昨日の入門講座は、参加者の方のお話に神父さまが答える形式だったので、本当にいろんなところに話が飛んでいったのですが・・・、
講座のあと、久しぶりに神父さま担当の女子パウロ会のシスターにお会いできて、お元気そうでうれしかったので、未来に出るかもしれない、神父さまの本のお話を。
『 私、もう、もの書くのやめようと思ってたんだけど、また一冊、なんかできるかも。
この引越騒ぎでね、出てきたものがあるんですよ。
前の多摩教会で入門講座をずーっとこうやってたわけですね、7年間。
そのときに、1人の入門係の方が、テープに取ったのを文字起こししたのを、
話した言葉の中で「ここは」と思うところ、
全体で言うと、6分の1か、5分の1くらいじゃないですかね、の量に毎回まとめたものを刷って、綴じたものを全4冊、私に別れ際に渡したんですね。
きれいに表紙もついて、「晴佐久神父の入門講座」って。
「何月何日、こんな話をした」って、ぜ~んぶ入ってる。
もうびっくりしてね。
読んだら、面白いっていうか、不思議っていうか、まあ、こんな晴佐久節ですから、似たようなもんですけども、
やっぱり、よっぽどこれをちゃんとまとめておかないとって思われたんでしょうね。
最初の2、3年のはないんだけども、最後の4年くらいは、ちゃんと綴じてある。
「これ、面白いじゃん。これだったら、出版できるじゃん」と思って、今日、午後、相談しようと思ってるんですよ。
このまんま、眠らせておくのももったいないかなぁっていう。
やっぱり福音家族とかハッキリ言い出す前ですし、コロナ時代よりもずっと前ですし、
内容的には、共同体性というよりは、「個人がほんとに救いに目覚めるためのノウハウ」みたいなところがある。
その入門係の人が毎回、私の話のあとに、自分が「これ」と思う、講座の内容に響き合う、聖書の箇所を選んで、載せてあるんですよ。
それがちょっと、かなり、私、衝撃的というか。
かぶるところが一つもないし、よほど、聖書を読んでいる人です。間違いなく。
そして、よほど、福音の本質が理解できている人です。
だから、そこを抜き出して、私の話に。自分で抜き出したかと思うくらいに。
いろんなまあ、私、ちょっと時事の話をしてるじゃないですか。大谷翔平がどうだとか、羽生結弦がこうだとかって。
「別にそんなの聴きたくもないや」っていう人はいたでしょうけど、やっぱりそのときの自分の感動とか、思いとかっていうのと響き合うかたちでの福音っていう芸風なんで、
その辺は省いてあるもんだから、余計に、読みやすくって、いい具合だなっていうふうに思いました。
入門講座っていうのは、そんなふうに、ちょっとこう、一度っきりのね、打てば響くようなって言葉がありますけど、二度とない時間ではあるんですよ。
何度も、「その話、聴いた」って思うかもしれないけど、なんでそのおんなじ話を神父がしてるかっていうと、やっぱりそこにいる人が変わってるからですよね。
変わっているし、同じ人であってもまた変わってるんです。
だからそこに響く福音っていうのがあるんで、まあ、そんなこんなをお付き合いくださって、ありがとうございますっていうことですね。』
『 天の父よ
こうして私たちが、ひとつの家族として出会えたことは、本当に素晴らしいことです。
しかし、出会いがあれば、別れがある。
私たちはそれぞれ、次の一歩を踏み出しますが、
どうか、出会って、共に学び、共に笑い、共に感動し、共に祈った、この日々が、あなたのみ旨にかなったものとして捧げものとなり、
また、これからの私たちの一歩一歩の支えとなりますように、心から祈ります。
私たちの主キリストによって』
アーメン。
神に感謝!
いいお祈りですね。
まるで最後のようなお祈りですが、来週が最後です。
おいしい一緒ごはんの日でもあります
お待ちしております
Lydia