入門講座 今週の予定
カトリック上野教会
3月13日(水)19時
3月14日(木)11時 (10時からミサがあります)
カトリック浅草教会
3月14日(木)19時 一緒ごはん
3月15日(金)11時 (10時からミサがあります)
お話しするのは晴佐久昌英神父です。
初めての方、お子さん連れの方、お気軽にお越しください。
お待ちしております
以前のお話
『 ヒゲダン10周年。セカオワ15周年。(2022年)
私、この彼らの言葉聞いていて、ふっと思ったんですよ。
「5年後どうなんだろう? 10年後どうなんだろう? 15年後どうなんだろう?」
いやぁ、65にもなると、5年後はありそうな。10年はどうなんだろう。10年経ったら、後期高齢者ですからね。15年って言われるとなぁとか、いろいろ思わないでもないですけど、正直。
でも、ヒゲダンもそうだった。セカオワもそうだったように、想像もしてないことが5年、10年、いやもしかすると、5日後、10日後、想像もしてないことが起こる。
神は用意している。
我々はまだ知らない。神さまが何を用意しているのか。
私たちはまだわからない。でもきっと、きっとなにか、いいことを用意してくれているに違いないと信じて、一日一日を重ねていくと、「あぁ、そうか。こんな日もあるのか」っていう、恵みの日がある。
そういう体験、みなさんもあるでしょう?
若い頃はこんなこと思ってもいなかった。でもこんないいことに出会えた。
そのときもまだ知らなかった。でもこんな素晴らしい一日があった。
その日もまだ知らなかったけど、今日、たとえばこんな美しいミサで、こうして神の恵みの中に一緒に座っている。
あのつらかったときには、こんなやさしい気持ちは想像もしていなかった。
いつもそうして、その次に、またその次にって、神さまは何かとても素晴らしいことを用意してくださっているし、それはなんのためだと思います?
最終的には、神の御国という想像を絶する恵みの世界に招き入れる準備をしてるんですよ、着々と。
第一朗読、美しかったですね。
私、この箇所大好きでですね、繰り返し、この箇所に励まされた。そういうところです、「知恵の書」の11章。
「あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。」(知恵11・24)
なるほどって、思うじゃないですか。
・・・ってことは、逆に言うと、「造られて、今ここにある」っていうことは、それが愛されているということのしるしなんですよ。
愛されてないんなら、造られないんなら、造られたら、もう必ず愛されている。それ以外のなにものでもない。
私が今ここにいる、それは神の愛の目に見えるしるしだと。
あなたがそこに座っている、それは神があなたを愛しているということの、何よりのしるしだ。いるだけでね。
何かしてるからとか、なんかうまく事が進んでいるからとか、なんかとても恵み豊かなことが起こりましたからとかじゃない。
悩んでいようが、恐れていようが、失敗しようが、何か大切なものを失っていようが、いや、「今ここに私がいる」ということだけで、もうすでに神の愛のうちにある。
「あなたの不滅の霊がすべてのものの中にある」(知恵12・1)。
神さまの遺伝子がもう私たちの中にあって、それは消えることがなく、発動してるわけですね。
そうして、「主よ、あなたは罪に陥る者を少しずつ懲らしめ、罪のきっかけを思い出させて人を諭される」(知恵12・2)。
教育してるんですね。いくつになってもですよ?
神さまは今日も私たちを少しずつ教育してるんですよ。何のためか。「あなたを信じるようになるために」(知恵12・2)。
なるほど。人生は、やがて神のみもとに迎え入れられるわけですけども、それまでの間、少しずつ、少しずつ、神を信じていく。神に近づいていく。
そんな恵みをね、神さまがくださっていて、だから未来を夢見るなんていうのは、若いうちの特権だなんてね、そんなことないわけですよ。
誰にだって、明日を夢見ることができるし、誰だって、少しずつ、少しずつ、神に近づいてるんだから、相当いいとこまで来たなって思ってもいいんですけど、ここからさらに出発。
明日、どんな素晴らしい目覚めを、気づきを、神を知る喜びを、神が与えてくださっているか。』
Lydia