれによって、みんなが救われる。みんなが一つになる。私も、実は自分を失ったわけじゃない。百倍も千倍もの報いを受ける。そのような・・・、なんていうんでしょう、人間の本質に、自分を無にして、他の人の喜びを見出す。でもそれが大きな意味で、キリストの体というか、全人類というか、全歴史というか、それが、「神の国」に変えられていく、その一つに自分もなっていく、そういう「道」なんです。どこか、何か、自分を犠牲にする。完全に捨てるのは難しくても、でもみなさんもちょっとはね、「ここは我慢しよう」とか、「いやな人だけど受け入れよう」とか、「汚い仕事だけど自分がやろう」とか。キャンプなんかやっててもね、「じゃあ、最後、トイレ掃除は?」って言うと、みんな一瞬、ひるむんだけど、まず手を挙げる人がいるんですよね。〇〇学園だったかな、学校に入ると、大きく貼ってある。「マリアさま、いやなことはわたくしが」・・・でしたかね?〇〇の方、います? いない? うろ覚えで。みんながいやがることを私が進んでやりますっていう、そういう標語なんですけど、そこの生徒が以前言ってたんですよ。自分はすごくその標語がいやだった、と。押しつけがましくて。だけど、シスター方がシスターの服を着たまま、トイレの便器を素手で洗っている。素手で。それを見て、「もう何も言えなかった」って聞いたことがある。「そこまでやらずとも」って思うかもしれないけど、何か、それも「しるし」なんですよね。ほんとにみんながいやがること。それを自分がちょっと我慢すること、捧げること。そんなことで、世界が少しでも、ちょっとでもいい方向に行くっていうことに、チャレンジし続けている仲間たち。これが「人類」っていうことのような気がする。そうして最後は、神の国が実現する、みたいな。そういう流れで言うならば、自死ってね、つらいことではあるけれども、私は、「神に選ばれて、十字架を背負った、一人の尊い神の子」っていうふうに、亡くなったあとは言うべきだと思う。私も、そういう、すごく親しい、無人島の浜で夜を徹して語り合った仲間を自死で失っております。その彼の悩みとか、苦しみとか、ずっと私は聞いてきましたから、驚きはしなかった。「あぁ、やっぱり、そうだったか…」っていうような思い。みんなは、彼の心の闇をあんまり知らなかったから、すごく驚いていたけれど、でも、私はその彼が、とっても天使のような心を持っていることをよく知っていたし、「あぁ、召されたな」っていう感覚しかありませんでした。やっぱり、この世界は、暴力や利己主義が渦巻いてますけども、そういう、みんなの罪が、ある天使のような、弱い人に集中していくっていうのがあるんですよ。その人がそれを引き受けて、背負う。いつかもカナリヤのお話しましたでしょ。炭鉱に入っていくときに、ガスが出たりするので、弱いカナリヤちゃんを持っていくと、カナリヤがコロッと死んじゃう。まだ人間は生きていられるんだけど、カナリヤが死んじゃったら「これはヤバイ」って言って、慌てて、みんな逃げる。カナリヤちゃん、かわいそうですよね。でもとても弱い生き物だから、そういう計測の器になるわけですよね。人類にも、とても弱い人がいて、そういう人に世の中の毒が集中して、ある意味、犠牲になるんです。そんな、一番弱いカナリヤちゃんが死なない世界をつくっていこうよっていうのが、ぼくらの使命なわけですけれども、それでも弱いところから、苦しんで、亡くなってっちゃう。5歳の女の子がお父さんから暴力を受けて、亡くなった。衝撃的な自筆の手紙が残ってたんですね。「お願い、もうゆるして」って。あの手書きの文字。悲痛な叫び声ですけど、それは、親に向けているようだけれども、私には、それをはるかに超えて、全人類に向けている声にしか、聞こえない。一番弱いところは、なんにもできない。殺されるほどの虐待って、どれほどかと思うけれども、「ごめんなさい。ゆるして」って言いながら、それを受け入れてもらえない。それって、この世界がそういうふうに無理解とか、いじめとか、自分のストレスをぶつけていくとか、そういうことがいっぱいある中で、一番弱いところに、それが集中して、カナリヤちゃんみたいに、この世界に警鐘を鳴らすわけですよね。イエス・キリストはすごく強い人って思われるかもしれないけれど、あの十字架は、完全な無力の十字架。何もしない。逃げようともしなかった。「お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう」(マタイ26・53)って言うにもかかわらず、一番弱いところに照準を合わせて、自分も一番弱いところに同化して、そしてその弱いところを生きて、すべての人を救うために、捧げものになる。そういう、キリスト教の本質っていうものをいつも忘れないようにする。自死の方たち、特に若い人たちは痛ましいですけれども、もし本当にこの世界が「神の国」に変わったときは、美しい世界、素晴らしい仲間たちの中で、「これからも生きていきたい」って思うに決まってるんですよ。つらい日々が、無理解な世界が、自分の居場所を感じられないような冷たいシステム、そういう中に「もう戻りたくない」と思うっていう・・・。だから、弱い立場の人たちが異議申し立てをして、みんなに気づかせようとして、ある意味でね。本人がそう思ってなくても、みんなが気づく「しるし」となって、命を天に捧げているっていうこと。自死で亡くなった青年のことは、ほんとに今でも、思い出さない日はないってくらい。きみの、その犠牲を、ぼくは決して無駄にしないよ、と。それは、十字架として、私たちも何か本来背負わなくてはならない部分があるんじゃないか。みんなで背負っていれば、もっともっと、一番弱いところが楽になるんじゃないか。それを、こういう仲間たちでやっていこうよっていうのがキリスト教だと。そのように天に召された人たちは、神さまがこの世にいたとき以上に用いられるんですよね。この世にいたとき以上に、です。この世にいたとき以上に生きている。彼らの一粒の麦が、百倍にも千倍にもなることをぼくらがやっていけばいいわけですよ。もう二度とそんなつらい思いを誰かがしないですむような社会にするために、少しでも自分も忍耐する、みんなの喜びをつくりだすことをやっていこう。そんなときに、天でもね、彼女たち、彼らたち、十字架を背負ったみんなの働きが輝きだす。一番弱いところを大切にすることで、神の国がどんどん輝きだす。』Lydia

  • 01Oct
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      晴佐久神父より NO.8(浅草教会報)

      浅草教会のルルド「アベ、マリア!」主任司祭 晴佐久昌英 コロナ自粛中の今年5月、聖母月ということもあり、浅草教会の庭の聖母像の前にユリの花を飾って、毎朝アベマリアの祈りを捧げました。どうせならと、道行く人にも聞こえるように、「アベ、マリア!」と大きな声で唱えたものです。もしかすると、それが教会に関心を持つきっかけになるかもしれませんから。聖母像の前には立派な池があり、これまた立派な金魚がたくさん泳いでいます。赤、白、金色と、三十匹はいるでしょうか。それまでは気にも留めていなかったのですが、毎朝眺めていると情もわき、お祈りの後で餌をあげることにしました。せっかくなのでと、ちょっと高級な餌(モロヘイヤ入り!)を買ってきてパラパラと撒き始めたのですが、数日たったころのことです。いつものように池のほとりで「アベ、マリア!」と祈り始めた途端、金魚たちがバシャバシャと集まってきて、口をパクパクするではありませんか。浅草教会の金魚たちにとっては、「アベ、マリア」の意味は「ごはんですよー」になってしまいました。 「アベ、マリア!」。声に出すだけでも美しい響きです。その意味はいうまでもなく「おめでとう、マリア様」であり、祝福の言葉です。その胎に人類の救い主を宿したお方を、まごころこめて祝福することくらい幸いなことはありませんから、これはもう、単なる祈りを超えた聖なる言葉だと言っていいでしょう。ひとこと「アベ、マリア!」と唱えるだけでも心に安らぎが生まれ、魂に喜びが溢れます。苦しいとき、不安なとき、災害の地で、病の床で、どれほど多くの人が唱えてきたことでしょう。もはや人間の力ではどうすることもできないような困難の中で、天の父の慈しみによりすがるしかないときに、「アベ、マリア!」と、ただひたすらに。それは、どんなに理解しがたい現実であっても、神のみ心であると信じて引き受けた聖母にあやかって、試練の日々を生き抜くための祈りなのです。 季節は巡り、はや10月になりました。ロザリオの月ということで、いつにもまして熱心に「アベ、マリア!」と祈ります。ロザリオの祈りは、「アベマリアの祈り」を一環で50回繰り返す祈りですが、繰り返すうちにいつしか無心になり、神の御手にすべてをゆだねる境地に至れるのがその特徴です。その意味でも、実はロザリオの祈りの最大の特徴は、あのロザリオそのものにあるのではないかと思っています。時に人生には、本当に苦しいとき、もはや「アベ、マリア!」とつぶやくこともできないほどにつらい瞬間があります。そんなときこそが、直接手で触れることのできる祈りであるロザリオが、人知れず輝きを放つ瞬間なのではないでしょうか。 ある信者さんのご主人が重い病気になり、自宅で闘病生活をしていたことがありました。ご主人は信仰を持たず、日頃から教会に興味も示していなかったのですが、ある夜、あまりにも苦しそうだったので、奥様が枕もとでロザリオの祈りを唱え、そのロザリオをそっと置いておいたそうです。翌朝、ご主人の手にはしっかりとロザリオが握りしめられていました。彼はこう言ったそうです。「昨夜は本当に苦しくて、思わずロザリオを握りしめていた。握ったとたんに不思議と心が安らぎ、痛みが遠ざかって行った。今、自分に必要なのは信仰なんだと、やっと気づいた」。その後ご主人は洗礼を受けましたが、それは決してご利益の信仰ではなく、苦難の中で素直に単純に神の愛を握りしめる、純粋な信仰だったのではないでしょうか。 「アベマリア」の祈りの最後は「今も死を迎える時もお祈りください」です。つまり、「お祈りください」、「お祈りください」と繰り返す祈りなのです。それこそ、祈る言葉も見つからないような孤独な夜に、ただただ、「お祈りください」と繰り返す祈りです。素直に、無心に、それこそ口をパクパクする金魚のように、純粋に神の愛を信じて。(2020年10月1日号)写真のご提供ありがとうございます。