昨日は、第一朗読がイザヤの預言58章1-9a節、福音朗読がマタイによる福音9章14-15節でした。
『 神の選ぶ断食とは何か。これだろう、と。(cf.イザヤ58・6)
それは、「虐げられた人を解放し」「飢えた人にあなたのパンを裂き与え」「さまよう貧しい人を家に招き入れ」「裸の人に衣を着せかけ」「仲間に助けを惜しまないこと」
これが断食だ、と。
イエスさまはそれを実践していますし、だから堂々と、かたちだけの断食をせず、真の断食をしている。
そうすれば、「あなたの傷は速やかにいやされる」、いい言葉ですね。
それによって、私たちの傷がいやされる。
まあ、私の傷でもあり、社会の傷でもあり、それが速やかにいやされる。
あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば、「わたしはここにいる」と言ってくださる。神さまがね。
ぼくらがこの四旬節になすべきこと。
・・・今日、ラリットさんの出頭日で、また入管に行っておりますけれども、
このイザヤの預言で言うなら、「悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて 虐げられた人を解放」する。
それがぼくらの使命ですよね。私、ここのところ、ラリットさんにずっと同じこと言ってるんですよ。
「『アーメン』って言いなさい」
「信じなさい」
もうそれだけです。
ただ現実にはね、とてもつらい結果が待っていたりとかあり得ることですけども、
われわれはまず、神は愛であり、私たちは「アーメン」「信じます」ということで、真の安らぎを得るというキリスト者ですから、どんな苦難にあっても、むしろ同胞に助けを惜しまない。
ラリットさんなんか、スリランカの貧しい漁師たちのために、国にたてついたわけで、それで迫害を受けて、殺されかけて、日本にまで逃げてきて、ふるさと離れて、病気のお母さんと連絡取りながら、どんな思いをしているか。
だけど、まあ、堂々たるものですよ。ちゃんと断食してるんです、ラリットさんはね。同胞に助けを惜しまない。裸の人に着せる。
そのような彼に、苦難の中にあっても、「アーメン!」「アーメン!」、それだけだ、と。
彼、昨日の夜の入門講座に来てましたけど、「神さま、信じます!」って日本語で言ってました。
なんでしょうね、キリスト者。
どんな苦難にあっても、どんな試練の中でも、私たちは助け合います。そのような仲間たち。
昨日の夜の入門講座に、「初めて来た」という青年たちが来てましたけど、ありがたいですね。
「あそこなら、道が見つかるだろう」って思わせる要素があるって見抜くんですね。
神父がYouTubeでしゃべってることを聴いたり、ネット上の教会の情報・・・、なるべくホームページにはそういう救いのことばとか、入れたほうがいいですね。
前の前の教会・・・、いや多摩教会かな。ホームページのトップに一文入れたんですよね、これ、余談ですけど。
「もうだいじょうぶです。ご安心ください。神さまはあなたを愛しています」って入れたんです。
検索をかけると、最初の一行くらいが少し入ったりするんですよね。『カトリック多摩教会』のあとに、なんかちょっと、ちょこちょこと。
「そこに入るように」ってつくったんですよ、そのネットの管理者がね。
賢いですよね。
「どんな文章がいいですか?」って言われて、
私、まず、「もうだいじょうぶです」ってね、希望の言葉。「ご安心ください」って、癒しの言葉。「神はあなたを愛しています」って、福音の言葉。「そのへんでしょう」って言って、入れた。
それを見て、滂沱の涙流して、飛行機に乗って、宮崎から来たっていう人がいたんですよ。「ここに行こうと思った」って。
どんなことだったか全然忘れちゃったけど、すごくつらい思いをしていて、やって来て、福音聴いて、帰っていきました。
見抜いて、来た。
昨日、来た青年。初めて教会に来るって、なかなかハードル高いというか、敷居が高いというか。
でも昨日の入門講座、なんとごはんの日だったんで、一緒にごはん食べて、ワインを飲んで。
そういう分かち合うこと。受け入れること。話を聴くこと。一緒にごはんを食べて信頼関係をつくること。
救いの話もし、福音の話もし、普遍主義の話もした。
彼ら、今日の夜の、Dの家の集会にも来ます。
信者じゃない人たちがコミュニティをつくって、キリスト者が奉仕するんですけどね。そういうのをキリスト者っていうわけですから、それはいいんですけど。
言葉もいいけど、しるしのほうね。
カトリックって、「言葉」と「しるし」っていう、二大両輪の車かある。
そのしるしっていうのは、神の国の目に見えるしるしですから、「集い」がしるしになるわけですから、
いろんな集いをちゃんと見せなければならない。
ごはんを食べている入門講座っていうのは、いいしるしでしょうし、さらにはそういう集いを、コミュニティをクリエイトしていくっていうキリスト者の使命を果たしましょうよっていうことを言い続けてきました。
これ以上、もう言うことはない。ただ、やってることを見ていただいて、それを自分なりに実践していただきたい。
それはどんな小さな、2、3人の集いでも、どっかのカフェでのお茶でも、なんでもいいです。
ともかく食べて、飲んで、飯つくって、お茶入れて、ふるまって、みんなで一つになる。
まず、一緒に食べたり飲んだりして、信頼関係をつくったチームになれば、しまいには会議5分で終わっちゃうくらいな、通じ合ってるから。
そういう、「教会」ということを。』
・・・というわけで、ラリットさんと彼に寄り添う青年、そしていろいろな方たちも参加して、とても家族的な集いになったという木曜夜の一緒ごはんのメニューです。
長ネギの豆乳ポタージュ、焼き厚揚げ入りサラダ、トマトソース・スパゲティ、フルーツ(苺、オレンジ)、カマンベールチーズ、チョコレート、白ワイン
ラリットさんは、また1か月ほど延長となったそうです。彼が自由に生きることができるような国へ飛び立てるように、どうぞお祈りください。。。
そして、昨日は金曜昼もみんなで食卓を囲む日でした。
今回はベルギー風料理でとっても美味しかったです
ビールでお肉をじっくり煮込んで作ってくださった、カルボナード・フラマン、そのソースをかけたジャガイモと人参和え、クスクス入りサラダ、米粉のチョコパウンドケーキ、紅茶
窓から明るい陽射しが降りそそぐ中、通りすがりの方や初めての方、遠方から来てくださった方、かわいい赤ちゃんを抱いたお母さんと、みなさん、食事が進むにつれて、どんどん和やかになっていくような、恵みのときでした。
お食事の間、赤ちゃんはお母さんに抱かれて眠ってしまったそうで、「久しぶりに落ち着いて食事ができました」っておっしゃってました。よかったです
買い物から料理まで、この食卓を作ってくださった方々に感謝です。
そして神さまと晴佐久神父に感謝ですね。
上野教会のご様子はこちらへ→『上野教会 生涯学習部』
来週は、金曜昼の講座はお休みですが、他の曜日の講座はあります。
初めての方もお気軽にどうぞ
お待ちしております
Lydia