✞ 風かおる丘で ~カトリック浅草教会・上野教会 入門講座ブログ~ ✞
  • 24May
    • 【金昼】主がいるところ

      今日は、建物や組織の話を超えた、普遍的な意味での「キリストの教会」のお話でした。『多様であること。多様な世界をつくったのは、神さまですから。そして、多様なままバラバラで、消えていくのをお望みなわけない。多様でありながら、みんな、一つに結ばれている。大自然の中で、木々がそよぎ、花が咲き乱れ、鳥や虫たちが泉のほとりで舞っている。それらが、一つの命のあらわれだっていうような、魂震えるような感動とかってあるじゃないですか。お互い、違うけれども、一緒にいる。今の世界の問題は分断ですよね。壁つくって、みんな、バラバラになっている。そんな中で、多様でいいじゃないか、と。それぞれの個性、それぞれの趣味、それぞれの生き方、それぞれのこだわり、それぞれの楽しみ、それをお互いに尊重し合って、それでいいじゃないか。それを、その人が本当に大切に思っているということを、お互いに大切にし合う。』『キリスト教は、「自分が本当に大切だと思うこと」「みんなが幸せになれると信じること」を命がけでも、きちんと言うべきことは言います、という歴史があるので、究極の多様性に対する歴史や文化を持っています。多様なものが集まっていること自体に、教会の意味があるし、そういう人が集っていること自体に、もう救いが見えている。私たちが多様であるのに、この丸いテーブルを囲んでお茶を飲んでいる姿自体、イエス・キリストの語っていた神の国の実現がここにある、ぐらいに感じていただきたいと思います。』そして、先日神父さまが講話に行った聖ドミニコ女子修道女会が創設した児童養護施設「仙台天使園」のお話。『(困難な状況を抱えた児童が)自分の弱さとか、自分の傷を抱えた上でそこに集まっている。そこは、途轍もなく、成長する機会、チャンスを持っている。それをケアしている職員が大勢いるという、その世界は、とってもキリスト教的家族、福音家族的な現場だと思っています。』『本当に心を閉ざしている子どものケアは、1日、2日ですむ話じゃない。1年、2年と向かい合いながら。その意味においては、一般的な親よりも、親として機能している。そういう大変さを承知の上で、集まってきた職員。「普通」であることを非常に強く求める社会の中で、この職場を選んだ人たち。ある意味、直観している。そういう生き方こそが本当の、自分の満足や喜びやみんなの幸せを生み出すこと。』『神の国のような、みんなの幸せのために働きたいって目覚め、実際にそのようにしているときが、本当の洗礼。』『キリスト教の底力。キリストの遺伝子みたいなものは、全世界に散っていって、名もない修道士たち、名もないシスターたち、名もない司祭たち、宣教師たち、みんな、「あの人もこの人も助けてあげたい」、その精神ですね。爆弾が降り注ぐ中で子ども抱えて逃げるシスターたち、マラリアにかかりながら井戸掘ってるブラザーたち、いくらでも、全世界津々浦々にいる。』そして育児支援の福音家族「まんま・カフェ」が、先日上野公園でピクニックしたお話。『(まんま・カフェの育児支援は)美談じゃないんです。それ、やらなかったら、キリスト教じゃなくなっちゃうんですよ。みんな、口コミで来ている。口コミで広がるくらい、キリスト教にとって嬉しいことはないんですよ。本当にいいこと、実りのあることをしていれば、必ず、神さまがそこに神の国をつくってくださる。』『子どもたち走り回って、お母さんたち、おむすび食べて、昨日は暑くって、でも木陰はとても涼しくて気持ちよくて、「天国みたいだね~」っていうところに、ホームレスの人たちが4人現れて、うぐいす食堂に来ているから顔見知りなんですよ、おしゃべりして。』「まんま・カフェ」のピクニック・シートの上に、「キリストの教会」が現れているというお話は、イメージとしてとてもわかりやすかったです。入門講座もそうですね。途轍もない恵みの場にいさせてもらっているということ。『二千年間、どれほど多くの人たちが、時には命投げすてて、教会をやってきたか。今でも、全世界で、迫害に遭いながら、別に「キリスト教徒になれ」って言っているわけじゃない。私たちは、ただただ、このダイバーシティの中で、多様な人たちが一緒にニコニコ暮らせる、そんな集いを実現したいんですっていう、イエスの家族を引き継ぐ者。』十字架上の主が本当に望んでいたこと。その熱が深く宿りますように。Lydia

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  • 20May
    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会5月23日(木)19:00~ 5月24日(金)10:30~ 一緒ごはんカトリック上野教会5月22日(水)19:00~  一緒ごはん5月23日(木)10:30~ 申し込み、事前準備、受講料、全て不要です。お話しするのは、晴佐久神父です。「22日(水)19:00@上野教会」と「24日(金)@浅草教会」は、月に一度、食卓を共に囲む一緒ごはんの日です。無料です。お楽しみに~「第65回 カトリック美術展」に晴佐久神父の絵「多様性における一致」が出展中です展覧会は、今週水曜日まで!詳しくはこちらの記事へ。今度の日曜日、5月26日に上智大学のお祭り「All Sophians’ Festival」で、晴佐久神父の講演会があります詳しくはこちらの記事へ。聖霊降臨に向かって、以前のお話参照:マルコによる福音書10章46-52節一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。『バルティマイは、闇の中で、どんな希望ももてず、ただ物乞いをして、人に頼っている。その孤独、その希望のなさ。いかほどか、と。このマルコの福音を読んでいるときに、「あぁ、このバルティマイ、どれほど闇の中でつらく、寂しく、痛い思いをしていたんだろうなあ」と同情した方、おりますか?なかなか、ただ文字をフーっと読んでいくだけでは、「あぁ、そうなのね。そういう盲人がいたのね」ですよね。でも「家族」は違うんです。もし、バルティマイに家族がいたら。それは、ただのバルティマイじゃない。血の通った、本当にその人が、どれほど救いを求めているか、つらい思いをしているか、わかっているんです。で、この聖書の箇所は、「イエスは、このバルティマイの家族だ」って言っているんですよ。他の人はみんな、叱っているじゃないですか。叱りつけて、黙らせようとした。彼はますます「憐れんでください」と叫び続けた。それを聞いて、立ち止まったイエス。「呼んでおいで」と言ったイエス。そして、その盲人に関わって、癒して、救いの宣言をする。すると盲人が、イエスに従って、一緒に歩き始める。これは、家族になったってことですね。他の人は、家族じゃないから、バルティマイがどうであろうと構わない。イエスはそうじゃない。「呼んでおいで」と。わが子同然。その熱い思いは、家族の本質ってことじゃないですかね。』神の熱い思い、聖霊降臨の主日がだんだん近づいてきますね今年は何故かずっと、聖霊降臨がとても待ち遠しい気持ちです。いいことあるといいですねLydia

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  • 17May
    • 【金昼】みんなが一緒にいること

      今日の講座は、色々なお話が出たのですが、先日の十連休に、加計呂麻島で行われた結婚式のお話にすべて繋がっているのかなと感じました。その結婚式は、『ああなると、もう芸術ですね』というぐらい、ものすごく大変な準備を経て、つくり上げられたサプライズと感動に満ちたものだったそうです。その様子が語られたお説教は、いつか「福音の丘」に載ると思います。今日は、なぜ素晴らしい結婚式となったのか、というお話。『みんなが揃って、共にあるということ。ミサもそうです。多様性における一致というとき、みんなが揃うということはすごく大事なことなんですよね。みんなが揃っている。そこにすごい力が秘められているんですよね。「あなたがそこにいる」・・・ということだけで、みんなも助かる。「ひとが独りでいるのは良くない」と言ったあとに、創世記で神はこう言ったんですよ。「彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2・18)ってね。だから誰かの存在が、もうすでに、存在するだけで、「助ける者」なんですよね。』『(神父さまが絵を描くのに使ったパステルのセットを前に)どの色も、なくてはならない色。まあ一色でもね、きれい・・・だとは思うけど、それだけだったら、退屈ですよ、世の中。世界中全部、この色だったら、「もう、いい加減にして」と。そんな中に、別の色が来たら、「なんて素晴らしいんだろう!」って話じゃない?ある意味、この色の良さは、別の色によって、ようやく意味を持つわけですね。この色だけだったら、意味を持たないんですよ。みんなが揃って、初めて、「俺も結構、素敵じゃん?」って思うわけですよ。これだけ揃ったら、やっぱりきれいですよね、色って。それぞれ名前があって、「アクアブルー」とかね。素敵じゃないですか。』『みんなが揃っていること。それを引き立てるだけの環境があるんですよ、加計呂麻島にはね。やっぱりね、大自然ってかっこいいよ。どんな高い天井よりも、青空高いし、どんなに広い聖堂よりも、海、広いし、どんなカーペットよりも、白い砂浜、きれいだし、そよ風、鳥の声、それは・・・かなわないって、人のつくったものは。その開放感と、聖なるものに包まれて、ある意味、神さまのみ業の中での結婚式、みたいなことが実現できたと思います。』その『天国みたいな結婚式』で、起こった出来事。1つの、10年以上断絶していた関係に、復活の兆しというか、何か素敵なことが起こりつつある?そうです。『これ、私は別に「奇跡」だとも、なんとも思わない。「ひとが独りでいるのは良くない」んです。やっぱり、みんな、揃わないとだめなんですよね。揃うと、なにか、なんだか不思議なことが起こるんですよ。本来のいいものが出てくるというか。環境が悪すぎるんですよね、たぶん。』神父さま曰く「奇跡」ではない、奇跡的な「しるし」は、復活節的に言うと、イエスの墓をふさいでいた大きな石がどかされて、天使が「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ!」っていうシーンを感じさせました。人の目には、絶対に動かすことができないように思える石をどかす力があった、素敵な結婚式(合宿)のお話でした♪来週は、おいしい一緒ごはんの日です♪お気軽にどうぞ!Lydia

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    • イエスさまのsurprise【日曜講座続き】

      自他共に認める「サプライズの鬼」晴佐久神父様、これまで色んな集まりでさまざまな仕掛けを思いつかれて皆で協力、成功させてこられたとか。surprise、改めて英辞書で引いてみると、「びっくりさせるもの 驚かせるもの 不意打ち 奇襲」 そして「思いがけない贈り物」福音講座で生で聴くサプライズ話は本当に面白いエピソードばかりですが、行う目的は、より喜びを増すため、元気になってもらうため。サプライズ=感動 である事がうかがえました。(神父様)バカバカしいって言っちゃったらそうだけど、何の記憶にも残らない決まりきった事ばかりの人生じゃなくて。別に「サプライズ」じゃなくても構わない、人と人が出会っていって、みんなの喜びのためにちょっとだけ手間ひまかけて工夫を凝らし、お互いの持ってる力を出し合って、みんなでひと時を創りあげる。それこそがかけがえのない、神の国の香りのする人生。我々が出会っているのも本質的にサプライズなんです。イエスさまの最大のサプライズそれは2000年経っても忘れられない言葉。これはわたしの体 わたしの血 罪の赦しとなる永遠の契約※このパンをわたしと思って、この葡萄酒をわたしと思って、食べて飲みなさいと。これから更に2000年経っても忘れないであろう、ミサはそういう式なんです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イエスさまのいわゆる奇跡のサプライズは聖書に多くの記述があり、弱かった弟子達も復活を目の当たりにして殉教も辞さない福音宣教者へとがらりと変わりました。180度「変えられた人」といえば、のちの使徒パウロが浮かびます。ご存知厳格な律法主義故にイエスさまの愛の教えとよく対立したパリサイ派の中の超エリート、かつクリスチャン大迫害の先頭に立つ青年サウロ(後のパウロ)※ その彼が迫害と殺意に燃えてダマスコへと急ぐ途上でイエスさまからの人生最大のサプライズが待っているとは・・その後パウロが世界宣教の基を作り私達がイエスさまの福音を知るようになる・・ほんとに人生何が起きるかわかりませんね。イエスさまの愛のサプライズが時代を超えて響いてきます。tabita※マタイによる福音書26章26~28/マルコ14章22~25/ルカ22章17~20※使徒言行録(使徒の働き)7章57~8章3、 9章

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  • 14May
    • 【日曜昼】一緒にいることの意味

      連休明け最初の福音講座です(神父様)福音家族を複数やってると時々面白い事が起きるんです。聖霊が働いて勝手につながる。先日入門講座に来た方、福音家族の集まりに一度出てみたいと。そこで育児支援まんまカフェを紹介して一緒に上野公園でピクニック。その時、夏の島キャンプの福音家族で行く加計呂麻島(かけろまじま)の話が出たら、その方、「かけろまじま?親友がその島でカフェをしてます!」私が洗礼を授けた娘さんのご一家がやっている、島でたった一軒のカフェ そんな話をしている処へ、うぐいす食堂福音家族のホームレスのおじさん達が現れて。みんなで風を感じながら 木洩れ日を感じながら おむすびを食べて ちょっとした至福体験。これは外に出かけてってシートを拡げて起こる事。聖堂の中にいても起こらない。つながらなかった者同士がつながる瞬間。冷たくって よそよそしくって いつも緊張して 壁があって 怖れ 情報過多の都市主体 そんなふうに本当の意味で繋がっていない時、福音家族が本領発揮する。集まればいいんです。信者も未信者も。洗礼受けようが受けまいが。顏出すの年一回ぐらいとか、それでもいい。この講座もそう。さっきみんなで係さんが作ったスープ一緒に飲んだでしょ?飲んじゃったら最後(笑) 目に見えないけれどもう家族になってるんだ、という。一緒にいるリアル。自分と神 だけ。自分の信仰 自分の改心 自分の努力や勉強・・そこばかりだと我々バラバラになってくだけ。独りの努力より チームとして 出会わせてくださる神さまを信じて。人間にとって一番のつまずきも一番の喜びも人間関係。もめたり傷つけたり傷つけられたりしながらも一緒にめし食ったり。面倒だけど 失敗もするけど 一緒にやっていこう。出会わせてくださる神さまに信頼して 勇気をもって 神の国をやっていく。キリスト教の本質だと私は思う。tabita

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    • 【ご案内】晴佐久神父講演会

      晴佐久昌英神父様講演会@All Sophians’ Festival日時:5月26日(日)14時~16時場所:上智大学6号館101教室(ソフィアタワー1階)(写真は、以前の会場での講演会の様子です。ご提供感謝です!)アクセス:公式サイトをご覧ください→ASF公式サイト申込・入場料:不要今年のテーマ『教皇フランシスコを迎える喜び』「大丈夫!あなたは神に愛されています」。福音を語る司祭として全国で講演を重ねる晴佐久神父(1986神神)が今年もASFに登壇!今年は11月にローマ教皇フランシスコの訪日が予定されています。イエズス会出身の初の教皇であり、また教皇訪日は38年ぶりとあって、カトリック界や上智大学関係者は喜びに沸いています。教皇ミサにも参加した晴佐久神父に、フランシスコの魅力と、訪日によって期待することを、力いっぱい語っていただきます。(公式サイトの紹介文より)去年の講演会で、面白いことがありました。講演の途中で、壇上に小学生ぐらいの男の子があがって来ちゃって、舞台の上で歩き回ったり、話している神父さまの手を引っ張って、どこかに連れていこうとしたり・・・。男の子のお母さんが「戻ってきなさい!」みたいな感じで、必死で男の子を舞台から降ろそうとするんだけど、男の子はどこ吹く風。神父さまは、「(お母さんに)別にいいですよ」「(男の子に)ここで聴く?」みたいな感じだったのですけど、先日たまたま見た映像がすごくデジャヴで、「あれ?これ、どっかで見たな」と。聖霊って面白いな~と思ったのです。それは、今回の講演のテーマである教皇フランシスコの一般謁見の場での出来事。→YouTube「ママ冷や汗?!? 男の子が乱入!教皇フランシスコの反応」騒動のあとの教皇さまの言葉があたたかくて、多分多くの人が喜んでる。私もホッとしました。神さまはあたたかい。晴佐久神父さまは、その場だったか、後日だったか忘れてしまいましたが、男の子が手を引っ張る力の強さにびっくりしたって言いながら、男の子を「天使」って言ってました。そんな感じで(?)、聖霊がいろ~んなメッセージを送ってくる楽しい講演会です。ぜひお越しくださいLydia

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  • 13May
    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会5月16日(木)19:00~ 一緒ごはん5月17日(金)10:30~ (朝ミサ10:00~)カトリック上野教会5月15日(水)19:00~ 5月16日(木)10:30~ (朝ミサ10:00~)申し込み、事前準備、受講料、全て不要です。お話しするのは、晴佐久神父です。「16日(木)19:00@浅草教会」は、月に一度、食卓を共に囲む一緒ごはんの日です(無料)今月から、第3木曜日@上野教会と第3金曜日@浅草教会の朝ミサは、午前10時からとなります。(朝ミサがない日もありますので、教会HPで予定をご確認ください)16日(木)10:30@上野教会と17(金)10:30@浅草教会の入門講座に参加される方は、ぜひぜひ朝ミサ(10:00)にもどうぞ信徒でない方も、初めての方も、お気軽にいらしてくださいお待ちしています。聖母月に、ルルドについての以前のお話『癒しってね、手が伸びるのも、熱が下がるのもいいけど、本当に我々が目的とするのは、心の癒しですよね。魂の癒しですよね。たとえ病気でも、たとえ障害を背負っていても、神の愛に目覚め、生まれてきた喜びを知り、そして希望をもって、一日一日を捧げていくっていう、その癒しですよね。これにおいては、ルルドの右に出るものはないっていうぐらい、癒しの聖地です。』『本当に尊いことですが、医療がどれだけ人を救っても、やがて人は死ぬんです。魂の癒し、永遠の命への希望、これを聖母は私たちに、最終兵器として与えてくださったような気がする。まあ、確かに、ロザリオ握りしめたり、カードを枕の下に置いたりね、それを「絶対、こうしなければ」って言い出したら、怪しい話になっちゃうから、そこまではいかないけれど、だからと言って、「バカですね」と言うのはおかしい。そういう、人の弱さや、すがる気持ち、そういうものを誰よりもよく知っているのは神なんです。そして誰よりも、その思いを取り次ぐのが聖母でもあるわけだから、病気の人たちが集まる聖地を、聖母がつくったっていうのは、これは・・・、なんていうんだろう、「ザ・カトリック」という感じですね。』『「強い者がいいんだ、元気なことがいいんだ」っていう世界から、いいや、弱いし、苦しいし、でも、そっちが神の国の入り口であって、そこに一番、神の愛が注がれていて、その弱さとか、痛みとかを、みんなで大切にして受け入れることが、私たちにとって、本当の喜びになりますよっていう、そのことをリアルに感じられるんですよ、あそこにいると。』『カトリックという普遍主義。「みんなで祈り合って生きていきましょう」っていうときに、じゃあ、「一番弱いところはどこか」っていうことを抜きにしては、我々の集いは語れないということです。100人集まっていて、そこで誰かが傷ついたり、さみしい思いをしているのであれば、99人が楽しくやっていても、その集まりは意味がない、とまでは言わないけど、何か、歪んでいる。神のみ心にかなっていないんじゃないですか、と。多数派が大きな顔をして、少数派がすごく寂しい思い、つらい思いをしている。その時の多数派というのは、決して幸せじゃないんだっていうことですよ。』『小さな命。自分では自分を守れない命に、そっと寄り添う力っていうのは、これは宗教の本質になくてはならないと、私は思うんですよ。』聖母は、7つの剣で心を貫かれた方。主と同じく、苦しみの意味を知っている方。聖母月。聖母ともっと親しく交われますように。Lydia

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  • 10May
    • 【金昼】主こそまことの救い♪

      今日は分かち合いでした。福音朗読は、ヨハネによる福音書6章52-59節。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」(ヨハネ6・53)今日もいろ~んな話題が出ましたが、福音朗読箇所との響き合いでいうと、フランスのテゼ共同体(キリスト教の様々な教派を超えた、男子修道会)に滞在した体験談が強く印象に残っています。その方がテゼ共同体で参加した分かち合いのグループには、コプト正教会のエジプト人の女性もいたそうです。でも、どの国の人でも、どの教派の人でも、やはり同じ人間。悩むことは一緒だと感じた、というか、その場で話された悩みのすべてを「あぁ、全部、通り過ぎてきたことだわ」と思ったとか。・・・さすが!今日の箇所には、それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。(ヨハネ6・52)とありますが、意見の違いから、沢山の教派に分かれてしまっているキリスト者の世界で、何をもって、キリストの肉を食べ、血を飲むというのか。そこで、晴佐久神父の以前のお話を思い出したので、掘り起こしてきました。(面白いことに、今朝、このブログを書いてくださってるtabitaさんとメールで、以前の講座で取ったメモの大切さについて話したばかりです♪)参照:ルカによる福音書10章25-28節すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」『聖書でいうなら、神を愛し、人を愛せ、です。両方がかみ合っていないと救いにならない。だから「神さまを愛します。神さま、助けてください」って祈るのもいいんだけどちょっと、誰かを助けてあげようとする。祈るでもいいですよ。電話1本かけて励ましてあげるでもいい。そういうことをすると、なんと、流れができるんですね。神から与えられてきているものが、私を通して、その人に流れる。その流れができたときに、自分が永遠なる世界にちゃんと触れている、救いの中にいるんだと、はたと目覚めて、すごく解放される。』『個人主義が極まって、「私と神」とかってよく言うけど、よ~く考えてみてください。「私」って何?砂漠の真ん中で一人で生まれて、一人で飯食って、一人で生きているんだったら、「私と神」でいいですけど、違いますよね。親から生まれてきて、親に愛されて、あるいは親からいじめられて、いろんな体験をする中で「私」になってきた。兄弟との関係、幼なじみ、一期一会の不思議なおじさん。学校でのいじめたの、いじめられたの。職場での孤立。いろんな体験の中で、しかしあの人が励ましてくれたな、この人も支えてくれたな、あの集まりですごく受け入れてもらったな、そういう、いろ~んな人の無数の網の目の中に、蜘蛛の巣の真ん中にポツンと蜘蛛が浮いているように、網の目のどっかが切れたら、もう全部が壊れちゃうくらい、本当に大きな網の目の中で、「私」という存在が生かされているんですよね。みんなが繋がっている中で神さまとの関わりを感じるとか、みんなに注がれている神のいつくしみを感じるとか、その感覚、繋がりの感覚っていうのがないと、私の悩みなんて、絶対に救われない。ささやかでも、一緒にごはんを食べましょうとか、私も悩んでて、全然苦しいんだけど、寄り添って、今日をなんとかやり過ごしましょうとか、そんなんでいいんじゃないですか。他に、何、できます?何教だとか、何宗だとかいうことを超えて、目の前にいる人に通じる言葉を使って、あなたと繋がりたい。蜘蛛の巣のようにネットワークがちゃんと繋がってて、どこかが切れたら、この「私」でありえない。私に注がれたものが、私を通して、どこかに流れていく。いのちの本質って、そうなんですね。滞ったら、淀んだら、死んじゃうんです。流れていかないと。そのときに、私は、大いなる永遠の流れの一部であるっていう安心、気づきがある。』「主こそ まことの救い 永遠(とわ)の喜び わが力 わが歌 主のみを信じて 決して恐れない」っていうテゼの祈りの歌、大好きでよくひとりで口ずさんでますけど、やっぱりこの歌をみんなで歌う時にこそ、私たちの真ん中に主が現れて、「あなたたちに平和があるように」って、言ってくださるのかもしれません。来週は、晴佐久神父の講座です。17日は、10時から朝ミサもあります。信徒でない方もお気軽に、ぜひミサからご参加いただけたらと思います。(16日@上野教会も、同じく10時から朝ミサがあります。ぜひどうぞ!)お待ちしています。Lydia

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  • 06May
    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会5月 9日(木)19:00~ 分かち合い5月10日(金)10:30~ 分かち合いカトリック上野教会5月8日(水)19:00~ 分かち合い5月9日(木)10:30~ 分かち合い5月12日(日)12:00~ 晴佐久神父の入門講座申し込み、事前準備、受講料、全て不要です。お話しするのは、晴佐久神父です。分かち合いには、晴佐久神父は参加しません。12日(日)12:00@上野教会の講座は、主日のミサ後、講座が始まる前においしいスープで一緒ごはんをしています(無料)今週の分かち合いから、新学期スタートです。初めての方も、どうぞお気軽にいらしてください。お待ちしています。聖霊降臨に向かって、以前のお話参照:ルカによる福音書11章9-13節そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。『この「まして」っていうのがすごい。キリスト教では、いつもこのように、この世から天へ、この世を超えた天を強調するわけです。「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」っていう宣言です。だから、100%以上の話なんですね。神は、この私たちに、必要なものをすべて与えてくださるし、必要なもののトップである聖霊を与えてくださる。「いやいや、聖霊よりお金がいいです」って言う人がいるとしたら、「聖霊もわかりますけど、ちょっとこの歯、治してくださいよ」と言うとしたら、(注・・・この日、神父さまは歯がとても痛かった・・・)それは、ものすごく大きな間違い。何故なら、歯は治っても、また痛くなるから。しかし、聖霊に満たされていれば、歯が痛かろうと、痛くなかろうと、その人の内に、真の希望が与えられる。共にある喜び、共に永遠のいのちに入っていく喜び、それがなくて、この世の憂さをひととき忘れたとしても、果たしてそれが、この世に生まれてきたほんとの喜びであるのかどうか。「みんなが幸せじゃなかったら、幸せじゃない」って、その感覚。神さまの愛をみんなで分かち合う。神さまの愛によって、みんなが救われる。神さまの愛に目覚めて、みんなが本当の喜びで一致する。そういう喜びのために働いているんですよ。かたや凄く幸せで、かたやとてもつらい思いをしている。この状況は、聖霊がゆるさない。すごくつらい思いをしている人には希望を与え、すごく与えられている人には分かち合う喜びを与え、そうして、聖なる霊の働きは、みんなを平等にしていく。だから、何にもまして、聖霊を願うべきだし、その聖なる霊を願う人に与えてくださるっていうのは、まさに、一番よいものを神さまは与えてくださるって話なんですね。本当に求めるべきもの、本当に願うべきもの、それは本当の幸い。本当に信頼し合って、お互いに助け合って、共にいることが嬉しい福音的な家族のために、一緒にやっていこうよ、みたいなパートナーシップだったら、最高だよ、と。私たちにとっての門、限界というのは、ありますけども、でも門をたたけば、必ず幸いが訪れる。そう信じて、私たちはたたき続けます。神は必ず与えてくれると、そう信じます。・・・希望の話でした。』風薫る5月。マリアさまの月が始まりました。優しい聖母のお取次ぎのおかげなのか、お天気のいい日はとても幸せな気持ちになります。希望に満ちている感じ。もし5月的に元気をなくしちゃった時は、ぜひ入門講座へLydia

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  • 02May
    • 【ご案内】晴佐久神父の絵

      第65回 カトリック美術展 に晴佐久神父の絵が出展されるそうです。『カトリック美術展も、回を重ねて65回展、会員たちは、その作品を通して、美を愛し、神を讃える心で、制作に励みました。皆さまのご来場をお待ちしています。』期間:2019年5月17日(金)~22日(水)時間:11時~18時30分(最終日は16時30分迄)入場料:無料場所:有楽町マリオン11階 朝日ギャラリー →アクセス主催:カトリック美術協会(会長 菊地功東京大司教)内容:絵画、工芸、写真など。50余点。出品者Fr 晴佐久昌英 ・ Fr 井手雄太郎 ・ Fr アルベルト・カルペンティール ・ Sr 浦田カズ代 ・ Sr 中島久仁子 ・ 相澤なみ子 ・ 赤木美日 ・ 安藤真樹 ・ 飯尾信子 ・ 池田京子 ・ 池田道明 ・ 石原新三 ・ 伊藤輝巳 ・ 大野訓子 ・ 長田弘子 ・ 小澤光子 ・ 小原美智子 ・ 加藤幸子 ・ 菊池徹夫 ・ 木寅勉 ・ 佐藤裕美子 ・ 三宮一将 ・ 杉森修 ・ 武田知子 ・ 田中玉紅 ・ 田中百枝 ・ 常松美知子 ・ 中村悦子 ・ 西山昌子 ・ 萩原礼子 ・ 橋元美久季 ・ 原田陽子 ・ 平田淑子 ・ 福井のり子 ・ 前田美智代 ・ 御正牧子 ・ 三牧樺ず子 ・ 村田佳代子 ・ 森岡幸子 ・ 守屋多々志ご案内のハガキ(上の画像)には載っていませんが、英語版「聖書と典礼」でお馴染みのアルベルト・カルペンティール神父の絵も出展されるそうです。会員の方から、「ぜひお越しくださいませ」とメッセージをいただきましたLydia

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  • 29Apr
    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定入門講座は、現在春休みです。次回は、5月の2週目に各曜日(5/8、9、10)の講座で行われる分かち合いから始まります。晴佐久神父の講座は、5月12日(日)12:00@上野教会を皮切りに、その週の各曜日(5/15、16、17)で再開です入門講座はお休みですが、主日のミサはあります。次の主日は、5月5日(日)「こどもの日」ですね。神のこどもたちの集いへ、ぜひどうぞミサは、浅草教会(司式:川口神父)、上野教会(司式:久保神父)共に、午前10時から始まります。主の復活の喜びの中で、以前のお話『 完成の日というか・・・、そこから始まる「その先」は誰も知らない。真のいのちとか、真のダイナミズムとか、真のクリエイトとか、そういうことが始まるんだっていう信仰に支えられていなければ、この世の一歩一歩は、歩いていけないんじゃないですかね。母親だったら、やっぱり生まれてくる子どもがいるから、その陣痛に耐えるんであって、その子に幸せになってもらいたい、その子の笑顔を見たい、この世界に何か新しい喜びが生まれる、そういう思いがあるからこそ、陣痛に耐えるわけでしょう?ただつらいです。苦しんでます。ただ陣痛だけ来る。何にも生まれないのに「嬉しいわ、陣痛がやっと来たわ」って、おかしな人ですよ。だけどみなさん、「苦しい、苦しい」って言うけど、何かが生まれようとしているんです。それを知らないだけだって、思えません?無駄な苦しみ、ひとっつもないんですよ。その苦しみにはちゃんと意味がある。陣痛で言うならば、母体には陣痛に耐えるだけの才能というか、能力というか、それが整っている。難産、安産はあるにしても。 』『 神は、越えられない試練はお与えにならない。それを越えていく力も同時に与えてくださる。だから、あらゆる、この世界の苦しみというか、マイナスなこと、暗いこと、十字架、それは全部「生みの苦しみ」なんです。何かが生まれようとしている。それをみんな、わかっていないから、知らないから、信じられないから、こんな試練はいらないってやめちゃう。でもそれを乗り越えた先に、何か尊い宝を生みだすわけですよ。 』『 この世でなすべきことは、信じて、希望をもって、真の自由に憧れて、よい準備を。つまらない原理主義的なことを超えて、信じることです。恐れるな。 信じなさい。 』真の自由に憧れて、信じて、決して恐れない。Lydia

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  • 22Apr
    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定入門講座は、現在春休みです。次回は、5月の2週目に各曜日(5/8、9、10)の講座で行われる分かち合いから始まります。晴佐久神父の講座は、5月12日(日)12:00@上野教会を皮切りに、その週の各曜日(5/15、16、17)で再開です入門講座はお休みですが、ミサはありますので、よろしかったらぜひいらしてくださいね次の日曜日は、「神のいつくしみの主日」です。HAPPY EASTER!復活節が始まりました(スリランカに思いを向けつつ…)。受洗されたみなさん、おめでとうございますさて、聖なる過越の三日間はいかがでしたでしょうか。私は、聖金曜日に、駐輪場のおじさんにちょっとしたミス(ほんとですよ!)で怒鳴られたのを始まりに、小さなすれ違い、不可抗力の出来事でどんどん負の連鎖が起きていって、まさに聖金曜日、愛(主)が死んだ日にふさわしかったです。悲しかった。こうやって人は、誤解し合って、傷ついて、ギスギスして、憎み合っていくのね、みたいな。だから、翌日の復活徹夜祭で暗闇の聖堂に灯った、復活のろうそくの火の、あたたかい光がほんとに嬉しかったです。やっぱり、愛といつくしみ、ゆるしの世界に向かいたいですから。復活のろうそくの火を高々と掲げた神父さまの「キリストの光~♪」に続いて、会衆が歌う「神に感謝~♪」に心がこもりましたよ!一緒に参加した方も、あの「光の祭儀」の一体感は素晴らしかったって、おっしゃってました。他のすごく大きな教会のスケールの大きなミサに参加した方からは、「天国を垣間見る思いでした」とお聞きしました。素晴らしいやはり復活徹夜祭は特別な夜ですね。打ち砕かれた心も、希望に満ちて生きかえる夜です。来年は、4月11日(土)です(気が早い)。初めての方も、ぜひいらしてみてくださいね主の復活の喜びの中で、以前のお話『大切な聖週間を、プロセスとしてくぐり抜けて→復活の喜びに。この矢印↑なんですよ。キリスト教は向かっているんです。いつまでもおんなじで変わらないねっていうのとは違う。向かっているんです。成長していく。なんか巡礼というかね、聖なるところに向かって、一歩また一歩向かっている。滅びていく、終わっていく、死んじゃう・・・じゃないんです。まだ始まってもいない。私たちは向かっていく準備中程度だっていう、この信仰は、とても励まされるし、希望がある。だからこの世界で多少いやなことがあっても、つらいことが続いても、「これはまだ途中なんだから」と。山登りしている人は、やっぱり山頂で「いい景色眺めて、おむすび食べて」ってわくわくしながら、「どんな眺めなんだろう」「上から富士山、くっきり見えるらしいよ」とか言いながら、つまずいたり、虫に刺されたりしながらも、一生懸命、汗をかきかき登っていくわけでしょう?それが、「山頂はありません」「これが永遠に続きます」っていったら、誰も歩かないと思いますよ。山頂があるから歩くんでしょう?われわれの人生、この歴史、なんですか。試練の多い準備中だった人ほど、尊い働きが天でできる。やっぱり「まだ途中」って、この信仰です。まだ登っている途中なんです。やがて、山頂が待っている。山頂どころか、その先がある。それはもはや、われわれの知ることのできない世界。 』まだ途中です。Lydia

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  • 15Apr
    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定入門講座は現在春休みです。次回は、5月の2週目に各曜日の講座(5/8、9、10)で行われる分かち合いから始まります。晴佐久神父の講座は、5月12日(日)12:00@上野教会を皮切りに、その週の各曜日(5/15、16、17)で再開です。お楽しみに聖週間が始まりました。上野教会では20日(土)復活徹夜祭(19時~)に、浅草教会では21日(日)復活の主日(10時~)に、洗礼式が行われます。初めての方も、よろしかったらぜひいらしてくださいね以前の入門講座での聖週間のお話『死ななきゃならないんです。当たり前ですよね。死なないで「復活」って、言葉の矛盾ですから。死んだから、「復活」って言うんです。いったん死ぬんです。だから、あとは神さまがお働きになる。洗礼式ってそんな感じなんですよ。原点に戻る。神さまのみ手のうちに、すべてを委ねるってことですから、それはある意味恐怖なんですよ。人は意識があるし、経験がある。全部解き放って、神のみ手のうちにっていうのは、恐怖ではあるんだけれども、でも、それがないと、「その先」に行けないんです。胎児がそうですもんね。だって今までの羊水のぬくもりから出てっちゃうわけですから。死といえば、死です。今までは息なんてしなくてすんだのに、自分の肺呼吸に変わるわけだから、恐怖なんてもんじゃないですよね。今までは栄養が全部へその緒通してきてたのに、これからは自分で食べなきゃならない。今までは何にもしゃべらないですんだのに、きちんと語り合わなければ生きていけない。今までは寝てればよかったのに、新しい世界に自分の足で歩いていかなければならない。死ですよ。それで言うんなら、この世界を自由に生きているつもりでも、本当にまだしゃべっていない、本当にまだ歩いていない、本当に神さまの息吹を吸っていない。薄々はきてますよ、聖霊が働いて。今、この閉ざされた世界から、本当に神の世界に生まれ出ていって、浸礼の水からブワァッと出て行くみたいな・・・天を呼吸する。そういう誕生を待ち望むべきですよ。いつまでもこの水の中で、「息苦しい」なんて、あるいは「こっちのほうがいい」なんて、言っているとしたら、生まれ出て行った人たち、「早くおいでよ」って言うんじゃないですか?そんなに急いで行くわけにはいきませんけれども、でもプロセスですから。我々は死で終わる者じゃない。死は、まだ始まりにすぎないんだ。この信仰、これは聖週間の信仰です。受難の主日に、まず死なないといけないんですよね、我々は。聖週間は、自分の考えとか、自分の計画で生きる1週間じゃないです。すべてをもう委ねて、おまかせして。 』来週、このお知らせ記事を出す時には、復活節という全く新しい季節が始まっています。復活節は、喜びの季節です。そう考えると、この1週間は、とても濃密な時間ですね。み手にすべてを委ねて、素晴らしい恵みのときとなりますように。Lydia

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  • 12Apr
    • 【金昼】救いの物語は続く

      今日の講座は、復活祭前の最後の入門講座だったので、まず洗礼志願者の方たちの質問&分かち合いタイム。そして、人生を捧げた真剣な信仰生活を何十年もおくってきて、その間どうしても消えることのなかった苦しみが、晴佐久神父の講演を聴いて、ついにその苦しみから解放された方のお話。それらのお話を聞いていて、思ったのは、私たちは、もうすでに、完全に、完璧に、救われているということ。そして同時に、一人ひとりの救いの物語は現在進行形で進行中であるということ。ついに苦しみから解放された方は、その苦しみについて誰にも言うことができなかったそうです。それはとても悲しいことだけれど、でも私はとても希望を感じてしまった。神さまだけはその苦しみを知っていて、その方を救う完璧な物語を創っていたことを感じて。誰にも言えない苦しみを抱いている人、どうしたら癒えるのかわからない苦しみを抱いている人も絶対救われる。神が救う。絶対に。だから今は、うまく生きられなくたって、苦しくったっていいのだ。今、この時も、神が創った救いの物語を生きているのだから。きっとこれから素晴らしいことが起こる。・・・という気持ちになりました。聖週間を前に、神さまにまかせておけば、全部大丈夫だ~!という、自分史上最高に清い心(当社比ってやつですよ!)になりました。願わくば、神が与えてくださった物語を生き抜けますように。主がすべてを成し遂げられたように。今日は、神父さまが語る福音がいつもとまた違ったトーンで、リアルに心に響きました。『あなたはもう救われている』『あなたは本当に神さまに愛されている、素晴らしい、尊い神の子なんだ』『みんな神の子として、神の国の住人として、ほんとに一つに結ばれているんだ』『死は、実は誕生であって、私たちはまだ、まことの命の世界に入る前の準備段階なんだよ。だからどんな苦しみも、神さまは乗り越えられないような試練は与えないわけですし、どんな苦しみでも、必ず、100%超えていけるし、そういう希望をもって、永遠の命が私の内に始まっているということに感謝しようじゃないか』『絶望的な闇というのは、人の体験としてあります。しかし、その絶望的な闇の中で、非常に重要なことがある。そのときに人は、「神よ!」と言う。神はいるんです。試練のときほど、神と神の子の間は強く結ばれる』『イエスがもう、十字架背負ってくれているから、私たちが背負う十字架は軽いんだ。「自分の十字架を背負ってきなさい」あるいは「私の軛を負いなさい」「私の軛は軽いよ」と。なんで軽いかっていうと、イエスが背負っているからですね。イエスが支えているから。私たちは背負ってるつもりがぶら下がっちゃったりして、イエスは余計に重くなってるみたいな、そんな感じですよね。イエスさまはすべてを背負って、導いてくださっているので、すべてを代表して、神に祈ってくださっているし、すべての闇を総まとめで神に叫んでくださっている。だから私たちは、「イエスを信じます」って言うんです。イエスさまが全部やってくださっているんだという安心感で、生きてまいります』『イエス・キリストと一つになって、人生を歩むことができる。なんと素晴らしいことか』『結局最後は「復活」なんだから、神さまが全部最後は救ってくださるんだから、もっとみなさん、安心して、信頼して、この世の闇は全部神さまが光に変えてくださるんだから、あんまり闇を見つめすぎたり、あるいは自分の中の「こんな自分はやっぱりダメなんじゃないか」っていうような自己肯定感が少ないのはいかがなものか、と。キリスト者は究極の楽天主義なんだし、もう復活したんだから。「主は復活した」ってことは、「私も復活した」ってことですよ。皆さん、復活しているんです、実を言うと。時制がね、時間のあとさきがごちゃごちゃしちゃいますけど、神は全部、超えてますから。「我々は主と共に、復活したんだ」そういう喜びをもって』『本当にあなたの心が解放されるのか、どうか。そこなんですよ』『(奉仕などいろいろな活動を)本当に満たされた人は、「しなきゃならない」とかいう気持ちじゃなく、本当にやりたいときにやりたいようにやって、「神が望んでおられるから」と本当に安心した、自由な気持ちでやるし、やりたくないときは、やらなくったって神さまはどうせみんなを救ってくださるんだし、私は今はそういうのとは違うって、本当に自由なんです』『人は捕らわれているんですよ。縛られているんですよ。何か抱えているんですよ。背負っているんですよ。それ、おろしちゃって、だいじょうぶですよ』『あなたをずっと縛ってきた、昔からの思いとか、出来事とか、トラウマみたいなこともある。そういうのは、心理的なことでもあるから、なかなかそう簡単に、「はい、終わりました」とは言えないけれども、この方のように、福音に触れることで、突然目からウロコみたいに、解放されることってあるんですよ。あるいは突然でなくても、1年間、福音を聞き続けていくうちに、いつのまにかなんか自由になってたなあ、みたいな。そこが、福音ってことだと思う』福音は優しいし、やっぱり愛であり、真理であり、人を解放してくれます。来期の新しい1年も、福音によってたくさんの人の涙が救われますようにと願います。Lydia

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  • 10Apr
    • 聖週間と復活祭

      来週は聖週間です。聖木曜日から聖土曜日、キリストの受難と復活を記念する聖なる過越の三日間は典礼暦年の頂点です。闇から光へ、死からいのちへ、神の喜びに向かう大切なプロセスを過ごします。聖週間の間、入門講座はお休みですが、信徒でない方々も、ぜひこの機会に教会の典礼に触れていただけたらと思います。聖木曜日から復活祭までの典礼のお知らせです。18日(木)聖木曜日主の晩餐の夕べのミサ(最後の晩餐の記念を行います)カトリック浅草教会 19時司式:ペラール神父カトリック上野教会 19時主司式:晴佐久神父19日(金)聖金曜日主の受難(キリストの受難と死を記念すると共に、十字架の勝利を賛美します)カトリック浅草教会 19時司式:ペラール神父カトリック上野教会 19時主司式:晴佐久神父20日(土)聖土曜日復活の聖なる徹夜祭カトリック浅草教会 19時司式:ペラール神父カトリック上野教会 19時主司式:晴佐久神父洗礼式が行われます21日(日)復活の主日カトリック浅草教会 10時司式:晴佐久神父洗礼式が行われますカトリック上野教会 12時主司式:ペラール神父以前の入門講座でのお話『 聖なるものに触れているときの、なんともいえない・・・人を超えたものに触れた瞬間の安心。安心の涙。悲しくて泣いているわけじゃない。感動してっていうのでもない。緊張がほどけて、なにか一番大切なところに触れている安心感みたいな。なかなか現実の世界ではそれが少ないですけれど、あれやこれやの、この世のことに迷わされず、永遠なる天を仰いで、希望をもって、うしろを振り向かず、歩んでまいりましょう 』初めての方も、ぜひいらしてください。Lydia

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  • 08Apr
    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会4月11日(木)19:00~ 一緒ごはん4月12日(金)10:30~ 一緒ごはんカトリック上野教会4月10日(水)19:00~ 一緒ごはん4月11日(木)10:30~ 分かち合い4月14日(日)12:00~申し込み、事前準備、受講料、全て不要です。お話しするのは、晴佐久神父です。上野教会での11日(木)10:30は、分かち合いです一緒ごはんは月に一度、講座のあとに、共に食卓を囲む日です(無料)ぜひご参加ください上野教会での14日(日)12:00は、講座が始まる前においしいスープで一緒ごはんをしています(無料)今週は、復活祭前の最後の入門講座です。このあと、しばらくお休み(スケジュール)になりますので、この機会にぜひどうぞ初めての方も、お気軽にいらしてくださいお待ちしていますLydia

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  • 07Apr
    • 【日曜】もうすぐ聖週間

      いよいよ来週に迫る復活祭と洗礼式に向けて盛り沢山なお話の中から・・以下神父様。復活祭に先立つ8日間はカトリック教会全ての典礼の頂点です。「主のご復活おめでとうございます」とお祝いしあうのは「イエスと共に私も復活することを信じます」ということですよね。そうでなければ、2000年前のはるかな昔、遠い国で、知らないおじさんが復活しようがしまいがこの私とは何の関係もない、ということになってしまう。イエスさまが代表として、初穂として復活した。イエスと共に私も復活する、と信じることです。今は試練の時代、1人1人が罪に苦しんでいる時。でもそれはやがて天の父の元に生まれていく聖なるプロセス、満開に咲きほこる前の私の人生における聖週間、なんです。開花宣言があると満開を想ってみなワクワクする。もう寒さに震える枝の季節じゃない。満開に向かっているのなら全ての日々が恵みのうちにある。復活徹夜祭で真っ暗闇に灯がともされる。司祭が高々とかざすろうそくから灯された火をそれぞれ小さなろうそくに灯して回していく。死から命へ闇から光へ試練の時から喜びの復活へこの矢印は元の方向には戻らない。神が味方だから誰にも止めることも邪魔することもできません。「光あれ」※神のお望みなんです 宇宙は。一人一人は。※創世記1章3節tabita

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  • 05Apr
    • 【金昼】イエスをお遣わしになった方

      今日は、分かち合いでした。福音朗読は、ヨハネによる福音書の7章1-2、10、25-30節。イエスを巡る意見の対立、混迷した空気が伝わってくる箇所です。揺れているのは人々で、主は揺るぎないわけですが。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」(ヨハネ7・28-29)今日の分かち合いで、あるカトリック共同体がピンチの時には、必ずその危機を乗り越えるための人材が「向こうからやってくる」というお話を聞きました。だから、神さまがその共同体を大切に思ってくださっていることを感じる、と。それを聞いていて、私、だんだん嬉しくなってきちゃったんですね。というのは、そのお話をしてくださった方や、今日参加してくださった方は、金曜入門講座を支えてくださっている方々なのです。講座に来たいきさつを聞くと、すごく「遣わされてきた」不思議感があって、天の父がこの講座を大切に思って、可愛い我が子の彼女達を遣わしてくださったんだ~!って感じたから。ホクホク。お父さん、ありがとう~♪そして、神の愛の目に見えるしるしといえば、洗礼の秘跡に与る方々。入門講座で晴佐久神父のお話を聞いて、「洗礼を受けたい」という気持ちになった方が、地元の教会の入門講座に通い、今度の復活徹夜祭に受洗されることを話してくださいました。わ~い、おめでとうございます♪来週は、晴佐久神父の講座&おいしい一緒ごはんです♪「言葉」と「しるし」のお得な日です。(でも、「言葉」をいっぱい聞ける日もお得ですよね!)お待ちしています。Lydia

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  • 01Apr
    • カトリックとは何ですか?【入門講座より】

      洗礼式に向けて新受洗者の方達へのメッセージのようなお話がありました。そもそもカトリック、馴染み薄い日本人にはどんなイメージなんでしょうか・・ 厳粛 敷居高い感 美しい教会 なんか偶像 プロテスタントと2つあるんでしょ、ていうかプロテスタントって?・・記憶をたぐるとそんな声が。少し関心ある人で  遠藤周作 マザーテレサ  でしょうか先日の講座で神父様がその在り方を語ってくださいました。「カトリック」とはギリシャ語で「普遍」です。それ以上に特別な意味はありません。特定の宗教の話ではなく、カトリック教会と言う入れ物のことでもありません。その昔カトリック教会は、カトリックの洗礼を受けないと天国に行けない と教えてきました。私は子供心にもずっと「おかしい」と思ってきた。「普遍」の教会としてカトリック教会が真に輝き始めたのは今から57年前、1962年第二バチカン公会議の宣言から。 「他の宗教にも真理がある」※これは驚くべきことでした。とうとう教会が普遍主義へ一歩踏み出したのです。我々の教えが絶対だ、これこそが正しいんですと言い出すと、たちまち原理主義に陥ってしまう。「罪」とは「普遍でない」ことです。他と対話しながら生きていく。カトリックは「カトリック(普遍)をめざしている」ことでカトリックたり得るこの考えは若い時からずっとぶれていません※「教会が保持し提示するものと多くの点で異なっているとしても全ての人を照らすあの真理そのものの光を反映することも決してまれではないからである」 諸宗教に対する教会の態度についての宣言 より抜粋tabita

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    • 今週の入門講座

      入門講座 今週の予定カトリック浅草教会4月4日(木)19:00~ 分かち合い4月5日(金)10:30~ 分かち合いカトリック上野教会4月3日(水)19:00~ 分かち合い4月4日(木)10:30~ 一緒ごはん4月7日(日)12:00~ 福音講座申込、事前準備、受講料、全て不要です。お話しするのは、晴佐久神父です。4日(木)10:30@上野教会は講座のあとに、共に食卓を囲む「一緒ごはん」の日です(無料)。おいしいお食事がでますぜひどうぞ7日(日)の福音講座兼入門講座はおいしいスープで一緒ごはんをしています(無料)今回のテーマは「聖週間」(予定)初めての方もお気軽にいらしてくださいお待ちしています。Lydia

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♪ カトリック浅草教会/上野教会入門係のブログです。 ♪ 入門講座の普段の様子をご紹介したいと思いま...

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