皆さま、おはようございます!
むか~し昔、国鉄が全国に路線拡大を続けていた昭和47年のこと。
宮古駅と田老駅を結ぶ全長わずか12.8キロの宮古線が開通しました。
昭和59年に三陸鉄道北リアス線の一部に転換された路線ですが、
ただひたすら直線で結ぶ経路で敷設されたために
この区間はどこもかしこもトンネルと鉄橋だらけ。
線路自体が街並みとは関係のない位置にあるために、
途中駅も人里離れた場所に設けられたのですよ。
そんな宮古線が開通してから43年が経過し、
途中駅はどのようになったかというと…
乗車人員2人/日の秘境駅になっちゃいました!
先週末のことですが、三陸鉄道の秘境駅であるこちらに行ってきましたよ。
北リアス線・一の渡(いちのわたり)駅です!
三陸沿岸の主要幹線である国道45号線から
車で5分ほど進んだ場所に一の渡駅がありました。
ビックリしたのは、駅に辿り着くまで民家が1軒もなかったこと。
むしろ1日2人の利用客がいることの方が不思議でしたわ。
一の渡駅のホームは築堤上にあり、
こちらの通路を伝って進入することができます。
このチャリは放置されているものなのか、
それとも数少ない乗客の所有物なのか?
ホームに入りますよ。
宮古線が開通した昭和40年代は
モータリゼーションの進化によって
国民の自動車保有率が急激に上昇した時代です。
全国各地で踏切事故が増えた時代でもあり、
踏切数を減らすために宮古線を始めに
新設された路線の多くが
このような築堤上に線路が敷設されているのですよ。
階段を登りきるとホームに到着~!
予想はしてましたけど一の渡駅、誰もいませんね。
一の渡駅は島式ホーム1面2線構造です。
おっ、民家が見えた!付近には3軒の民家があるようです。
列車の行き違いが出来る駅構造は
第三セクター化された昭和59年に整備されたモノで、
国鉄宮古線時代は単式ホームだったようです。
上は昭和52年に撮影された航空写真ですが、
築堤は行き違い線を敷設するための用地が確保されてますので、
現在の姿は開業当時から計画されてたのでしょう。
第三セクター移行後、ホーム中央に待合室が設けられたようです。
それにしても、いくら寂しさいっぱいの一の渡駅だからと言っても
スカイツリーのパネルはないでしょうよ
コレを飾ったのは誰なのです?
そんな一の渡駅にも観光案内が挙げられてました。
ん?女遊戸海水浴場がある?
そして潮吹穴だと!?
なんだかわからないけどイッてみたい!
もとい、行ってみたい!
ちなみに女遊戸、おなっぺ・おなつぺと読むそうです。
アイヌ語で、大雨の日以外は水涸れを起こし、
本流からの流れが途切れてしまう支流の川を意味するらしい。
こちらは女遊戸集落に注ぐ「さい川」のことを示しているようですよ。
ちょっとエロいこと考えた人、手あげて!
なお、中の浜キャンプ場も近くにあって
賑わいを見せていた女遊戸海水浴場ですが、
震災によって破損し現在は休止中とのことです。
この地名を聞いて勝手に舞い上がったのは自分だけかな?
朝からくだらん話ですみません。
一の渡駅(平成27年9月19日)
小本駅(平成25年2月10日) ・岩泉小本駅改称後(平成31年4月3日)
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