以前のお話
『 最後のゴソーの丘っていう所から見た、サンチャゴの大聖堂は、ちょうど朝もや・・・でもないんだけど、雲がたなびいている向こうに、聖堂だけ浮かび上がっていて、きれいで、撮った写真がありますけど、
ゴソーの丘っていうのは「歓喜の丘」っていうスペイン語でね、1,500㎞歩いて、そこまでたどり着くと、大聖堂がついに見えるわけですよ。
「やったー!! ついたぞ!」って言って、みんな、声上げて、駆け降りていく。それで、ゴソーの丘と呼ばれている。
まあ、確かに、そこから先は、美しい旅路の最終地点。
美しい大聖堂を見てですね、みんな喜んで、辿り着く。
辿り着くと、当然のことながら、みんな、聖堂にタッチするわけですよ。「ついに着いたぞ!」
ファサードの手前の大理石の柱の所に、「着いたぞ」と。
だいたいみんな、身長は変わらないし、タッチする所って一緒ですから、そうするとね、手の形にくぼんでるんですよ。
みんな、そこに手を当てたいから、行列してる。
私も行列して、手を当てましたけど、私は、「へぇ、くぼんでんじゃん」って思って。それは、観光客。
私の前後には、重いバックパックの荷物を担いで、髪もボサボサになり、靴は泥まみれで、足ひきずるようにして辿り着いた人がいっぱいいるわけですよ。
その彼らは、触って、・・・泣くんですよ。はらはら、涙こぼしている。
あれは、感動もあるんだろうけど、「安心の涙」ってやつじゃないですかねぇ。
これでよかったんだ。
自分は生まれてきてよかったんだ。
生きていてよかったんだ。
ちゃんと辿り着くべき所があるんだ。
それはサンチャゴ・・・じゃあないです。
サンチャゴの大聖堂に辿り着いたっていうことで、自分が辿り着くべき天のふるさとがあるんだということをね、
みんな、知って、信じて、希望を新たにして、ほろりと安心の涙を流す。
別にその1,500㎞歩かなくったって、「そうですね」って信じればいいかっていうと、そういうものでもないんですよ。
やっぱり人間、身体を抱えてますから、
自分で歩くとか、
たくさん雨の日をくぐり抜けて、たくさん晴れた日に感謝しながら、たくさん途中で友だちをつくり、
宿に泊れば、主人からね、傷の手当までしてもらって、
いろんな体験をしながら、ようやく、歩きとおして、辿り着いた。
何千万、何億人という人がこうしてこの道を歩いて、祈り、かつ助け合って来た、その道を自分も歩いたぞ、と。』
Lydia